28 光の雨と、救われゆく闇
放った魔法は――
触れる前に分解されるか、
闇に呑まれ、喰われる。
数を増やしても。
密度を高めても。
結果は同じだ。
隙だらけに見えて――
隙も、手応えもない。
漂う闇の粒子が、
明滅を繰り返す。
まるで――
この戦いを、愉しんでいるかのように。
黒い瞳が、こちらを捉える。
歪んだ笑み。
そこに、エルヴィンの意識はない。
ゆっくりと手が上がる。
同時に――
無数の“闇の手”が、
ラグナへと襲いかかる。
「……ちっ」
舌打ち。
爆散させても、
闇は次の瞬間には再生する。
際限がない。
ラグナは跳び、捌き、避け続ける。
重なった瞬間だけを狙い、
火球を撃ち込む。
――まさか。
自分がこんな“削り合い”をするとはな。
魔力が削られていく。
息をつく暇すらない。
闇は、確実に濃くなっている。
――だが。
ふと、思考が冷える。
この動きは――雑だ。
獣じみている。
力任せで、短絡的。
ただ、“捕まえる”ことしか考えていない。
(あいつは――)
もっと、洗練されていた。
ふっと、笑みが漏れる。
「おい」
低く、挑発する。
「エルヴィンは――もっと強かったぞ」
瞬間。
闇が、怒りに震えた。
無数の手が、一斉に殺到する。
「遅い!」
跳ぶ。
滑り込む。
炎の槍を撃ち込みながら、最短距離で懐へ。
闇はそれすら喰らい、勝利を確信したように歪む。
大きく開かれた“手”が、ラグナを呑み込もうと迫る。
――その、一瞬。
「甘いわ」
爆ぜるような踏み込み。
闇の手を砕き、ラグナは一気に距離を詰める。
腰の剣を引き抜く。
「魔導師らしくはないがな」
自嘲とともに、刃に炎を纏わせる。
魔力を喰らう闇に対し、
“物質”である鋼が牙を剥く。
一閃。
銀光が、闇を切り裂いた。
「――がぁあああぁッ!!」
空気を震わせる悲鳴。
エルヴィンの腕が裂け、鮮血が散る。
「……浅いか」
即座に追撃に入ろうとした、その瞬間――。
本能的な恐怖に反応した闇が、猛然と跳ね上がり、
迫る鋼を力任せに弾き飛ばした。
ラグナは後方へ跳び、剣を構え直して距離を取る。
「はぁ……はぁ……ッ!」
片腕をだらりと下げ、荒く息を吐くエルヴィン。
その瞳はさらに濁り、獣のような鋭さでラグナを射抜いていた。
低い唸り。
空間が、耐えきれぬ重圧に歪む。
その背後に“穴”が、開いた。
すべてを吸い込む、底なしの虚無。
強烈な引力が、ラグナの身体を無理やり引きずり寄せる。
「……っ!」
足元を取られ、魔力の調整が乱れる。
ラグナの顔に、初めて焦燥が浮かんだ、その時。
――ぽたっ。
一滴。
空から、光が落ちた。
星のように、淡く輝く――雨。
◆
「殿下、こちらです!」
クラウスの声。
光の翼と共に降り立ったのは、
時計塔の最上階。
本来ならば、
学院を一望できるはずの場所。
だが今は――
闇に、沈んでいる。
景色は歪み、
すべてが黒に侵食されていた。
「……思ったより、濃いね」
レオニスが呟く。
そして、フィリアへと向き直る。
「これから――学院全体を浄化する」
だが。
その視線は、再び外へ向く。
「……ここまでとは、思っていなかった」
小さく、息を吐く。
そして。
真っ直ぐにフィリアを見る。
「僕一人でも、やれるとは思う」
「でも――君の力を貸してほしい」
その瞳は、真剣だった。
クラウスが準備ができたと合図を送る。
「では――浄化作戦を開始する!」
軽やかな声。
けれどその奥に、緊張が滲む。
「無理はしないでね」
フィリアへ、柔らかく微笑む。
クラウスが魔法陣を展開する。
巨大な陣。
そこから、無数の水粒が生まれる。
空間を埋め尽くすほどに。
レオニスの魔法陣が重なる。
その一つ一つに光を宿す。
水は、星へと変わる。
空に、無数の光が浮かぶ。
まるで――
流星が、降る直前の空。
「クラウス、いくよ!」
殿下の鋭い号令と共に、中空に浮かんでいた無数の魔力の結晶が、重力に従って一斉に降り注いだ。
それは「雨」と呼ぶにはあまりに神聖で、
あまりに幻想的な輝きを放っている。
夜の闇を突き破り、無数のプリズムが学院に降り注ぐ。
黒い粒子に触れた光の雫が、パチパチと清冽な音を立てて弾け、淀んだ空気を一瞬で透き通らせていく。
闇が消えていく。
「あぁ……」
フィリアは思わず息を呑んだ。
幻想的な光景に目を奪われる。
――だが。
(……いけない)
(私も……)
フィリアは手を伸ばす。
片手を空へ。
もう片方を、
そっとレオニスの背へ。
ーー
「名付けて――空気清浄機作戦!」
場違いな軽さ。
「空気……清浄機……?」
ぽかんとするフィリアに、レオニスは笑う。
「簡単だよ」
「君が闇を取り込み、変換する」
「それを僕に送る」
「僕が、それを使って浄化する」
一拍。
「浪漫溢れる無限機関、完成!」
どこか熱量が高く、そして、誇らしげだ。
「……でも」
フィリアは不安げに呟く。
「さっきの魔力は、うまく変換できなくて……」
「ああ、それはね」
あっさりと。
「エルヴィンの魔力だったからだよ」
「……え?」
「たぶん大丈夫」
にこり、と笑う。
「君の中にある“僕の魔力”が、助けてくれる」
ーー
(……やるしかない)
フィリアは、意識を深く沈める。
左手を掲げる。
宙に漂う闇の粒子へ――
そっと触れるように、意識を広げていく。
一つずつ、
拾い上げるように。
――抵抗は、なかった。
それどころか。
黒い霧は、
自ら彼女の指先へと吸い寄せられてくる。
まるで――
帰る場所を見つけたかのように。
エルヴィンから零れ落ちた闇。
その残滓は、
フィリアに触れた瞬間、
ふっと、力を抜く。
安堵の吐息のように。
ほどけるように。
光へと、溶けていく。
(……これ、は……)
それは――
暴走した彼の奥底に残った、
かすかな本能。
助けてほしい、という叫び。
救いを求めて、
彼女へと手を伸ばしているかのようだった。
「……エルヴィン、様」
胸の奥が、強く締めつけられる。
あの時の、恐ろしい魔力。
自分を縛り、
逃がさないと告げていた力。
けれど。
こうして触れてみれば――
それは、
泣きじゃくる子供のような熱を帯びた、
どうしようもない孤独だった。
フィリアは、
そっと魔力を掬い上げる。
溶けていく光を、
丁寧に、集めていく。
(確か……レモン、好きだったよね)
淡く、清涼な光へと変換する。
重く濁っていた魔力が、
彼女の中を通るたびに、
透き通るような輝きへと、
生まれ変わっていく。
それを――レオニスの背へと送る。
流れ込んだ、その瞬間。
彼の身体が、わずかに震えた。
「……えっ、失敗――?」
慌てて顔を上げる。
レオニスは――
必死に、笑いを堪えていた。
「……君って人は」
肩を揺らしながら。
「ほんと、余裕あるねぇ……」
その声は楽しげで。
けれど――
その瞳には、
はっきりとした安堵が宿っていた。
フィリアの魔力が、
確かに届いている証。
二人の力が重なり合う。
空に広がる光の雨が、
さらに輝きを増していく。
学院の隅々まで――
余すことなく、降り注ぐ。
「――さぁ」
レオニスが顔を上げる。
その瞳は、もう迷いがない。
「仕上げだ」
次の瞬間。
――閃光。
眩い光が、世界を満たす。
重く垂れ込めていた闇は、
音もなく、引き裂かれた。
学院全体が――
完全に、
光に包まれた。




