20 眠る春風と、満ちる虹
「エルヴィン様! エルヴィン様!!」
何度呼びかけても、エルヴィンは動かない。
フィリアの叫びを聞きつけて、レオニス達が駆け寄ってくる。
フィリアはその場に膝をついたまま、泣きじゃくっていた。
「あー……これは相当やったねぇ」
倒れたエルヴィンを一目見て、レオニスが肩をすくめる。
「時は一刻を争うか」
そう呟くと、エルヴィンの足元に魔法陣を展開し始めた。
淡い光の紋様が幾重にも重なっていく。
(見たことがない……)
刻まれている文字は、見慣れないものばかり。
古代語――だろうか。
「あの……エルヴィン様は?
その魔法陣は……回復魔法じゃ……ない?」
思わず、じっと見入ってしまうフィリア。
するとレオニスが、楽しそうに笑った。
「興味ある?」
フィリアの顔を覗き込む。
その星空のような瞳が輝いている。
「今から転移魔法を使うね」
「転移魔法!?」
そんな魔法、聞いたことがない。
まさか――それは。
「王家限定の禁呪だよ」
さらりと言うと、レオニスはフィリアへ手招きした。
「フィリアさん、もっと近くに寄って。
じゃないと……半分消えちゃうかも」
くすり、と悪戯っぽく笑う。
「!?」
フィリアは目を見開き、
慌ててレオニスにぎゅっとしがみついた。
その反応があまりにも素直で、
レオニスは思わず吹き出す。
「ははっ! 冗談だって」
くすくす笑いながら言う。
「これは消えないやつ。
簡単に言えば――光速移動かな?」
ほっとして手を離そうとした、その時。
「でも、間違えたら知らない場所に行っちゃうかもね?」
さらっと爆弾を落とす。
結局、フィリアは手を離せなくなった。
レオニスは軽口を叩きながらも、次々と魔法陣を展開していく。
一つ、また一つと重なっていく光の紋様。
空中に浮かぶ魔法陣は、ゆうに十を超えていた。
その高度な術式に、フィリアは思わず息を呑んだ。
やがて。
「よし、できた!」
レオニスは満足げに頷く。
「この魔法は――」
にやりと笑い、
「学院のみんなには、内緒だよ⭐︎」
次の瞬間。
魔法陣が眩い光を放った。
光が弾けるように広がり――
レオニス達の姿が消える。
そして。
その場に残されたのは、ヴェルナ一人だった。
「あんな眩しい光を出しておいて、
内緒になるわけないでしょっ!」
思わずツッコミを入れる。
だが――
不思議なことに、周囲の学生たちは誰もこちらを見ていなかった。
◆
急に医務室が、目も開けられないほどの眩しい光に包まれた。
次の瞬間――目の前に人影が現れる。
「なっ!? 殿下!?」
あまりのことに、保健医クラウスが声を上げる。
(……クラウス先生が驚くところ、初めて見た)
「話は後だ。とりあえずエルヴィンを運ぶのを手伝ってくれないか」
レオニスは落ち着いた声でそう言うと、ぐったりとしたエルヴィンを支える。
クラウスもすぐに我に返り、二人でエルヴィンをベッドへと運んだ。
ベッドに寝かせると、クラウスは手をかざして診察を始める。
「……魔力欠乏症ですね。ずいぶんと無理をされたようだ」
「早急に魔力を供給する必要があります。
風属性の高位魔法を扱える教諭に連絡を――」
そう言って部屋を出ようとしたクラウスを、レオニスが呼び止める。
「いや、その必要はない」
そして、ゆっくりとフィリアの方を振り向いた。
「適任者なら、もう連れてきてある」
突然視線を向けられ、フィリアはぱちぱちと目を瞬かせる。
「ああ……なるほど」
クラウスはフィリアを一瞥すると、すぐに納得したように頷いた。
「しかし、供給するとしても……彼女は魔力ゼロでは?」
「そこも大丈夫だよ」
レオニスは軽く笑い、小さな箱をフィリアに差し出す。
「はい、どうぞ」
受け取りながら、フィリアは首を傾げた。
「殿下、これは……?」
「エルヴィンの宝物」
レオニスはそう言って、にっこりと微笑む。
「じゃあ、あとは頼んだよ」
そう言ってレオニスは、クラウスの肩を押して部屋を出ようとするが……。
レオニスに押し出されそうになりながら、
クラウスは必死に抵抗していた。
「待って下さい――! 私は医師として、魔力共有の観察義務が――」
「体内で魔力の属性を変換する機構についても、貴重なサンプルが――」
必死に言い募るクラウスを、レオニスは軽くなだめながら扉へ向かう。
(あれはきっと……研究者のそれだわ……)
フィリアは小さく苦笑した。
扉を閉める直前、レオニスが思い出したように振り返る。
「そうそう」
「フィリアさんが魔力を満たしている時に、もし変なのがあったら取り除いちゃって」
「えっ……それってどういう……?」
「君が魔力で優しく包み込めば、きっと満足するさ」
意味深な言葉だけを残し、レオニスは扉を閉めた。
廊下で何か言い合うクラウスの声も、やがて遠ざかっていく。
医務室には、静寂だけが残った。
そして――
フィリアと、眠るエルヴィンだけが残された。
◆
整った顔立ち。陶器のように滑らかな肌。
月のように静かに光を受けて輝く銀髪。
まるでお人形さんみたい。
こんなに近くでエルヴィン様を見るのは初めてかもしれない。
思わず見惚れそうになるが、
今はそんな場合ではない。
そっとエルヴィンの手を握る。
ーー冷たい。温めてあげないと。
(……今度は私が助ける番)
自分の身体の中に残っているエルヴィンの魔力に、
起きるように声をかける。
お迎えを待っていた子のように、
ふわっと嬉しそうに手元へと魔力が集まっていく。
エルヴィンに負担をかけないようにゆっくり、
他へ零したりしないように。
祈りを込めて魔力を流していく。
ーーくんっ!
いきなり身体を引き寄せられる。
血を求める吸血鬼のように、
魔力が一気に飲み干されていく。
……全部、吸われてしまう。
エルヴィンは指一つ動かしていないのに、
彼の魔力が腕に絡み付いて離してくれない。
慌てて指輪の魔力も足していくが、
間に合わない。
……足りない……もっと……。
切なそうに渇望する声が聞こえる。
腕に絡み付いていた魔力が、
腕を伝って身体の奥に入ってくる。
……もっと欲しい
と隅々まで調べられる。
身体の全てを、這い回るように指でなぞられていく感覚に、身の毛がよだつ。
「……ぃやっ!」
ぐっと身をよじり離れる。
「これが、殿下が言ってた変なもの?」
エルヴィンの身体から、
フィリアを絡め取ろうとする黒い魔力。
おいでと手をこまねいているようにも見える。
なんとかしなきゃ。
でも、どうしたら……。
ふと殿下から貰った小箱に目に入る。
エルヴィン様の、宝物……。
箱をそっと開けると、
そこには
虹色に光る魔石があった。
たぷん。
持つと、色とりどりの光が挨拶をしてくれるように、
ゆらゆらとゆらめきながら輝いている。
私が入れた魔力……大切にしてくれてたんだ。
魔石を持ち、もう一度エルヴィンに近づく。
黒い魔力はなんとなく怖いけど、
でも、悪いものではないような気がする。
ーーきっと、お腹が空いてるだけなんだよね?
魔石と共に再びエルヴィンの手を握る。
暖かな魔力が部屋に溢れていく。
黒い魔力も、満たされたかのように穏やかになっていく。
隅々まで行き渡るように、
溶け合うように魔力を流していく。
エルヴィンの顔に色が戻っていく。
ーーっ?
エルヴィンの心の奥に、
黒い魔力の塊のようなものがある。
それは、開けてはいけないよ。
というように溶け合うのを拒んでいる。
でも、拒む力は弱く、
自分を晒すのを戸惑っているように思える。
「大丈夫だよ」
フィリアは優しく微笑む。
フィリアの魔力が優しく触れる。
びくっと一瞬震えた黒い魔力は、
時間を置いて甘えるように寄り添ってくる。
少しずつ優しく包んで解いていく。
黒い魔力はされるがまま解かれていき、
満ち足りて溶けていった。
「んっ…」
エルヴィンが微かに声を出す。
うまくいった……。
フィリアは安堵し、エルヴィンが起きるまで、
そっと手を握り続けた。




