17 六聖者の神話と、灼紅の求婚
「神話……ですか?」
フィリアは首を傾げる。
ルミナリアで育った者なら、誰もが一度は聞かされる物語だ。
「光・火・水・風・土の五聖者が、悪い闇を封印したって話ですよね?」
それ以外に何があるのだろう。
フィリアの答えに、レオニスは静かに微笑んだ。
「ああ。一般に語られている神話は、確かにそれだ」
「だが――本当は、五聖者ではない」
その言葉に、フィリアは目を瞬かせる。
レオニスは声を少し落とした。
「これから話すことは、王家の中でも限られた者しか知らない話だ」
「どうか、他言無用で頼むよ」
そして彼は、ゆっくりと語り始めた。
◆
ルミナリア王国が建国されるより、はるか昔。
まだ国の名もなく、人の営みもまばらだった時代。
世界はただ、静かな均衡の上に存在していた。
天地を創りし神は、秩序と安寧を保つため、
六柱の聖なる存在をこの世に顕したという。
火の聖者。
水の聖者。
風の聖者。
土の聖者。
光の聖者。
闇の聖者。
そして。
六柱の力を巡らせ、世界の均衡を保つ者――
循環の乙女。
乙女は六柱のもとを巡り、それぞれの力を受け取り、混ぜ、整え、再び世界へと還していた。
火は燃えすぎず。
水は溢れすぎず。
風は荒れ狂わず。
土は崩れず。
光は暴かず。
闇は飲み込まない。
そうして世界は、静かに巡り続けていた。
だが――
やがて、その均衡は崩れる。
闇の聖者の力が暴走し、世界は深い闇に覆われた。
ゆえに光・火・水・風・土の五聖者は
闇の聖者を封印せざるを得なかった。
しかし闇の力はあまりに濃く、
封印は今にも破れそうになっていた。
そのとき――
循環の乙女が、闇の魔力を引き受けた。
闇を失った聖者は、
闇の門の奥――地の底へと封印される。
だが乙女の身には、
抱えきれないほどの闇が溢れていた。
やがてそれは、地上に溢れ出そうとしていた。
だから乙女は選んだ。
自らを――天へ封じることを。
乙女は天を見上げ、静かに微笑んだ。
「いつか――」
「きっとまた、私と同じ役目を持つ者が現れるでしょう」
「世界が闇を正しく受け入れられるその時、再び巡りは整うでしょう」
そう言い残して。
◆
「そして、その闇の門が――今、開きかけている」
レオニスは静かに言った。
「そして……君だ」
まっすぐフィリアを見つめる。
「これまで、魔力媒介者――つまり循環の乙女の能力を引き継いだ者はいなかった」
「君が初めてだ」
確信を帯びた声だった。
「この魔導機に触れてみてほしい」
机の上には、ドーム状の魔導機が置かれていた。
六つの球体が嵌め込まれている。
どこかで見たような気がする。
フィリアはそっと手を触れた。
瞬間――
すべての球が光り、
部屋をまばゆく照らした。
燃え上がる赤。
波打つ青。
包み込む緑。
鋭く閃く黄。
そして――
光り輝く白。
そのすべてを包み込もうとする黒。
六つの色は互いに侵食することなく、
絡み合うように瞬いていた。
「やはり……」
レオニスは確信を得たように呟いた。
「六属性、すべてに適性がある」
そして静かに告げた。
「君は――循環の乙女だ」
◆
フィリアの頭は、完全に混乱していた。
本当の神話。
そして――
自分が、その神話に登場する存在と
同じ力を持っているという事実。
「とりあえず、落ち着こうか」
レオニスが冷たい紅茶と茶菓子を差し出す。
王都で流行りの、バター濃いめのフィナンシェ。
ラム酒の香りがほのかにするバターサンド。
さらに、色とりどりの可愛らしいマカロンまで並んでいる。
本来なら胸が躍るはずのお菓子だ。
けれど今は、食べる気がしなかった。
フィリアは紅茶に顔を近づける。
爽やかな、カモミールとレモングラスの香り。
その落ち着く香りとすっきりと味に、少しだけ頭が整理される。
そして、ゆっくり口を開いた。
「つまり……」
「闇の門の封印が解けた時」
「私が循環の力で闇を引き受けて……」
「その間に再封印をする、ということですか?」
レオニスは驚いたように目を瞬かせ、
すぐに頷いた。
「素晴らしい。まさにその通りだ」
そして少し身を乗り出し、真剣な眼差しでフィリアを見つめた。
「何が起きてもおかしくない状況だ。様々な魔力に慣れていたほうがいい。君には定期的に、魔力共有の練習をお願いしたい」
その真摯な視線に、フィリアは静かに頷いた。
「……ただ、王宮としても最悪の事態を想定しているだけだ。闇の門の封印が解かれないよう、今も必死に研究を続けている」
そこでレオニスはわずかに表情を曇らせた。
「それでも、君に負担をかけてしまうかもしれない。すまないね」
そう言って、レオニスはフィリアに向かって頭を下げる。
フィリアは慌てて身を乗り出した。
「お、王子殿下。頭を上げてください」
「……私でお役に立てるなら、嬉しいです」
そう微笑むと、レオニスは一瞬だけ目を細めた。
「ありがとう、フィリアさん」
その声音は、どこか柔らかい。
「君のような人がこの国にいてくれることを、私は誇りに思う」
◆
和やかな空気が流れる中――
それまで黙って座っていた赤髪の男が、ふいに口を開いた。
「で」
今までの話などどうでもよいと言わんばかりに、
指先でとん、とん、と膝を叩きながら言う。
「いつ、あの話をする?」
鋭い視線がレオニスへ向く。
「デリケートな話なんだ。急かさないでくれよ」
レオニスが苦笑する。
そしてフィリアへ向き直った。
「王家としては――」
「君の能力は非常に貴重だ」
「他国に知られれば危険もある」
「だから、保護を――」
「……回りくどい」
低い声が遮った。
赤髪の男が、ゆっくりと立ち上がる。
灼けるような灼紅の髪。
獅子のような鋭い黄金の瞳。
圧倒的な存在感が、空気を一瞬で塗り替える。
「俺の名は、ラグナ・ヴァルフレア」
「火の公爵家当主だ。覚えておけ」
そして当然のように告げた。
「おまえは俺の女になればいい」
その他に選択肢はないという絶対的宣言。
空気が一瞬で止まる。
フィリアは言葉を失った。
「あぁ、説明が足りんな」
ラグナは腕を組み、淡々と続けた。
「王太子と平民が婚姻するには面倒が多い。
だから選択肢は二つだ」
「レオニスの愛人になるか」
「公爵家の婚約者になるか」
優雅に肩をすくめ、選択肢を提示する。
「我が公爵家は実力主義だ。出自などどうでもよい」
「魔力が高く、能力が優れていれば、それで十分」
ラグナはフィリアを見下ろす。
黄金の瞳の奥でゆっくりフィリアを値踏みする。
「世継ぎを産む役目さえ果たせば、金も権力も好きに使え」
そして、少し考えるように上を向く。
「愛は……そうだな」
少しだけ口角が上がる。
「気が向けば、愛でてやろう」
まるで悪びれもしない。
所有欲に近い微笑み。
そして思い出したように付け加える。
「王宮魔法使いを目指しているらしいな。
家を豊かにするのが目的なら、この方がよほど早い」
当然の結論のように言い切る。
「まぁ――」
ラグナは不敵かつ優雅に笑った。
「王命にしてしまえば、決定権などないがな」
その言葉に、フィリアはレオニスをばっと見る。
王命で結婚……?
信じられない言葉の連続に、言葉を失う。
レオニスはそこまで言ってないと、苦笑いをしながら困った表情をしている。
その時――
バンッ!!
勢いよく扉が開いた。
そこに立っていたのは――
いつもの穏やかな笑みが、
一切消えたエルヴィンだった。
その翡翠の瞳は、これまでに見たことがないほど暗く沈み、立ち上る魔圧だけでサロンの高級な調度品がガタガタと悲鳴を上げている。
「レオニス」
低く、静かな声。
「これは一体、どういうことだ?」
フィリアに残した自分の魔力の残滓がなければ、
ここにいることに気が付かなかっただろう。
(一人で知らない相手について行くな、と言ったばかりなのに)
エルヴィンの胸の奥で、
苛立ちが静かに燃えていた。
「エル坊ではないか」
ラグナが愉快そうに笑う。
「いいところに来たな」
そして何でもないことのように言った。
「たった今、こいつが俺の婚約者になったところだ」
そう言って――
フィリアの肩をぐっと引き寄せた。
離れようとするが、まるで歯が立たない。
その様子を黄金の瞳がチラリと見る。
時間が止まる。
空気が凍りつく。
嵐の前の静寂のように。
エルヴィンは、怒りを押し殺すように言った。
「……どういうことだ?」
「どういうことも何も」
ラグナは優雅に肩をすくめ、
出来の悪い弟を見るような目でエルヴィンを見下ろす。
「お前が遅すぎたから、奪われたまでのこと」
そして、昔話でもするように続ける。
「お前は昔からそうだ。
ケーキのイチゴに手を出さずに最後まで取っておく」
「そして――」
「横から奪われる」
ラグナはフィリアの髪を、すっとすくい上げる。
その仕草は、自分の所有物を確かめるように。
「大切なものほど、先に手に入れるべきなのに」
エルヴィンを挑発するかのように、すくい上げた髪に軽くキスをする。
「そんなことも分からんとはな」
エルヴィンの目が細くなる。
「表へ出てください」
静かな声。
「フィリアは渡しません」
翡翠の瞳は黄金の瞳をまっすぐ捉える。
「っはっ!」
ラグナは笑う。
「決闘か」
口元が、ゆっくりと弧を描く。
「いいだろう」
経験と格の違いからくる余裕の笑み。
「奪い返せる物ならやってみるがいい」
二人の視線がぶつかる。
そして――
静かにサロンを出た。
今回は甘さが足りなかったので、ちょっぴりおまけです。
◆
フィリアは、エルヴィンに噛まれた指先をそっと眺めた。
じん、とした痛みはもう消えている。
それでも指先をなぞると、かすかな痺れがよみがえる。
――あの時の、エルヴィン様の瞳。
思い出した瞬間、背筋がぞくりと震えた。
このまま、本当に食べられてしまうのではないか。
そんな恐怖と――
なぜか胸の奥が高鳴る感覚。
指先の傷は、もうほとんど残っていない。
それが、なぜだか少しだけ寂しくて。
フィリアはもう片方の手でその指を包み込み、
ぎゅっと胸元に引き寄せた。
身体の奥に残るエルヴィンの魔力が、
まるで喜んでいるみたいに、静かに巡っている。
——その意味にフィリアが気づくのは、
もう少し先のことだった。




