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第98話 はじめての身体検査

挿絵(By みてみん)


 世界中のトップとマスコミが集結し、異常な熱気とプレッシャーに包まれた歴史的な入学式から一夜明けた翌日。

 魔法学院の広々とした体育館には、指定された動きやすいジャージ姿に着替えた第一期生、全三十名の姿があった。


「いいか、貴様ら。本日は本格的な授業に入る前のオリエンテーションを行う。まずは貴様らの身体の隅々まで調べさせてもらうぞ」


 屈強な教官役の剣崎が声を張り上げると、生徒たちの顔に、サッと緊張が走った。

 いよいよ始まるのだ。既存の物理法則を捻じ曲げる魔法、その適性を測るための、想像を絶する過酷な魔力テストが。血を吐くような儀式か、それとも致死量の苦痛を伴う試練か。彼らはゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた。


「本日のメニューは、身長・体重、視力、聴力、内科検診、歯科検診、胸部X線検査、そして尿検査だ! 各ブースに分かれて速やかに行動しろ!」


「「「…………え?」」」


 ニコラをはじめとする海外勢が、間の抜けた声を漏らした。

 魔法を扱うには、まず己の肉体という器の現状を正確に把握する必要がある……などともっともらしい説明が続いたが、要するにそれは、日本の学校ではごく当たり前に行われている、ただの「健康診断」であった。


 拍子抜けして固まる海外勢をよそに、佐藤健一(35歳・元スーパー店員)や巌谷大吾(52歳・元建設現場監督)といった大人枠の生徒たちは、「学校の健康診断なんて、何年ぶりだろうな……」と、どこか遠い目をしながらジャージの裾を直していた。


 こうして、魔法学院の記念すべき最初のオリエンテーションは、わいわいとした賑やかな日常風景から幕を開けたのである。


 体育館に並べられた各検査ブースを、三十名の生徒たちが順番に回っていく。

 彼らは規格外の魔法の才能を秘めているとはいえ、その肉体はあくまでただの人間である。健康診断は、そんな当たり前の現実を彼らに次々と突きつけていった。


「はい、じゃあ胸の音聞くからね。大きく息を吸ってー」


「すぅぅぅぅぅ…………ひゅっ」


 内科検診のブース。校医から聴診器を当てられた元引きこもりの九条蓮(18歳)は、言われた通りに深呼吸をしただけで酸欠を起こし、そのままふらりと後ろに倒れそうになった。


「ちょっ、九条くん!? 深呼吸しただけで立ちくらみって、どれだけ体力ないの!」


 後ろに並んでいた女子生徒に支えられ、九条は「す、すみません……太陽の光が目に沁みて……」と青白い顔で弁明している。


 一方、身長・体重測定と血圧検査のブースでは、さらに深刻な空気が漂っていた。

 測定を終えた佐藤と巌谷のおじさんコンビが、手元の記録用紙を見つめながら、本気で頭を抱え込んでいたのだ。


「……巌谷さん。俺、ついにメタボ判定のライン、超えちゃいました……。スーパーの惣菜ばっかり食べてたから……」


「気にするな佐藤。俺なんか血圧が上が150だ。塩分の摂りすぎだと怒られた。魔法を使う前に、血管が破裂しそうだぞ……」


「俺たち、魔法の訓練の前に、まずは食生活の改善とウォーキングからですね……ははは……」


 この世の終わりのような顔で健康不安を語り合うおじさんたち。その横を通り過ぎる10代の女子生徒たちが、「……なんか、大変そうですね」「無理しないでくださいね」と、哀れみのこもった生温かい視線を向けていく。

 世界を救う魔法使いになる前に、生活習慣病という現実の脅威が彼らに牙を剥いていた。


 続いて、歯科検診のブース。

 キィィンという嫌な機械の音を想像してか、10代の若い生徒たちや子供たちが、少しビクビクした様子で列を作っている。

 ここで大人の余裕と威厳を見せようと、佐藤が列の先頭に歩み出た。


「みんな、大丈夫だよ。歯医者さんじゃないから、ただ診てもらうだけだからね。ほら、痛くないよ」


 頼もしい笑顔を浮かべ、佐藤は大きく口を開けた。

 しかし、ペンライトで口内を覗き込んだ校医は、数秒後、無慈悲な声で宣告した。


「あー……佐藤くん。左の奥歯、完全に虫歯が進行してるね。あと全体的に歯石も溜まってるから、魔法の練習より先に、早めに歯医者行って治療してきてね」


「…………はい」


 若者たちの前で大人の威厳を完全に打ち砕かれ、佐藤は真っ白に燃え尽きた表情で膝から崩れ落ちた。


 そして、健康診断は最大の難関へと差し掛かる。

 生徒たち全員に、検尿用の折りたたみ式紙コップと、小さなスポイトが入った袋が配られたのだ。

 日本の学校文化を知らない海外勢が「これは何のポーションを作る道具だ?」と首を傾げる中、アメリカの特別枠であるアリス・ハワード(8歳)が、その袋を両手で大切そうに持ち、無邪気な足取りでヒミコの元へとトコトコ歩いていった。


「ヒミコお姉様!」


 体育館の端で様子を見守っていたヒミコを見上げ、アリスは屈託のない、よく通る声で尋ねた。


「この不思議なアーティファクトは、どうやって使うのですか?」


 ぴたり、と。

 その言葉を聞いた瞬間、佐藤や九条、巌谷たち日本人の男性陣の動きが完全に停止した。


 8歳の純真無垢な黄金の少女。そして、純度100パーセントな聖女であるヒミコ。

 もし、その「使い方」が、アリスの口から、あるいはヒミコの口から、この広い体育館で大声で語られてしまったら――自分たちの理性が崩壊してしまう。


「わああぁぁぁぁッ!!」


「ダメだッ! アリスちゃん、それ以上は言っちゃダメだぁぁッ!」


「誰かアリスちゃんの耳を塞げ!! ヒミコ様も答えないでください!!」


 大慌てでアリスを守ろう(?)と、佐藤と九条が血相を変えて飛び出していく。

 何事かと驚くアリスと、コトンと首を傾げるヒミコ。その周囲で、日本の一般人枠の男たちが必死に紙コップとスポイトの使用用途をオブラートに包もうと、しどろもどろになりながら身振り手振りで説明を始めた。


「なんだアイツら……? 日本の健康診断は、奇妙な儀式が多いな……」


 遠巻きに見つめるニコラの呆れた声と、佐藤たちの悲痛な叫び声が、体育館に響き渡る。


 前日の入学式でのピリピリとした重圧や、国家間の薄汚い思惑など、ここには一切存在しない。

 年齢も国籍もバラバラな三十名の第一期生たちは、ただの騒がしいクラスメイトとして、ドタバタと平和な日常の第一歩を踏み出したのであった。



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何卒、よろしくお願いいたします!

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