第74話 聖域の産声
初夏の陽光が降り注ぐ港区の一角。
数日前まで静寂に包まれていた廃校跡地は今、無数の作業員たちの熱気と、重機が唸るけたたましい駆動音に包まれている。
「源田さん、基礎の免震補強ですがね。この年代のコンクリートは予想以上に厄介だ。慎重にやらないと、外壁のレンガごと崩れちまう」
「工期は延ばせない。だが、外観を損なうことも一切許容しない。……必要な特殊機材があるなら、世界中どこからでも空輸させろ。費用はすべてこちらで持つ」
広げられた図面を見下ろす源田の瞳には、一切の妥協を許さない鋭い眼光が宿っている。
日本屈指の技術を持つゼネコンの現場監督は、その気迫と提示された桁違いの予算に、ゴクリと生唾を飲み込んで深く頷いた。
「……わかりました。腕鳴りのする仕事だ、職人の意地にかけて完璧に仕上げてみせますよ」
真壁や三上の力を使えば、ものの数分で更地にすることもできただろう。
しかし、源田はそれをしなかった。
あの老夫婦と亡き息子、そしてかつてこの場所で学んだ子供たちの『思い出』を継承するためには、人の手による血の通った「改修」でなければ意味がない。源田は莫大な資金を投じ、歴史ある校舎に敬意を払いながら、新時代の要塞へとアップデートする道を選んだのである。
◇
慌ただしく足場が組まれていく校舎を、少し離れた場所から見守る影がいくつか。
三上、真壁、レイナ、そして剣崎たちだ。
「……なんか、俺たち暇だな」
「馬鹿を言うな。作業員の中に妙な輩が紛れ込まないよう、目を光らせるのも立派な任務だ」
ぼやく三上を、真壁が腕を組んだまま嗜める。
いつもなら魔法を使って最前線で立ち回る彼らだが、今日は完全な裏方。しかし、その表情は一様にどこか誇らしげで、穏やかな光を帯びている。
レイナが密かに『心眼』を凝らすと、職人たちが流す汗や掛け声から、力強い黄金色の活力が立ち上っていくのが見て取れた。死んでいた廃校が、人の手によって再び呼吸を始め、確かな熱を帯びていく。それは魔法とは違う、人間だけが持つ尊いエネルギーの輝きだった。
◇
騒がしい重機の音をBGMに、校庭の片隅にある小さな花壇では、ヒミコが一人しゃがみ込んでいる。
「よいしょ、っと……」
白銀の髪を揺らしながら、小さな両手で柔らかい土を掘り、一株ずつ丁寧に苗を植えていく。
それは、目が覚めるような真っ赤なバラ。
あの世へ旅立ったおばあさんが、愛する息子と再会するための『道しるべ』として選んだ、美しい紅。ヒミコは手や頬を泥だらけにしながら、その想いをこの学校の庭にしっかりと根付かせていく。
すべての苗を植え終えると、ヒミコは花壇の縁にちょこんと腰掛けた。
そして、傍らに置いていたアルミホイルの包みをカサカサと開き、満面の笑みを浮かべる。中身は当然、大好物のツナマヨおにぎりだ。
「ん……おいしい」
もぐもぐと頬張るヒミコの頭の中は、すでに「魔法学校の学食メニュー」のことでいっぱいになっている。
(カレーにも、ハンバーグにも、全部のメニューにツナマヨおにぎりをつけるのがいいかな。ゲンさん、怒るかな……)
そんな平和な悩みを抱えながら、ヒミコはご機嫌に足をパタパタと揺らす。
◇
着々と生まれ変わっていく学び舎。
しかし、その周囲――港区の通りや向かいのビル群には、すでに世界各国の情報機関や、特ダネを狙うメディアの影がハイエナのように蠢き始めている。
日本政府から特区指定を受け、治外法権に近い権限を持った「魔法」の震源地。彼らがこれを放っておくはずがない。
ふと、源田が現場監督との打ち合わせの手を止め、門の外へと視線を向けた。
遠く離れた雑踏の中に潜む無数の悪意と探り。源田は微かに目を細め、そのただ一点に向けて、眼光を静かに、しかし強烈に突き刺す。
(……ここは我々の聖域だ。土足で踏み入る者には、相応の絶望を味わってもらう)
一切の言葉を発することなく放たれた、圧倒的な威圧感。
それだけで、遠方でレンズを向けていた何人かの工作員が、背筋に悪寒を走らせて後ずさる気配がした。
やがて、夕陽が港区の空を茜色に染め上げる。
古いレンガの質感と、新しく組まれた鉄鋼の足場。そして、花壇に植えられた赤いバラが、美しいコントラストを描いて夕映えに浮かび上がる。
「ゲンさん」
最後の一口を食べ終えたヒミコが、源田の隣に並んで校舎を見上げる。
「学校、できてきたね」
「ああ。ここが世界の中心になる」
理屈と利益の象徴から、人々の祈りと想いを受け継ぐ場所へ。
新時代の砦となる聖女魔法学院が、今、確かな産声を上げようとしていた。
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