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第70話 追憶の学び舎と、重なる影

挿絵(By みてみん)


 巨大なビル風が吹き抜ける港区の一角に、そこだけ時間が止まったような空間があった。

 周囲の高層マンション群の影に隠れるようにひっそりと佇む、蔦の絡まる古びた校舎。少子化の影響で数年前に閉校となった、私立小学校の跡地だ。ヒミコが住む館からもほど近いこの場所へ、源田はヒミコとレイナを伴って足を運んでいた。


 源田は閉ざされた鉄門の前に立ち、敷地全体を俯瞰する。


(教育の場としての歴史、外部から遮断された閉鎖性。木島の理論を実践する『魔導科学の拠点』として、ここは立地・歴史ともに申し分ない)


 頭の中で冷徹な計算式を組み上げながら、源田は確信していた。この『死んだ土地』を魔法学校として再定義することは、合理的かつ必然であると。


「ごめんください」


 レイナが声をかけると、校門近くの守衛室跡を改装したこぢんまりとした住居から、年配の男性が出てきた。かつてこの学校の理事を務めていたという、この土地の地権者だ。

 そしてその後ろから、車椅子に乗った小柄な老婦人がゆっくりと姿を見せた。


 背筋をすっと伸ばした気品あるおばあさんだった。その唇には、今日という日を大切に生きる証のように、淡く美しいピンク色の口紅が丁寧に引かれている。

 そして彼女の膝の上には、ひどく色褪せた一色の巾着袋が、まるで壊れ物を扱うかのように大切に抱えられていた。


 レイナが密かに『心眼』を凝らすと、その袋のささやかな膨らみから、温かくもひどく切ない『色』が立ち上っているのが見えた。それは、かつて母の日に幼い息子から手渡された、かけがえのない遺品――死してなお残り続ける深い愛情の残滓が、鮮やかな魔力の揺らぎとなってレイナの視覚に痛いほど突き刺さる。


「……不動産屋なら帰ってくれと、何度言ったらわかるんだ」


 警戒心を露わにする老理事に対し、源田は静かに一歩前に出た。彼が今回用意していたのは「金」ではない。圧倒的な「理論」と「大義」である。


「我々は土地の転がし屋ではありません。新時代の教育機関……魔法学校の設立を計画している者です」


「魔法……学校?」


「はい。この場所を単なる廃校として腐らせるのは、かつての教育者に対する冒涜だ。我々は、魔法という新時代の学問によってこの学び舎に再び魂を吹き込み、世界の中心として再定義したい。あなた方の教育への意志を、我々に継承させてはいただけないでしょうか」


 理路整然とした、隙のない説得。この土地が再び子供たちの未来を救う場所になるという、これ以上ない大義名分だった。

 しかし、レイナは源田が言葉を重ねれば重ねるほど、息苦しさを覚える。


(……ダメだ。ゲンさん、理屈じゃこの壁は壊せないよ)


 レイナの肌が粟立つ。おばあさんが抱える巾着袋を中心に、途方もなく分厚い「悲しみと愛」の層が結界のように張り巡らされている。それは、どんなに完璧な論理でも貫けない、人間の業そのものだった。


 張り詰めた空気の中、ヒミコがトコトコとおばあさんの車椅子に歩み寄っていく。

 ヒミコは、おばあさんの膝にある色褪せた巾着袋をじっと見つめ、ふわりと微笑んだ。


「それ……とっても優しい匂いがする」


「え……?」


「誰かのことをずっと想ってる、あたたかい匂い。大事なものなんだね」


 ヒミコの無垢な言葉に、おばあさんの目にふっと涙が滲んだ。淡いピンク色の唇が震え、巾着袋を抱きしめる手にぎゅっと力がこもる。

 しかし、老理事であるおじいさんは、悲しげに、けれど断固として首を振った。


「……どんなに立派な理屈でも、ここはあの子の帰る場所なんだよ。ここを壊すことは、息子の存在をこの世から消すことと同じだ。……お引き取りください」


          ◇


 夕暮れの校門の外。

 完全に門前払いを食らった一行は、茜色に染まる校舎を背に立ち尽くしていた。


 普段の源田であれば「非合理的だ」「感情論など無価値だ」と冷徹に切り捨て、強引な法的手段や搦め手を探るはずだった。

 しかし、源田の鋭い眼光は、今はただ静かに伏せられている。


 脳裏に焼き付いているのは、おばあさんの引いたピンク色の口紅の鮮やかさと、色褪せた巾着袋を抱きしめる手の震え。

 ……それは、かつて冷たい雨の中で最愛の娘を喪い、狂おしいほどの贖罪と絶望に苛まれた源田自身の過去と、痛いほどに重なっていた。


 喪失の痛み。思い出への執着。死者のための家。

 それがどれほど非論理的であろうと、その痛みの深さを知っている彼には、それ以上強引に理屈を押し通すことなどできなかった。


「……撤退だ」


 源田は短く、少しだけ声を震わせて呟く。


「この壁は、理屈では壊せん」


 冷徹な悪魔の弁護士が、一人の父親として敗北を認めた瞬間だった。

 そんな源田の大きな手を、ヒミコがそっと小さな両手で包み込む。


「ゲンさん、あのおばあさん、お花みたいに綺麗だったね」


 夕日に照らされる白銀の少女の微笑みに、源田は何も答えず、ただ強く目を閉じた。



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