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第67話 独裁者の遺言と白銀の涙

挿絵(By みてみん)


 夜明け前のクライ国国際空港。

 立ち込める深い霧の向こうに、オランダ・ハーグへと向かうICC(国際刑事裁判所)の専用機が、重々しいエンジン音を響かせていた。


 冷たい空気が肌を刺す滑走路。厳重な武装警備員たちに囲まれながら、手錠をかけられたかつての最高指導者、グロモフがタラップへと歩みを進めている。

 その背中はひどく小さく、世界を恐怖で支配した独裁者の威厳はもはやどこにもなかった。


 滑走路の端で見送るヒミコたち護衛チーム。

 源田はICCの責任者らしき男と短い言葉を交わすと、顎でしゃくってヒミコに合図を送った。凄腕の弁護士が裏でどんな交渉や圧力を持ち出したのかは定かではないが、彼はヒミコにだけ「最後の一分間」という面会の時間を作り出したのだ。


          ◇


 機内へと続くタラップの中腹。一時的な面会室代わりに用意されたタラップカーの踊り場で、分厚い防弾ガラス越しに、ヒミコとグロモフは対峙した。


 ヒミコは、ガラスの向こう側にいるしわくちゃな老人を、ただ真っ直ぐに見つめている。

 グロモフは、まるで憑き物が落ちたような、驚くほど静かで穏やかな瞳でヒミコを見つめ返した。インターフォン越しに、彼のかすれた声が響く。


「……ヒミコ」


 初めて、名前を呼ばれた。


「お前の魔法は、ただの『力』ではない。……それはお前の優しさであり、お前そのものだ」


 世界を焼き尽くそうとした男の言葉は、懺悔のようでもあり、未来へ向けた祈りのようでもあった。


「その無垢なる魂を、決して誰かの『道具』にさせるな。……私は、お前のその魂に敗北したのだ。だからこそ、それを誇れ」


 ヒミコは息を呑んだ。

 グロモフが世界中を悲しませる「悪いこと」をしたのは分かっている。罰を受けなければならないことも、源田から教わった。


 けれど。

 ヒミコはどんな怪我も、どんな重病も、一万円札一枚で一瞬にして『お掃除(治療)』できる、神の如き力を持っている。それなのに、目の前で項垂れるこの「お腹を空かせたおじいさん」の背負う罪や運命だけは、どうやっても『お掃除』してあげることはできない。

 自分がどれほど強大な魔法を持っていようと、法の手から彼を救い出し、ただの優しいおじいさんに戻してあげることはできないのだ。


 その残酷な事実に気づいた瞬間。

 かつては感情というものを知らなかったはずのヒミコの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。


「……お掃除……してあげたかったのに」


 冷たい防弾ガラスに小さな両手をつき、ヒミコはしゃくり上げるように泣いた。


「ごめんね、おじいさん……」


 グロモフは何も言わず、ただ深く、深く頭を下げた。


          ◇


 やがて無情にも時間が告げられ、分厚い扉が閉ざされる。

 専用機はゆっくりと滑走路を進み、霧を切り裂いて、白み始めた空へと飛び立っていった。


 ヒミコは、轟音が遠ざかり、機体が完全に見えなくなった後も、涙で濡れた顔でずっと空を見上げ続けていた。

 そんな彼女の隣に、いつの間にか源田が立っていた。


 彼は、普段の冷徹なビジネスマンの顔ではなく、ひどく不器用で、けれど慈愛に満ちた表情を浮かべている。

 源田は、上質なスーツのポケットからハンカチを取り出すと、ヒミコの白銀の頭にポンと乗せた。


「あいつの罪は、人間の作った法が裁く。俺たちにどうこうできる問題じゃない」


 源田の大きな手が、ヒミコの頭を優しく撫でる。


「だがな、ヒミコ。……あいつの凍りついた魂は、間違いなくお前が救ったんだ。胸を張れ」


 その言葉に、ヒミコは頭に乗せられたハンカチを握りしめ、ごしごしと乱暴に涙を拭った。

 冷たい朝の空気をいっぱいに吸い込み、ヒミコはぎゅっと小さな拳を握りしめる。


「……私、もっとたくさん勉強する」


 赤くなった目で源田を見上げ、かつてないほど力強い声で宣言した。


「人を助けるための、本当の魔法を教える学校を……絶対に作る」


 源田は、口角を微かに上げて笑った。


「ああ。まずは日本に帰って、最高の土地探しからだな」


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