第103話 四畳半の理論
グラウンドの歓声や魔力の破裂音が遠く微かに聞こえる、埃っぽい備品室。
九条蓮は部屋の隅で膝を抱え、ただ静かに息を潜めていた。周囲からの過剰な期待から逃げ出し、自身の無力さに絶望して、かつての自室に似たこの薄暗い四畳半のシェルターに引きこもっていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ギィッ、と古びたドアが控えめに開き、一人の男がひっそりと入ってきた。同じ一般人枠の生徒である、佐藤健一だった。
「……こんな所にいたのか、九条くん」
佐藤は九条を咎めることも、無理にグラウンドへ連れ戻そうとすることもしなかった。ただ、埃まみれの床にどっこいしょと腰を下ろし、九条の隣に並んで座った。
「期待されるって、しんどいよな」
佐藤はぽつりと、独り言のように呟いた。
「俺もさ、前のスーパーで店長を任されそうになった時、プレッシャーで逃げたくなったもんさ。自分にはそんな器じゃないって分かってたし、みんなの期待を裏切るのが怖くてたまらなかった。……だから、九条くんが逃げたくなる気持ち、ちょっと分かる気がするよ」
佐藤は元スーパー店員という等身大の大人として、自身の情けない過去を隠すことなく語り、不器用に寄り添ってくれた。
無理してエリートたちの真似なんてしなくていい。その優しい言葉に、九条の荒くなっていた呼吸が少しずつ落ち着き、張り詰めていた心がわずかに解れていくのを感じた。
「佐藤さん……俺……」
九条が何かを言いかけた、その時だった。
その静寂は、乱暴な音と共に無惨に破られた。
バンッ!!
ドアが蹴り破られんばかりの勢いで開け放たれた。
「ひひっ! こんな所にいたかモルモット君!」
現れたのは、ボロボロの白衣を着て、伸び放題の髪と髭を揺らす男。聖女教が誇る天才にして狂気の科学者、木島である。
あまりのデリカシーの無さに、佐藤が慌てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと木島さん! デリカシーってものがないんですか! 今、九条くんは傷ついてて……」
「黙れ凡人が。科学の進歩にデリカシーなど不要だ」
木島は佐藤の抗議を完全に無視し、暗がりに座る九条を見下ろして嬉々とした笑いを浮かべた。
「いつまで原始人の真似事をしているつもりだ? お前は己の才能の使い道を、全く理解していないようだな」
「才能の、使い道……?」
「そうだ! グラウンドで他の連中がやっているのは、魔力を炎や風に変えて外へ飛ばすという、極めて低レベルな物理現象だ。だが、干渉系であるお前がやるべきことはそれではない!」
木島は両手を広げ、狂信者のような熱を帯びた声で『魔導科学五系統分類』に基づく、干渉系の神髄を語り始めた。
「干渉系とは、己の魔力を外に放つ魔法ではない! 対象の座標、状態、ルールそのものを内側から書き換える魔法だ! お前の1500という莫大な魔力は、大砲から撃ち出す弾薬の数ではない。世界をハッキングするための『圧倒的なCPU(処理能力)』なのだよ!」
――ハッキング。
――圧倒的なCPU。
その言葉は、ゲーマーである九条の心に深く、鋭く突き刺さった。
RPGの魔法使いのように、呪文を唱えて火の玉を放つのが魔法だと思い込んでいた。だから、何も出ない自分を無能だと思っていた。
だが、木島の理論は違った。干渉系の魔法とは、ゲームのプログラムそのものに介入し、世界のルールを強制的に書き換えるチートコードなのだと。
そう理解した瞬間、九条の中で出口を求めて暴れ回っていた熱い魔力が、静かで冷徹な「演算処理能力」へと変質し、ピタリと統制されるのを感じた。
「俺の魔力は、弾薬じゃなくて……CPU……」
自身の力の真理に気づき、九条がハッと顔を上げた。
そこへ、木島の背後からとてとてと、校長であるヒミコが姿を現した。ヒミコは九条の目の前にしゃがみ込み、その純粋な黄金の瞳で見つめながら、温かな声で囁いた。
「……ん。外が怖いなら、蓮が一番安心できる『暗い』のルールを、上書きすればいいよ」
外の世界の基準に合わせて、自分を無理に変える必要はない。
自分を包むこの安らかな闇を拡大し、支配し、世界そのものを自分の「四畳半の部屋」にしてしまえばいい。
佐藤の不器用な共感。
木島の狂気に満ちたハッキング理論。
ヒミコの純粋で絶対的な導き。
三つの言葉を受け取った九条の瞳から、それまでの怯えと戸惑いが完全に消え去った。
代わりに彼の目に宿ったのは、最強のCPUを起動させ、世界のプログラムそのものに挑もうとするゲーマーとしての、静かで熱い闘志だった。
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