エルフの国の女王
エルフの居住地に足を踏み入れると、そこは緑に囲われた不思議な空間だった。木々の隙間から入る光が緑を明るく照らしている。
住居は地面の上に造られている物もあれば、木の枝に小さい建物も見える。さらに奥には巨大な樹木の内部にも人が出入りできる穴が開いている。
レージの手を引いて先を歩くマーティが振り向いて大樹を指さす。
「あっちだよ!」
この空間で真っ先に目に付くものが、その大樹である。他の木々では比較にならないほどに太く、高い。枝葉が密集する上部に何か光の玉のようなモノがフワフワと浮いていて、大樹の周りを常に移動している。この空間を不思議になものにしている最たるモノが、その大樹だった。
この森を悪魔たちが“大樹の森”と呼んでいたが、その“大樹”はこれのことを指すのであろうことは容易に想像がつく。
「あちらです」
大樹の根元まで歩いたところで、マーリナはレージを一瞥する。そしてその視線の先には、大樹の太い根が絡まったような――大樹の根で出来ているような建物があった。それは、館のように横に広く、箱のような周囲の建物とはまるで違うものだった。
木材で組まれたような、ある程度整った景観の建物は、驚いたことに立派な扉が付いており、同行していたエルフ二人が扉を開ける。ここで殆どのエルフた立ち止まり、中にまでは入ってこなかった。
室内は滑らかに均されており、外の根とは違う、古い木材が使用されている。広い玄関の正面に大きな階段があり、左右に大きな通路や幾つかのドアがあった。
マーティは正面の階段に向かって手を引こうとするが、マーリナが優しい手つきで止めた。
「お母さんたちはレージ殿と大切な話しがあるの。トトと遊んでいてくれますか?」
「マーティ様、行きましょう?」
エプロンのようなモノを身に纏うエルフ――トトは、マーティの空いている手を自身の方へと引く。マーティは少し不満そうにするが、残念そうにレージの手を離した。
罪悪感がチクリと胸を流石、優先すべきは大人たちからの情報収集である。目的を見失ってはならないし、事は急を要するかもしれない。
それでも心配でマーティの背を目で追う。しかし、トトがおやつで釣ってご機嫌を取ることに成功したため、ホッと胸を撫でおろした。
「参りましょうか」
マーリナはあくまで優し気に振舞うが、緊張感を思い出させる程度には安心できる状況ではなかった。彼女の妖しく見透かしたような態度は、レージの危機感を逆なでするようである。
コツコツと靴が音を立てながら階段を上り、緊張が澄んだ空気に広がっていく。
階段の先には身長の倍ほどある扉があり、両開きの扉の左右に跨って彫刻が描かれていた。中央に大樹と思しきものがあり、その周囲を無数の白く小さな丸が漂っている。その下にはエルフたちが地面に膝をついて両手を差し出し、大樹からエルフの胎児と思しき赤子が両手を差し出すエルフに授けられている。
エルフの子を授かる様子と思しき彫刻だが、これが何を示唆しているのかは分からない。
彫刻に気を取られていると、取っ手を持った二人のエルフが扉を開ける。まずマーリナ部屋に入り、先にレージへと攻撃指示を出した女エルフがその後に続く。最後にレージが部屋に入ると、先ほどのエルフが外から扉を閉めた。数十人が一度に入れる大きさの部屋には三人の人影しかない。
窓からの光のみが部屋を照らしているため若干暗く、大きさに対して人が全くいないためか、どことなく不気味な雰囲気を醸し出している。
中央に赤のカーペットが敷かれ、マーリナはその上を通って先にある椅子に腰かけた。椅子は木製の簡素なものであり、こちらへと向いている。そしてその隣に女エルフが控えた。
レージは貴族とは違い、こういった世界では生きていなかった。そのため、この手の知識に乏しかったが、マーリナの正面に距離を取って立ち、知りうる限りの知識を総動員する。
「まずは――」
女王の傍に控える側近と思しきエルフが口を開くが、即座にマーリナが手で制する。女王を見る側近のエルフを見ることなく、代わってマーリナが口を開いた。
「形式的な話しは結構。本題に入りましょう」
彼女は肘掛に手を置き、穏やかではない雰囲気を纏った。そして、今までとは違う真剣な目をレージへと送る。
「この森に悪魔が来た、ということでしたが……」
マーリナはそこで言葉を止める。そんな彼女をみて、こちらに話すよう促していると判断し、レージは一度頷いてから話し始める。
「ああ、サンカという街で密会している所に遭遇したんだ。人間の街で何をしていたのかは分からないが、碌な事ではない。そして奴らが向かうと言っていたここでも同じだろう。だから、僕は悪魔を追ってここに来た」
レージはここに来た経緯を説明する。しかし、包み隠さずという訳ではなく、自身の核心に迫るような話しは隠した。基本的に悪魔はあらゆる種族にとっての共通の敵対勢力だ。敵と敵は味方――とまではいかなくとも、協力できるかもと思わせられるだろう。言葉に、悪魔と敵対しているという印象を添えるのも忘れない。
レージの説明に対し、二人が納得した様子はない。どちらも殆ど反応がなく、その心情は見て取れない。
「その悪魔と貴方の関係は?」
女王の傍に立つエルフがレージに問う。その声色からは、明らかな懐疑心が読みとれた。抑々、わざわざ悪魔を追いかけようとする人間はそういないため、当然といえば当然である。
この問いを前に、レージは冷や汗を掻きながら考えを巡らせる。
ここでの答えは二通り、つまり肯定か否定だ。当初の予定では、適当にお茶を濁して情報だけ集めるつもりだったが、こうなってしまっては立場を明確にしておく必要がある。
そして肯定した場合、まず間違いなく信用されないだろう。何かうまい言い回しでもあれば良いのだが、そんなものはレージの頭にはなかった。
レージは意を決して口を開く。
「いや、関係はないな。ただ悪魔全体に因縁があるだけだ。詳しくは話したくないが……」
抽象的な物言いだったが、エルフに敵対心がないことを伝え、それ以上に踏み込んだ話は先に潰した。人には誰しも訊かれたくないことの一つや二つある。悪魔という存在と、この言い方をすれば身内の不幸と誤解してくれるかもしれない。それを盾にすれば文句を言われても対応できるだろうと考えていた。
側近は訝し気にレージを睨みつけるが、口を開く気配はない。何処か引け目を感じているような、一歩引いた様子だった。
沈黙したままの時間が流れる。疑問の一つも出ないことが返ってレージの不安を煽った。
「……いいでしょう」
ジッとレージを見つめていたマーリナが口を開いた。マーリナの心情は流石に読み取れないが、少し口元が歪んでいるように見え、それはレージに恐怖の感情を覚えさせる。
隣のエルフはマーリナに一度視線を送り、鋭い視線をレージへと戻した。その視線は観察されているような、気分の良いものではない。
「先日、この森に招かれざる客がやってきました」
マーリナは瞳を閉ざし、当時の状況を思い出すように語る。
「見張りの者がこの森で見たことのない痕跡を見つけました。それはここ数日で増え続けていて、ここの近くにまで及んでいました。何者かまでは断定できてはいませんでしたが……そうですか」
一人納得するマーリナだったが、レージがそれを聞くより前に別の話しを切り出す。レージはグッと堪えて聞くより他ない。
「奴らはこの森を“大樹の森”と呼んでいるそうです。大樹とはこの国の中心に立つ神木。“トリエント”や“エルフの森”とは断じて言いたくないのでしょうね……」
ピリッとした空気から一転して、包み込むような優しい声色のマーリナだが、ここで気を許すと痛い目を見る気がして、気を引き締める。一瞬でも気を抜くと頭の中ごと情報を持って行かれそうな貫禄が彼女にはあった。
マーリナは困ったような、呆れたような表情を浮かべる。彼女の言葉通り、悪魔の思考からしてこの森も自分の物だと考えているだろう。
女王の言葉は続く。
「レージ殿の真の目的は分かりませんが、悪魔たちの目的には幾つか心当たりがあります」
事無げなその言葉に、レージの肩がビクッと跳ねる。その様子を二人に目撃されるが、もはや訝しむこともしない。信用した――とは違うのだろうが、協力を取り付けることには成功したようだ。マーリナの様子を見るに、それが良いことだとは限らないが。
驚きを露わにしてから思う。実際は何でもないことなのだ。しかし、不意打ち気味で思わず身体が反応してしまった。冷静に考えれば、ただこちらの様子を探っているだけで、ちょっとした情報戦の延長に過ぎない。これ以上の詮索を許すわけにはいかない。
レージは動揺しながらも話しの方向が自分に行かないよう、悪魔たちの目的に道を定める。
「心当たりとは、例えばどのような?」
自分でも分かりやすいと思う軌道修正に、歴戦の女王は失笑を禁じ得なかった。隣のエルフもその視線を軟化させる。
やはりこの手の戦いは苦手である。少なくとも、ここまでの人物が相手となれば、分が悪くて当然だ。
一頻りレージの様子を楽しんだマーリナは、黙って辱めを受けていたレージの問いに答える。
「大きなものでは二つ。一つが、神木と『神の使い』です」
「神の使い?」
レージは唐突に出てきた単語に反応を示す。
神の使いと言われれば、真っ先に思いつくのは勇者である。しかし、勇者がここにいる訳もなく、当然勇者ではない。マーリナの言い方は「神木」と「神の使い」がセットになっているが、心当たりと言えば大樹に纏わりついていた淡い光の玉くらいだ。
そこまで考えたところで、レージの頭にはこの部屋に入る前に見た扉の彫刻が浮かんでいた。
「我らの言う神の使いとは、神木に住む、いわゆる妖精と呼ばれる存在です。エルフにとって妖精は、神とエルフを繋ぐ存在だと信じ、信仰しているのです」
信仰云々は分かりかねるが、そういうものだと考えるのなら何らおかしいとは思えない。問題は何故それを狙うかだが、悪魔の性質から考えれば何となく察することはできる。
マーリナは変わらず優し気に語る。お陰で先ほどの失態を忘れそうになるが、警戒心はかなり溶けてしまっていた。
「悪魔が我らの国を――エルフを滅ぼそうと考えるのであれば、最も効果的でしょう」
若干語気を強めてマーリナは言う。隣のエルフも拳を強く握りしめ、怒りがひしひしと伝わってくる。
しかしマーリナからは怒りを感じない。あくまで冷静なまま、言葉を続ける。
「もう一つの理由は、この地に眠る『龍』でしょうか」
「龍……」
「龍」――それはこの世界に存在する知性を持つ生き物。或いはこの世界で最も強き存在。その力は神や魔王に匹敵すると謳われる厄災だ。そんな危険な存在が暴れれば、この森が消えてなくなることだってあり得る。
レージは一気に危機感を募らせるが、マーリナにそのような様子はない。むしろ何処か余裕のある様子だった。
彼女は不意に明るい笑顔を浮かべる。
「そこでお願いがあるのですが――」
不意の笑顔とこの言葉によって、レージの背筋に悪寒が走る。今になって誘導sレ鄭ることに気づき、警戒心を取り戻した。
だが、構うことなく、マーリナは見え透いた誘導を続ける。
「地下時価、娘の成人の儀があるのです。寝ている龍の様子を見て来るだけなのですが……レージ殿、手伝っては頂けませんか?」
断りたいところだが万が一龍に何かあった場合は、この森の全域に起こる災厄に自分も巻き込まれることは想像に容易い。ここでこの誘いを断ったところで悪魔が来る可能性を考慮すれば、確認しない訳にはいかない。他方、この誘いを受けた場合は、この広い森から龍を探し回る手間が省け、エルフに貸しを作ることができる。
女王の余裕に満ちた笑顔を前に、レージは一頻り思考を巡らせ――最後には渋い顔で頷いた。




