第82話 五組のみんなのスキル
ぎこ、ぎこ、ぎこ。
十月に入ると、放課後の旧校舎は木くずの匂いがするようになった。
五組の喫茶店の会場は、旧校舎一階の旧家庭科室に決まった。会場決めのくじで、五組は最後の一枚を引いたのだ。正門からいちばん遠く、迷宮管理棟にいちばん近い、誰も行きたがらない場所。
ただ、旧家庭科室にはガスコンロが六つあった。
「からあげが揚げられるじゃねえか!」
と大河が叫んだので、五組の中では、最後の一枚は「当たり」ということになった。
ぎこ、ぎこ。
部屋の真ん中で、小山がのこぎりを引いている。床には、粗大ごみ置き場や近所の工務店からもらってきた廃材が山になっていた。
「小山、これ使えないか?」
俺が一枚の板を差し出すと、小山は手を止めて、その板をじっと見た。指先で木目をなぞる。光にかざす。匂いまで嗅いだ。
「……だめだ」
「どこが」
「この板は、カウンターになりたがってない」
「板に希望があるのか」
「ある。こいつは棚になりたい。……たぶん」
小山は真顔だった。冗談を言っている顔ではない。板を受け取ると、大事そうに壁際へ立てかけた。
「昔からこうなんだ。気になると、止まらない。小学校の工作で、本棚一個作るのに三か月かけた。先生に、こだわりすぎだって怒られた」
「三か月」
「途中で、木が嫌がってる気がしたんだ。……変だろ。【こだわり】だから、しょうがない」
小山はまた、ぎこぎことのこぎりを引き始めた。
その横顔を見ながら、俺は考えていた。
木が嫌がっている気がする。
……それ、本当に、ただの「こだわり」なのか?
窓際では、佐伯が段ボールに色を塗っていた。
「でさー、あたし中学のときにね、しゃべりすぎて友達なくしたんだよ。いや、なくしたっていうか、ある日グループのみんなが急に静かになって、『ミナといると疲れる』って言われて、あ、これ言われたやつだって思って、それで――」
しゃべりながら、刷毛が止まらない。
「――家に帰ってから、ずっと考えてたの。あたし、なんでこんなにしゃべっちゃうんだろって。でもね、しゃべってないと不安なんだよね。誰かに何か、届けなきゃって気がして。……あ、また一人でしゃべってる。ごめん、翻訳くん」
「いや。聞いてる」
「……ほんとに?」
「ほんとに。続けていいよ」
佐伯は目を丸くして、それから、照れたように笑った。
「翻訳くんってさ、話、最後まで聞いてくれるよね。めずらしい」
そうなんだろうか。自分ではよくわからない。
ばたん、と扉が開いた。
「ただいまっす……」
森田が、ホームセンターの袋を両手に提げて立っていた。眼鏡が曇っている。
「森田、ペンキ買いに行ったの、三時間前だよな」
「迷ったっす。駅前のホームセンターまで、徒歩十分なのに」
「どうやって迷うんだ、それ」
「俺にもわかんないっす。……なんか、迷うときって、別の道が見えるんすよ。こっちにも行けるぞ、って。見えてる気がするだけで、実際は行き止まりなんすけど」
森田は袋を下ろして、眼鏡を拭いた。
「【方向音痴】っすからね。しょうがないっす」
しょうがない。
小山も、同じことを言っていた。
そこから先も、だいたい同じだった。
佐伯の話にもらい泣きした野々村カナは、涙をハンカチで押さえながら「泣き虫って言われるのが嫌で、我慢しようとすると、もっと泣いちゃうの」と言って、また泣いた。
部屋の隅のクッションの山では、花岡ユズが丸くなって寝ていた。起こすと「……ふぁ。【寝坊】だから……一学期の遅刻、十八回……」とだけ言って、また寝た。
黒田ゴウは流しでコップを洗っていて、三つ目を割った。大きな体を縮めて「……細かいの、だめなんだ。力の入れ方が、わかんねえ」と、割れたコップに謝っていた。
早乙女は、看板の色塗りを途中で放り出して、窓の飾りつけを始めて、それも途中でやめて、なぜか廊下の掃除をしていた。理由を聞くと「なんかね、空気がこっち来いって言うんだよー」と言った。
藤堂は、資材庫で在庫を数えていたら、誰にも気づかれないまま外から鍵をかけられた。三十分後に発見された。
「声、出したんですけど……誰も……」
「ごめん、委員長……」
ちなみに鍵をかけたのは大河だった。大河は土下座の勢いで謝っていた。
「いいんです。慣れてますから」
藤堂は、本当に慣れた顔で笑った。
「小学校の卒業アルバム、私、集合写真に写ってないことになってたんです。ちゃんと写ってるのに。先生が『藤堂さんは欠席だったかな』って、右上に丸い枠で顔を足してくれて」
「……写ってたのに?」
「写ってたのに。二人分、いるんです。私」
笑っていいのかわからない話だった。大河が真剣な顔で「委員長、オレ、もう二度と見失わねえから」と言い、その十分後にまた見失っていた。
みんな、自分のスキルの話をするとき、同じ顔をした。少し笑って、少し肩をすくめて、最後に「しょうがない」と言う。
俺は、その顔を知っている。
春の大河だ。【大食い】を笑われる前に、自分から笑ってみせた顔。春のひよりだ。【臆病】だから、と謝り続けていた顔。そして、【無口】と書かれた窓を、黙って見つめていた雫の顔。
あの三つのスキルは、ぜんぶ誤訳だった。
本当の名前は、【蓄積】と、【先触れ】と、【静謐の歌】。
だったら――。
木が嫌がっている気がする小山。別の道が見える森田。何かを届けなきゃと思ってしまう佐伯。
こいつらにも、本当の名前がある。
ほとんど確信だった。
でも、確信と、読めることは別だ。
一人の窓を読むだけで、頭が割れるように痛む。レベルが上がって少し楽になったとはいえ、二人続けて読めば、まともに立っていられない。五組は二十四人。俺と大河とひよりと雫を引いても、二十人。
無理だ。どう考えても。
それに。
春に初めて雫の窓を読もうとしたとき、俺は読めなかった。ノイズが濃すぎて、どうしても。あのとき雫は『読もうとしてくれたのが、うれしい』と書いてくれた。でも、それは雫だったからだ。
「お前のスキル、本当は外れじゃないかもしれない」と言って、もし読めなかったら?
期待させて、がっかりさせて。それは、笑われるよりずっと残酷なんじゃないか。
「――なあ、佐伯」
「ん? なになに?」
佐伯が刷毛を持ったまま振り向く。期待に満ちた目。いや、たぶん、何の話かも知らないで、ただ話しかけられたのが嬉しいだけの目。
「お前の、スキル……」
「うん」
「……の、話、面白かった」
「え? あ、ありがと……?」
佐伯はきょとんとして、それから「なにそれー」と笑った。
俺は、何をやっているんだ。
つん、と背中をペンでつつかれた。
振り返ると、雫が段ボールの看板を抱えて立っていた。スケッチブックを開いて、さらさらと書く。
『いま、なにか言いかけた?』
「……なんでもない」
雫はじっと俺を見た。前髪の隙間から、まっすぐに。それから、もう一行書き足した。
『なんでもない顔じゃない』
……観察眼が鋭すぎる。
「あとで話す」
雫は少し考えて、こくりとうなずいた。ページの隅に、ふくれっつらのルルの絵を一つ描いてから、看板のほうへ戻っていく。
フードの中で、本物のルルがもぞもぞ動いた。
〈湊。お前、今、ずいぶん情けない顔をしておったぞ〉
「うるさい」
〈ふん〉
そのときだった。
窓の外で、低いエンジン音がした。
旧家庭科室の窓からは、敷地の北門が見える。ふだんは購買の業者のトラックくらいしか通らない門だ。そこから、見たこともないほど大きなトレーラーが、ゆっくりと入ってくるところだった。
荷台には、灰色のシートをかけられた何かが載っている。
でかい。二階建ての家くらいある。
「なにあれ?」
「文化祭の、ステージ……じゃないよな」
みんなが窓に集まってくる。トレーラーの横腹には、見覚えのあるマークが描かれていた。
迷宮庁。
トレーラーはまっすぐ、迷宮管理棟の前で止まった。黒いスーツの男たちが降りてきて、シートの縄をほどき始める。
フードの中で、ルルが小さく震えた。
〈……湊。あれは、いやな感じがする〉
シートの隙間から、鈍い銀色の円筒がのぞいた。その表面に、細い蔓のような模様がびっしりと刻まれているのが、ここからでも見えた。




