第7話 その名前、誤訳だよ
「……は?」
大河の箸から、からあげがぽろりと落ちた。三つ目の弁当の、最後の一個だった。
「【大食い】じゃないって……どういう意味だよ」
俺は少し迷って、それから決めた。もう、嘘はつかない。
「先に謝っとく。この前、なんでわかるんだって聞かれて、勘って答えただろ。あれ、嘘だ」
「お、おう?」
「俺、魔物の声が聞こえるんだ」
大河が、ぽかんと口を開けた。
俺は全部話した。スライムが攻撃の前に「体当たり、右」とか「後退」とか言っていること。それが俺にだけ、言葉として聞こえること。窓の文字は誰かが訳したものかもしれないこと。そして、さっき大河の窓の文字がほどけて、その向こうに別の文が見えたこと。
「……マジで言ってんのか」
「マジ」
「魔物の声って、あのりぃんってやつ?」
「それが、俺には言葉に聞こえる」
大河は腕を組んで、うーん、とうなった。信じたいけど信じきれない、という顔だ。当然だと思う。俺だって、他人に言われたら信じない。
「あと、もう一つ」
俺はフードに手を入れて、白い毛玉をそっとつまみ出した。
大河が固まった。
〈む。なんだ、この大きいのは〉
大河の耳には、それが、きゅい、と聞こえたらしい。
「……毛玉が、鳴いた」
「お前にはそう聞こえるだろうけど、俺には『なんだ、この大きいのは』って聞こえた」
「大きいのって、オレ?」
〈他に誰がおる〉
もちろん大河には、きゅいー、としか聞こえていない。
「……かっ」
大河の肩が、ぷるぷる震えた。
「かわいいじゃねえか……!」
そこなのか。ばあちゃんといい、大河といい。
ルルのことを話すと、大河はしばらく毛玉を指でつついていた。ルルは〈無礼者〉と怒りながら、焼きそばパンの切れ端をもらって黙った。
「つまり、窓に出てるのは訳で、その下に本当の名前があるってことか」
「たぶん。……本当の名前だから、真名とでも呼ぶか。説明文のほうは、真文」
「新聞?」
「その新聞じゃない」
大河は、自分の窓を開いてじっと見つめた。【大食い】。食事量が増加する。
「……で、その【蓄積】ってのは、どうやったら使えんだ」
「わからない。だから、試す」
◇ ◇ ◇
「放課後に自主練? お前らが?」
職員室の隅の机で、灰原先生がキャンディをくわえたまま、俺と大河を見比べた。
「一層と二層だけでいいんです」
「めんどくせえ……」
先生は天井を仰いだ。それから、なぜか俺の顔をじっと見た。この前、管理棟の出口で見られたときと同じ目だった。
「……一層と二層だけな。五時までに上がってこい。俺は管理棟にいる。何かあったら叫べ」
「ありがとうございます!」
大河が頭を下げすぎて、机に額をぶつけた。
霞ヶ丘迷宮の二層は、一層より通路が広い。天井も高く、床には苔に混じって、細い草のようなものがまばらに生えている。
ここに出るのは、角兎だ。中型犬くらいの大きさの兎で、額に一本、とがった角が生えている。
〈侵入者、確認〉
通路の先で、灰色の兎がこっちを向いた。長い耳がぴんと立つ。
〈突進、正面〉
「大河。正面から突っこんでくる」
「お、おう」
大河が拳を握った。昼に弁当三つと焼きそばパン、放課後に購買のおにぎりを二個。条件は、たぶんそろっている。
「名前を呼べ。窓の、本当のほうの名前」
「わ、わかった」
角兎が床を蹴った。一直線に、角を突き出して。
「……ちくせき」
大河がぼそっとつぶやいて、拳を突き出した。
何も起きなかった。ごく普通のパンチが、ごく普通に空を切る。突っこんできた角兎の角が、ごく普通に大河のベルトのバックルに命中した。
「ぐえっ」
「声が小さい」
「だってよ、なんか恥ずかしいだろ! 技名みたいで!」
「技名みたいなもんだろ。スキル名を叫ぶと出力が安定するって、授業でも言ってた」
〈また来るぞ、湊〉
ルルに言われるまでもなかった。跳ね返った角兎が、もう一度こちらを向いている。
〈突進、正面〉
「また正面だ。今度はちゃんと叫べ」
「……っ、くそ、わかったよ!」
大河が、腹の底から息を吸いこんだ。角兎が、床を蹴る。
「――【蓄積】ッ!」
大河が叫んで、右の拳を突き出した。
その瞬間、大河の腕が、ひと回り大きくなった気がした。見間違いじゃない。腕のまわりの空気が、陽炎みたいに揺らいでいる。
拳が、角兎の額をとらえた。
どん、と。
腹の底に響く音がした。角兎は弾かれたように吹き飛び、宙で光の粒になってほどけた。拳はそのまま勢いを失わずに、兎の後ろにあった岩壁に届いて――
びしっ。
壁に、蜘蛛の巣みたいなひびが走った。
通路が静まりかえった。ぱらぱらと、小石が床に落ちる音だけが響く。
「……え?」
大河が、自分の拳を見つめた。それから壁のひびを見て、また拳を見た。
「今の、オレ?」
「お前だよ」
「オレ、壁、割った?」
「割った」
俺は、大河の隣に立った。まだ少し、心臓がうるさい。でも、言うべきことはわかっていた。
「――その名前、誤訳だよ」
大河が、俺を見た。
「お前のスキルは【大食い】じゃない。【蓄積】だ。食べたものを、力として溜めておける。だから、たくさん食べるんだよ。最初から、そういうスキルだったんだ」
大河の顔が、くしゃっとゆがんだ。
「マジかよ……!」
大きな手で、ごしごしと目をこする。
「オレ、外れじゃなかったのか……」
「外れじゃない」
「……っ、そっか。そっかあ……!」
大河は鼻をすすって、天井を見上げた。泣いているのを見られたくないのかもしれない。だから俺は、壁のひびを眺めていることにした。
それから、きっかり五秒後。
ぐうううううう、と。
さっきの拳の音より大きな音が、大河の腹から鳴り響いた。
「……み、湊」
「なんだ」
「腹……減った……」
大河は、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「は? さっきまで元気だっただろ!」
「なんか、急に……空っぽに……力が、入らねえ……」
〈情けない大きいのだ〉
フードの中でルルが鼻を鳴らす。俺は慌てて鞄をあさって、チョコバーを一本引っぱり出した。大河は包み紙ごと食べそうな勢いでかじりつき、なんとか立ち上がれるくらいには回復した。
溜めた分を、使い切ったら空っぽになる。燃費が悪いにもほどがある。
大河に肩を貸して引き返そうとしたとき、ふと視線を感じて振り返った。
通路のずっと奥。苔の光がぎりぎり届くあたりに、人影が立っていた。口元に、細い棒のようなものが見える。
瞬きをすると、もう誰もいなかった。
帰り道、駅前のカウンターだけの小さなラーメン屋で、大河は大盛りを一杯と替え玉を四回たいらげた。
「蓄積って、食った分だけ溜まるんだよな」
「たぶん」
「じゃあ、使うたびにこれだけ食わなきゃなんねえのか」
「たぶん」
「……食費、結局かかるじゃねえか!」
大河はカウンターに突っ伏した。それでも、箸は止まらなかった。
「大河。この話、しばらく誰にも言わないでくれるか」
「真名のことか?」
「ああ。俺もまだ、よくわかってない。わかってないまま広まったら、困る」
「おう、わかった。男の約束だ」
大河はどんと胸を叩いて、それから、少しだけ静かになった。
「なあ、湊」
「なんだ」
「母ちゃんに言ったら、泣くかな」
「……泣くかもな」
大河は「そっか」と笑って、五回目の替え玉を頼んだ。
◇ ◇ ◇
翌日、噂が回っていた。
「五組の大食いが、二層の壁を割ったらしいぜ」
出どころは、たぶん大河本人だ。真名のことは誰にも言わないでくれと頼んだら、大河は約束を守った。守ったうえで、「壁を割った」ことだけは朝から五人に自慢していた。
昼休み、廊下の向こうで、聞き覚えのある声がした。
「大食いが壁? まぐれだろ。古い壁が勝手に崩れただけだっての」
御堂だった。取り巻きの二人が「ですよねー」と相槌を打っている。御堂は舌打ちをして、不機嫌そうに歩き去った。鼻で笑うだけで済ませないあたり、少しは気になったらしい。
その日の六時間目は、三回目の実習だった。
一層の、少し奥の区画。俺たちの班が通路を進んでいると、隣の通路から甲高い声が響いた。
「ひゃっ!」
のぞくと、小日向ひよりが、通路の真ん中で頭を抱えて立ちすくんでいた。同じ班の連中が振り返って、くすくす笑っている。
「また小日向かよ」
「さすが【臆病】」
小日向は真っ赤な顔で「す、すみません……」と縮こまった。
俺は、なぜかその光景から、目が離せなかった。




