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第56話 初めての共闘

「……命令すんな、翻訳野郎」


 御堂は、そう言いながら、もう歩き出していた。


 左足を引きずっている。一歩ごとに顔をしかめている。それでも、白銀の剣を握った手は、さっきまでよりずっとしっかりしていた。刃に宿った光が、ぼんやりと、でも確かに、強くなっていく。


「核は胸の真ん中だ。ノイズが厚い。鷹宮の剣だけじゃ届かない。お前の剣と、同時に叩き込む」


「……同時、だと」


「一人でやるより、二人のほうが強い。そういうもんだ」


 御堂は、何か言い返そうとして口を開けた。それから、白鹿の前で翼を広げている鷹宮を見て、口を閉じた。


 新人戦の決勝で、鷹宮が一人で戦って凍りかけたのを、御堂はいちばん近くで見ていたはずだ。


「……ちっ」


 舌打ちが、返事だった。


「問題は、高さだ。あの胸まで、どうやって行く」


 白鹿の胸は、俺たちの頭よりずっと上にある。鷹宮なら翼で翔べる。でも、足を怪我した御堂には――


「オレが投げる」


 大河が、霜だらけの盾をどんと地面に立てた。


「は?」


「オレの盾に乗れ、御堂。【蓄積】で、思いっきりぶん投げてやる」


「お前、正気か」


「正気だぜ。人を投げんのは初めてだけどな!」


 大河は、にかっと笑った。こんなときでも笑える奴だ。御堂は、信じられないものを見る目で大河を見て、それから、ほんの少しだけ口の端を引きつらせた。たぶん、笑いかけて、こらえたのだと思う。


「……落としたら、殺すぞ」


「落とさねえよ!」


「ひより、核の場所を、ずっと言い続けてくれ。動いても見失わないように」


「は、はい!」


 ひよりが、目を細めた。真名詠唱の光が、まだ薄く残っている。


「胸の、真ん中より少し左……! 光ってるところです! 白鹿さんが動いても、ずっと、わたしが追いかけます!」


 水無瀬の歌は、途切れずに続いていた。


〈こわくない、こわくない。もうすぐ、あたたかいところへ〉


 でも、水無瀬の肩が震え始めている。膝が、かくんと折れかけた。俺はとっさに、その手を握った。


 水無瀬が、目を閉じたまま、ぎゅっと握り返してきた。歌が、また少しだけ強くなった。


 俺は、鷹宮を見た。


〈――【比翼の剣】〉


 りぃん、と鳴らす。鷹宮の翼が、もう一度大きく広がった。透き通った氷の羽根が、薄れかけていた光を取り戻していく。


「鷹宮、御堂の隣だ」


 鷹宮は一瞬だけ、御堂を見た。


「……嫌いだけど」


「知ってるよ!」


「並ぶわ」


 白鹿が、ゆっくりと首を持ち上げた。歌に押さえつけられていた巨体が、ノイズを震わせて抗おうとしている。角の先で、また雑音がばちばちと弾け始めた。


「来ます! 頭を振って、角で薙ぎ払い……でも、その前に、一瞬だけ胸が開きます! 今から、四秒!」


「行くぞ!」


 大河が盾を構えた。御堂が、その上に片足をかける。


「三!」


 大河の全身が、橙色に燃え上がった。


「二!」


 鷹宮が、苔を蹴った。氷の翼が、森の空気を打つ。


「一!」


「【蓄積】――解放ッ!」


 大河が、盾ごと腕を振り上げた。


 御堂の身体が、宙へ撃ち出された。


 本当に、撃ち出された、としか言いようがなかった。砲弾みたいな速さで、白鹿の胸へ向かって一直線に飛んでいく。その真横に、翼を広げた鷹宮が並んだ。


 二つの影が、宙で並ぶ。


「【勇者】ッ!」


 御堂が叫んだ。


 白銀の刃が、光を噴き上げた。さっきまでの頼りない光じゃない。水無瀬の歌で澄んだ森の空気の中で、御堂の剣は、まぶしいほどに輝いていた。


「胸、左! 今です!」


 ひよりの声。


 白鹿の胸のノイズが、一瞬だけ、開いた。


 その奥で、小さな白い光が瞬いている。


 鷹宮の白鷺と、御堂の白銀の剣が、同時に、そこへ突き込まれた。


 氷の刃と、光の刃が、交差する。


 ――ぴしり、と。


 何かにひびが入る音がした。


 それは、ノイズの音じゃなかった。もっと澄んだ、ガラスが割れるような音だった。


 白鹿の胸から、光があふれ出した。


 砂嵐が、剥がれていく。


 崩れるんじゃない。黒崎の【断絶】のときみたいに、ざらざらと崩れ落ちていくんじゃない。白と黒のノイズが、まるで古い皮が剥がれ落ちるみたいに、一枚、また一枚と、体の表面からはがれていく。


 その下から、白が現れた。


 雪のような白。教科書の挿絵で見たのと同じ、いや、それよりもずっときれいな、真っ白な鹿。大きな角は、光る葉を受けて、銀色にきらめいていた。


 白鹿が、空を見上げた。迷宮の天井を、まるで本物の空みたいに。


 そして、俺のほうを見た。


 顔があった。ちゃんと、目があった。黒くて、深くて、静かな目だった。


〈……ありがとう〉


 声がした。


 かすれていない。途切れてもいない。ノイズに飲み込まれてもいない。澄んだ鈴の音みたいな、穏やかな声だった。


 白鹿の体が、光になった。


 無数の光の粒が、ふわりと舞い上がる。蛍みたいに。雪が、空へ向かって降っていくみたいに。森の灰色にくすんでいた木々が、その光を浴びて、少しずつ緑色の輝きを取り戻していった。


 光の粒が、天井へ吸い込まれていく。最後の一粒が消えるまで、誰も、何も言わなかった。


 ――ありがとう、と言った。


 寒くて、静かすぎて、ずっと誰かを呼んでいた声が。最後に、ありがとう、と。


 喉の奥が、熱くなった。目の奥が、ぎゅっと痛くなった。


「うおっ、と!」


 大河が、落ちてきた御堂を盾で受け止めていた。鷹宮は、翼をたたんで、ふわりと苔の上に降り立った。


 御堂は大河の盾の上で仰向けになったまま、しばらく天井を見上げていた。それから、のろのろと身体を起こして、俺を見た。


「……泣いてんのか」


「泣いてない」


「目、真っ赤だぞ」


「鼻血のせいだ」


「鼻血で目は赤くなんねえだろ」


「なる。俺はなる」


 御堂は、ふん、と鼻で笑った。でも、それ以上は何も言わなかった。言わないでくれた、のかもしれない。


 水無瀬が、俺の手を握ったまま、そっと隣に座り込んだ。歌い終えて、くたくたになっている。それでも、スケッチブックを開いて、震える手で書いた。


『とどいた?』


「……ああ。届いた」


 水無瀬は、ほっとしたように目を閉じた。




 足音が聞こえたのは、それから少しあとだった。


 茂みをかき分けて、黒いコートが現れた。その後ろから、右足を引きずった灰原先生が、息を切らして駆けてくる。


「お前ら……! 無事か!」


 先生は俺たちを一人ずつ見回して、全員が立っているのを確かめると、その場にどさりと座り込んだ。


「……はあ。寿命が縮んだ。めんどくせえ」


 黒崎は、何も言わなかった。


 白鹿がいた場所を、見ていた。まだ宙にいくつか漂っている光の粒が、ゆっくりと天井へ昇っていくのを。


 その顔が、ほんのわずかに、動いた。


 眉が、少しだけ寄った。唇が、何かを言いかけて、閉じた。今まで一度も変わらなかった顔が、確かに、揺れた。


 ――そのとき、茂みの奥から、低い唸り声のような鈴の音が聞こえた。


〈侵入者、確認。排除〉


 普通の影だ。森狼が三匹、木々のあいだから身体を低くしてこちらをうかがっている。みんな、もう戦える状態じゃない。


 考えるより先に、喉が動いた。


〈――下がれ〉


 りぃん、と。


 森狼たちが、ぴたりと止まった。それから、くるりと向きを変えて、森の奥へ駆け去っていった。


 鼻の奥が、また熱くなった。


「……真白」


 灰原先生が、座り込んだまま俺を見ていた。キャンディの棒が、口の端で止まっている。


「お前、今の」


 答えられなかった。


 黒崎の目が、俺を見ていた。さっき白鹿の光を見ていたときと同じ、少しだけ揺れた目で。




◇ ◇ ◇




 その夜。


 研修所の大部屋で、一年生たちは泥のように眠っていた。御堂班も含めて、全員が無事だった。御堂は足首の捻挫で、念のため明日、麓の病院で診てもらうことになった。


 俺は、布団の中で眠れずにいた。


 頭はまだ痛い。でも、それより、耳の奥に残っている声のほうが気になった。


 ありがとう。


 あの声は、ずっと誰かを待っていたんだ。


 枕元を見ると、ルルが窓のほうを向いて、じっと座っていた。窓の外には、迷宮の入口がある崖が、月明かりに黒く浮かんでいる。


「……ルル。寝ないのか」


〈……〉


 返事がなかった。


 いつもなら、〈我に眠りなど不要だ〉とか、〈どら焼きを持ってこい〉とか、何かしら言う。今夜のルルは、白鹿が光になって消えていった場所のほうを、ずっと見つめていた。


 その夜、ルルは一度も、どら焼きの話をしなかった。


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