第46話 星空と、外れクラスの夜
「――でね、でね、聞いて! そしたらその店長がさ、いきなり『君、うちでバイトしない?』って言うわけ! あたし、まだ中二だったのに! ねえ、ありえなくない!?」
キャンプファイヤーの炎がぱちぱちとはぜる音より、佐伯の声のほうが大きかった。
研修所の前の広場。一年生がクラスごとに炎を囲んで座っている。五組の輪の中心で、佐伯ミナは三十分以上しゃべり続けていた。
「佐伯、息継ぎしてる?」
「してるしてる! あたし、しゃべりながら息吸えるの! 特技!」
「それ、たぶん人類には無理だ」
「翻訳くん、ツッコミ早っ! 好き!」
五組の連中は、いつの間にか俺のことを「翻訳くん」と呼ぶようになっていた。四月にはただの笑いの種だった呼び名が、今は少しだけ、違う響きになっている。……気がする。たぶん。
「あたしのスキルさ、【おしゃべり】じゃん? 説明文が『無駄口が増える』だよ。ひどくない?」
佐伯は、笑いながら言った。
「中学のときから、うるさい、うるさいって言われててさ。スキルもらったら、ほらやっぱり、って。……まあ、いいんだけどね! しゃべるの好きだし!」
その「まあ、いいんだけど」の一瞬だけ、佐伯の声が、ほんの少し小さくなった。
俺の口癖と同じ言葉だった。だから、わかってしまった。それは、ちっともよくないときに言う言葉だ。
「……う、うう……」
隣で、野々村が泣いていた。
「ご、ごめん……なんか、ミナちゃんの話、聞いてたら……泣けてきちゃって……」
「えっ、今の泣くとこ!? バイトの話だよ!?」
「わかんない……わかんないけど、泣けるの……」
野々村カナのスキルは【泣き虫】。説明文は『涙もろくなる』。本人いわく、ドラマの予告編でも泣けるらしい。
「そういや、森田は?」
誰かが言った。輪を見回す。いない。
「トイレ行くって言ってたぞ。……三十分前に」
「三十分!?」
何人かが立ち上がりかけたところで、がさがさと茂みが鳴った。
研修所とは正反対の、山の斜面のほうから、眼鏡の男子が葉っぱまみれで現れた。
「……あれ。キャンプファイヤー、こっちだったのか」
「なんで山から来るんだよ!」
「トイレの帰りに、近道しようと思ったんだけどな」
「研修所の中のトイレだろ!? どこをどう近道したら山に出るんだ!」
森田ケン。【方向音痴】。説明文は『道に迷いやすい』。迷いやすい、の範囲が広すぎる。
輪が、どっと笑いに包まれた。森田本人も、頭の葉っぱを払いながら笑っていた。
俺は、炎の向こうの顔を一つずつ眺めていた。
【おしゃべり】。【泣き虫】。【方向音痴】。
四月、大河のスキルは【大食い】だった。ひよりは【臆病】で、水無瀬は【無口】だった。鷹宮は【剣聖】で、それは心を削る名前だった。
ステータス窓の文字は、訳だ。そして、訳は間違うことがある。
……こいつらのスキルも、もしかしたら。
そう思ったけれど、口には出さなかった。一人分を読むだけで、頭が割れそうになる。それに、もし読めなかったら。期待させて、何もなかったら。
炎の向こうで、佐伯がまた何かしゃべって、野々村がまた泣いて、森田がまた笑っていた。
◇ ◇ ◇
キャンプファイヤーのあとは、星空観察の時間だった。
研修所の裏の芝生に、レジャーシートが何十枚も敷かれている。消灯までの一時間、寝転がって星を見ていい。先生たちいわく、これも「合宿の大事な行事」らしい。灰原先生は「俺は見回りだ」と言って、ベンチで寝ていた。
空を見上げて、息が止まった。
星が、多すぎる。
霞ヶ丘の空とは別物だった。黒い紙に、白い砂を思いきりぶちまけたみたいに、隙間なく光っている。真ん中を、ぼんやりと白い帯が流れていた。天の川だ。本物を見るのは、生まれて初めてだった。
〈……ほう〉
フードの中から顔を出したルルも、珍しく黙って空を見上げていた。
大河とひよりは、少し離れたシートに並んで寝転んでいた。大河が「あれ、なんて星だ?」と指さして、ひよりが「わ、わかんないです……」と答えて、二人で笑っている。たぶん、どっちも星の名前なんか一つも知らない。それでも楽しそうだった。
ふと横を見ると、水無瀬が、みんなから少し離れた芝生の端に座っていた。
膝の上にスケッチブックを広げているけれど、暗くて描けないらしい。ペンを持ったまま、空を見ている。
俺は少し迷ってから、そっちへ歩いていった。
「隣、いいか」
水無瀬は驚いたように顔を上げて、それから、こくんとうなずいた。
しばらく、二人で黙って星を見た。
黙っているのは、苦じゃなかった。水無瀬といると、いつもそうだ。言葉がなくても、隣に誰かがいる、ということだけで、ちゃんと何かが伝わっている気がする。
つん、と袖を引かれた。
水無瀬が、スケッチブックを指さしている。何か書きたいらしい。でも、暗くて字が見えない。
俺はスマホのライトをつけて、スケッチブックの上を照らした。水無瀬は、ありがとう、というように小さく頭を下げて、ペンを走らせた。
『湊くんには、私の歌、ほんとに聞こえてる?』
「聞こえてるよ」
水無瀬は、少しためらうようにペン先を紙の上で止めてから、続きを書いた。
『どんなふうに?』
どんなふうに、か。
俺は考えた。辞書なら、いくらでも読んできた。言葉なら、それなりに知っているつもりだ。なのに、水無瀬の歌をどう言えばいいのか、ちょうどいい単語が見つからなかった。
透き通っている。あたたかい。冷たい水に、春の日差しが差し込んだみたいな。頭の中で鳴っているのに、胸の奥まで届く。
どれも、少しずつ違う気がした。
「……すごく、きれいだよ」
結局、出てきたのは、いちばん簡単な言葉だった。
スマホのライトの中で、水無瀬の顔が、見る間に赤くなっていった。耳の先まで。前髪で隠そうとしているけれど、ライトの真下なので、ぜんぜん隠れていない。
……あ。
今の、言い方。
自分が何を言ったのか、遅れて理解した。歌の話だ。歌の話をしたんだ。でも、たぶん、そういうふうには聞こえていない。
「い、いや、歌が、な。歌の話な」
水無瀬はスケッチブックで顔を半分隠したまま、こくこくこくとうなずいた。うなずきが速すぎる。
フードの中で、ルルが〈ふん〉と鼻を鳴らした。
〈湊。お前、今、顔が熱いぞ。我の毛が焦げる〉
「……黙ってろ」
水無瀬が、スケッチブックの陰から、ちらりとこっちを見た。それから、ページの隅に、とても小さな字で何か書いた。ライトを向ける前に、さっと手で隠されてしまったけれど。
――ふと、視線を感じた。
顔を上げる。芝生のずっと向こう、一組のシートが並ぶあたりに、膝を抱えて座っている人影があった。
ポニーテール。鷹宮だ。
こっちを見ていた。目が合った、と思った瞬間、鷹宮はすっと空を見上げた。最初から、ずっと星を見ていたみたいに。
そのさらに向こう、研修所の裏口の石段に、もう一つ人影が座っていた。スマホの画面の光が、明るい茶髪を照らしている。御堂だ。一人で、画面をじっと見つめていた。星は、一度も見上げていなかった。
気づけば、消灯時間を過ぎていた。
先生たちが「延長は三十分だけだぞ」と言ったせいで、何人かはシートの上で寝てしまっていた。
大河とひよりのシートを見ると、ひよりが大河の肩にもたれて眠っていた。大河は、石像みたいに固まっていた。
「……湊。オレ、動けねえ」
小声で、大河が言った。
「動かなきゃいい」
「腕がしびれてきた……でも動いたら起きちまう……」
「がんばれ」
「お前、他人事だと思って……」
他人事だけど、ちょっと応援したい他人事だった。
そのとき。
ひよりの身体が、びくん、と跳ねた。
眠っていたはずの目が、大きく見開かれている。大河の肩から跳ね起きて、芝生に手をついたまま、迷宮の入口のある崖のほうを振り返った。
顔が、真っ青だった。
「……何か、来る」




