第40話 並び立つ者
表彰台というものに、生まれて初めて上った。
校庭の正面に組まれた、木の台。いちばん高い段に、俺たち四人が並んで立っている。正直、四人で立つには少し狭い。大河の肩が、ずっと俺の頭に当たっている。
「――新人戦、優勝。一年五組、ルビ」
鶴見校長が、マイクの前で、少しだけ言いにくそうに読み上げた。
次の瞬間、校庭の一角が爆発した。
「うおおおおお! ルビーーー!」
「五組ーーー! 五組が優勝したぞーーー!」
「翻訳くーーーん! 犬飼くーーーん! ひよりちゃーーーん! 水無瀬さーーーん!」
五組のクラスメイトたちだった。佐伯が例の真っ赤な横断幕を振り回し、森田が眼鏡を曇らせて叫び、野々村が「よがっだああ」と号泣している。委員長の藤堂は、拍手をしながら一生懸命に跳ねていた。……けど、正直、ほとんど目立っていない。
それにつられるように、校庭のあちこちから拍手が起きはじめた。最初はまばらに。それから、少しずつ大きく。
二組の狩野が、腕を組んだまま、小さく手を叩いていた。三組の真鍋は、両手を口に当てて「犬飼ーっ!」と叫んでいた。
「……な、なんか、すごいことになってます……」
小日向が、俺の袖をつかんで震えていた。泣くのか笑うのか、決めかねている顔だった。
「おう……オレら、マジで優勝したんだな……」
大河の声も、少し震えていた。
水無瀬は、表彰台の上で、ぎゅっとスケッチブックを抱きしめていた。全校の視線が、こっちを向いている。いつもなら、水無瀬はこういうとき、誰かの背中に隠れる。
でも、今日の水無瀬は、隠れなかった。
前髪の奥で、まっすぐ前を向いていた。
「優勝パーティには、多摩川迷宮、C級、全二十層の探索許可証を授与する」
校長から、俺は一枚の書類を受け取った。迷宮庁の印が押された、厚い紙だった。
多摩川迷宮。霞ヶ丘より、ずっと深い迷宮。
一段、降りられる。
表彰台の端、二位の段には、誰も立っていなかった。御堂班は、表彰式に出てこなかった。
表彰式が終わって、台から降りると、放送席のテントの前に、灰原先生が立っていた。
キャンディをくわえて、いつものだるそうな顔で。
「……あー」
先生は、俺たち四人を、一人ずつ見た。大河。小日向。水無瀬。それから、俺。
「やるじゃねえか」
それだけだった。
それだけなのに、小日向が、とうとう泣きだした。大河が「先生ーっ!」と抱きつこうとして、「暑苦しい」とキャンディの棒でおでこを突かれた。水無瀬は、深々と頭を下げた。
俺も、頭を下げた。
「先生。……短剣、ありがとうございました。あれがなかったら、御堂の一撃、流せませんでした」
「知るか。お前が自分で流したんだろ」
先生は、ぷいと横を向いた。
がりっ、と、キャンディを噛む音がした。
〈……照れておるな、飴の男〉
フードの中で、ルルがくすくす笑った。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、部室の扉が、こん、と一回だけ鳴った。
昨日と同じ、たった一回のノック。
開けると、鷹宮が立っていた。
制服姿だった。顔色は、まだ少し白い。でも、昨日までの、紙みたいな白さとは違った。頬に、ほんのりと、人の肌の色が戻っていた。
「……もう、大丈夫なのか」
「春日先生に、三回止められた。四回目で、出てきた」
「それは、大丈夫って言わない」
「平気」
鷹宮は、部室の中に入ってきた。
大河が、慌ててパンの袋を背中に隠した。小日向が、「ど、どうぞ」と椅子を引いた。水無瀬は、スケッチブックを胸に抱いたまま、じっと鷹宮を見ていた。
鷹宮は、椅子には座らなかった。部室の真ん中に立って、俺たち四人を、ゆっくりと見回した。
「……今日は、ありがとう」
小さな、でも、はっきりとした声だった。
「医務室のモニターで、見てた。最後まで」
「……そうか」
「御堂に勝つところも」
鷹宮は、少しだけ目を伏せた。
「私は、ずっと、独りで戦うのが正しいと思ってた。お祖父様にも、教官にも、そう教わった。窓にも、そう書いてあった。……でも、違った」
白い指先を、胸の前で、そっと握る。
「あのとき、あなたたちが並んでくれたとき。凍っていたものが、溶けた。剣が、軽かった。……背中に、翼があった」
鷹宮は、顔を上げた。
切れ長の目が、まっすぐに俺を見た。
「だから――」
一度、息を吸う。
「私を、ルビに入れてほしい」
部室が、しんと静まりかえった。
「クラスは一組のまま。迷宮庁の訓練も、続けなきゃいけない。だから、毎日は来られないかもしれない。それでも」
鷹宮の声が、ほんの少しだけ揺れた。
「あなたたちと並んで、剣を振ってみたい」
俺は、答えようとして――その前に、大河が立ち上がっていた。
「いいに決まってんだろ!」
でかい声だった。旧校舎じゅうに響いたと思う。
「なあ、いいよな!? 湊! ひより! 水無瀬!」
「は、はいっ! もちろんですっ!」
小日向が、何度もうなずく。水無瀬が、スケッチブックをくるりと回した。
『鷹宮さん、ようこそ』
その横には、刀を構えたポニーテールの女の子の絵が、もう描いてあった。背中に、小さな氷の翼がついている。
……いつの間に描いたんだ。
鷹宮は、そのページを見て、ぱちぱちとまばたきをした。
三人の目が、俺に集まった。最近、本当に、こういうことが多い。
「……まあ、いいけど」
俺は、机の引き出しから、ルビの登録用紙を取りだした。部員欄の、四人の名前の下。まだ、二人分の空欄がある。
「ここに、名前、書いといてくれ。灰原先生の判子は、明日もらってくる」
鷹宮は、ペンを受け取った。
そして、筆で書いたみたいに達筆な字で、五人目の名前を書いた。
――鷹宮凛。
〈剣の娘ーーー!〉
次の瞬間、棚の上から、白い毛玉が一直線に飛んできた。
鷹宮の胸に、まっすぐ激突する。
〈よくぞ来た! よくぞ来たぞ、剣の娘! ここは我が城である! 今日から、お前も我の下僕だ!〉
「……ルル」
鷹宮は、両手でルルを受け止めて、それから、ぎゅうっと抱きしめた。
〈ぐ、ぐるし……ま、まあ、よい! 今日は特別に、好きなだけもふるがよい!〉
ルルの許可が出る前から、鷹宮はもう、もふっていた。頭を撫で、背中を撫で、おなかのいちばんふかふかしたところに、顔を半分うずめている。
「……あったかい」
ルルの毛の中で、鷹宮が、くぐもった声で言った。
あの夜、コンビニの前で聞いたのと、同じ言葉だった。でも、声の温度が、まるで違っていた。
「鷹宮さん、ルルちゃん、すっごく好きなんですね……」
「……別に」
小日向の言葉に、鷹宮はルルに顔をうずめたまま答えた。手は、一秒も止まらなかった。
大河が吹き出して、小日向が笑って、水無瀬が肩を震わせた。
鷹宮が、ルルの毛から、ゆっくりと顔を上げた。
その口元に、浮かんでいた。
ほんの少しだけ。注意して見なければ、気づかないくらいに。でも、確かに――笑っていた。
「……ありがとう、真白」
俺に向けて、そう言った。
「……礼を言われるようなことは、してない。読んだだけだ」
「それでも」
鷹宮は、ルルを抱いたまま、もう一度、小さく笑った。
窓の外では、梅雨の雲の切れ間から、夕日が差しこんでいた。オレンジ色の光が、部室の床に、五人分の影を並べて落としていた。
◇ ◇ ◇
都心の、大きな屋敷だった。
十二人がけの長いテーブルの端で、御堂海斗は、手をつけていない夕食を前に座っていた。
扉が開き、背広姿の男が入ってきた。御堂玄十郎。迷宮庁長官。白髪まじりの短い髪を、きっちりと撫でつけている。
「父さん――」
海斗が立ち上がる。玄十郎は、テーブルの反対の端で足を止めた。息子のほうを、まっすぐには見なかった。
「決勝の映像は、見た」
穏やかな声だった。いつもと、何も変わらない。
「お前は勇者だ。二度と負けるな」
それだけ言って、玄十郎は踵を返した。
海斗は、何か言おうとして、口を開いたまま、閉じた。扉が閉まる。長いテーブルに、また一人だけが残された。
廊下の先の書斎には、黒いコートの男が待っていた。
「報告を」
「はい」
黒崎冬馬は、手元の端末に、決勝戦の映像を映しだした。氷の嵐。凍りついた少女の手を握る、五組の少年。そして、少女の背中に広がる、氷の翼。
「本日付で、鷹宮凛がルビに加入しました。特別育成生の訓練は継続するとのことです」
黒崎は、映像を一時停止した。
画面の中で、少年の唇が動いている。中継の集音装置が、その声を拾っていた。
――お前のスキルは【剣聖】じゃない。【比翼の剣】だ。
「……真白湊の能力は、スキルの真名の読解と見て間違いありません」
玄十郎は、何も言わなかった。
ただ、一時停止された画面の中の少年を、長いあいだ、静かに見つめていた。
窓の外で、梅雨の雨が、音もなく降りはじめていた。




