第39話 外れが、勇者に勝つ日
三対四。
数字だけなら、こっちが有利だ。でも、向こうの三人は、【勇者】のSランクと、【怪力】と【俊足】のAランク。こっちの四人は、Eが三人とFが一人。しかも、全員が、さっきの吹雪で体の芯まで冷えきっている。
有利なんて、どこにもない。
「犬飼。お前の母ちゃんから、差し入れだ」
再開までの十五分。陣地の岩陰で休んでいた俺たちのところに、灰原先生が大きな紙袋をぶら下げてやってきた。
「さっき、校庭まで届けに来たらしい。……あと、これ。学校の予備の盾だ。ボロいけど、ないよりマシだろ」
「母ちゃん……!」
大河は紙袋を受け取るなり、中身を確かめもせずにおにぎりを取りだして、かぶりついた。一個。二個。三個。
「味わえよ」
「ふぁひわっへる!」
「飲みこんでから喋れ」
七個目を食べ終えたところで、大河は、ぷはあっと息を吐いた。顔に、ようやく血の色が戻っていた。
「……よし。溜まった」
灰原先生は、それを見届けてから、俺のほうを向いた。
「真白」
「はい」
「さっきの、鷹宮のやつ。……あとで、ゆっくり聞かせろ」
キャンディの包みを、指先でほどく。先生の手が、ほんのわずかに震えているように見えた。
「今は、勝ってこい」
◇ ◇ ◇
『――試合、再開!』
審判の声と同時に、俺は作戦を口にした。
「御堂は、たぶん俺を狙ってくる。指示を出してるのが俺だって、向こうもわかってる。権藤と細川は、こっちの旗に来る」
「オレが権藤だな」
「ああ。小日向は、細川」
「は、はいっ……! 足の速い人、こわいですけど……!」
「速くても、来る場所がわかれば、当てられる。お前ならできる」
小日向が、ぎゅっと短弓を握りしめて、うなずいた。
「水無瀬は、俺と来てくれ。……向こうの旗を、取りにいく」
水無瀬が、こくりとうなずいた。フードの中で、ルルが〈行け、湊〉と小さく鳴いた。
〈侵入者、確認。東、三。……二、こちらへ。一、動かず〉
氷が消えて、空洞にはまた、洞蝙蝠たちが戻ってきていた。その声が教えてくれる。二人がこっちに来て、一人が向こうに残っている。
動かない一人。
――御堂は、旗を守っている。
石の森を抜けた先、東の陣地の手前で、御堂が待っていた。
剣を抜いている。【勇者】の光が、剣と体を、金色に包んでいた。
「来たか、翻訳野郎」
御堂の声は、低かった。
「お前さえ潰せば、終わりだ」
背後で、轟音が響いた。
「【蓄積】――解放ッ!」
「ぐおおっ!?」
大河と権藤が、正面からぶつかったのだ。続けて、小日向の悲鳴。
「ひゃっ! 【先触れ】……来ます! 後ろ――じゃなくて、右っ!」
空を切る矢の音。それから、細川の「うわっ!?」という声。
振り返る余裕はなかった。
御堂が、踏みこんできた。
速い。
金色の剣が、空気を裂いて迫ってくる。俺は、ほとんど勘だけで横に跳んだ。剣が、さっきまで俺の肩があった空間を通り過ぎていく。
人間は、迷宮語を話さない。
だから、御堂の予告は聞こえない。影みたいに、〈右から斬る〉なんて親切に教えてはくれない。
「逃げ回ってんじゃねえ!」
二撃目。灰原先生の短剣を抜いて、刃の背を、金色の剣にかすらせる。受けない。流す。腕がびりびりと痺れたけれど、剣の軌道は、俺の体から少しだけ逸れた。
三撃目、四撃目。俺は、下がりながら、必死に流し続けた。
「外れ風情が!」
御堂が叫んだ。
その直後、剣が、大きく振りかぶられた。
俺は、反射的に左に転がっていた。金色の刃が、石筍の一本を、根元から斬り飛ばす。
――今の。
「お前みたいな外れがいるから……!」
叫ぶ。振りかぶる。大振りの一撃。俺は、身をかがめる。剣が、頭の上を通り過ぎていく。
……そうか。
わかった。
御堂は、叫んでから、斬っている。
「外れ風情が」と言った直後に、一番大きな一撃が来る。言葉が荒くなればなるほど、剣が大きく、まっすぐになる。まるで、自分の言葉に、背中を押されているみたいに。
影は、命令文で動く。
御堂は――たぶん、怖さで動いている。
「外れ風情が」。その言葉の裏側にあるものを、俺は、なんとなく知っていた。合同踏破の日、五層のボス部屋で、剣を取り落としたまま動けなくなっていた御堂。さっき、吹雪の中で、「止めるな」と悲鳴みたいに叫んでいた御堂。
訳すなら、こうだ。
――負けたくない。
――負けたら、俺には何も残らない。
――怖い。
「御堂」
俺は、短剣を構えたまま、言った。
「お前、怖いんだろ」
御堂の顔が、凍りついた。
次の瞬間、真っ赤に染まった。
「――ふざけんなッ!」
来る。叫んだ直後。まっすぐ、上から。
俺は、半歩だけ右にずれた。金色の剣が、俺の左肩の横を、紙一重で通り過ぎていく。風圧だけで、探索服の袖が裂けた。
でも、当たらなかった。
「……っ、なんで、当たらねえ……!」
御堂の息が、荒い。剣の光は、まだ強い。【勇者】のSランクは、伊達じゃない。このまま流し続けても、いつかは捕まる。俺の腕も、もう限界に近かった。
だから。
「水無瀬!」
石の森の陰で、水無瀬が、うなずいた。
「この辺り、全部――静かにしてくれ!」
水無瀬が、目を閉じた。
〈しずかに、ねむれ、かぜよ、ねむれ〉
澄んだ歌が、空洞に広がっていく。
空気が、すうっと静かになった。肌にまとわりついていた、ざわざわした感じが、凪いでいく。迷宮の空気そのものが、深く息を吐いて、眠りにつくみたいに。
そのとき、俺は見た。
御堂の体を包んでいた金色の光が――揺らいだ。
ろうそくの炎が、風もないのに、ふっと細くなるみたいに。ほんの一瞬だけ、光が弱まった。
「……っ!? なんだ、力が――」
御堂の剣が、目に見えて遅くなった。
御堂自身が、一番驚いた顔をしていた。自分の手を見下ろして、何が起きたのかわからない、という顔で。
……なんだ、今の。
水無瀬の歌は、荒ぶるものを鎮める。でも、今、歌が鎮めたのは、御堂じゃなくて、この場所の空気のほうだった。それなのに、御堂の光が弱まった。
まるで、周りの何かを吸いこんで光っていたものが、その「何か」ごと、静まってしまったみたいに。
考えるのは、あとだ。
俺は、地面を蹴った。
御堂の脇を、すり抜ける。御堂が振り向く。剣が、追ってくる。でも、さっきまでの速さはない。
東の陣地の奥。台座の上に、青い旗が立っている。
あと、五歩。三歩。
背中に、御堂の気配が迫る。
「待て――!」
俺は、旗の柄をつかんだ。
引き抜いた。
『――決着!』
天井から、審判の声が響いた。
『勝者、ルビ! 新人戦、優勝は――五組、ルビです!』
その瞬間、何が聞こえたのか、よく覚えていない。
空洞の向こうから、大河の雄叫びが聞こえた気がする。小日向の泣き声も。地上の校庭から、天井を突き抜けて、歓声が届いたような気もした。そんなはずはないのに。
あとで聞いた話だと、ちょうど同じころ、大河は権藤を正面から押し倒していて、小日向の矢は、五秒先に走りこんでくる細川の胸の符に、吸いこまれるように当たっていたらしい。二人とも、自分の相手に、ちゃんと勝っていたのだ。
水無瀬が、石の森の陰から駆けてきた。スケッチブックを広げる暇もなかったのか、ただ、両手で俺の袖をぎゅっとつかんで、何度も何度もうなずいた。
〈……湊。勝ったぞ。勝ったのだぞ〉
フードの中で、ルルが、ぽんぽん跳ねていた。
俺は、旗を握ったまま、振り返った。
御堂が、立ちつくしていた。
金色の光は、もう消えていた。剣を下ろしたまま、俺の手の中の旗を、じっと見ている。その顔は、怒っているようにも、泣きだしそうにも見えた。
「……ありえない」
かすれた声が、こぼれた。
「外れどもに」
◇ ◇ ◇
校舎の一階の医務室には、小さなモニターが一台だけ置かれていた。
白いカーテンで仕切られたベッドの上で、鷹宮凛は、毛布にくるまったまま、その画面を見つめていた。
画面の中では、旗を握った五組の男子が、泣きじゃくる小柄な女子と、雄叫びを上げる大柄な男子と、スケッチブックを抱えた女子にもみくちゃにされていた。その男子のフードから、白い毛玉が、ちらりと顔をのぞかせている。
「……鷹宮さん、まだ寝てなきゃだめよ」
カーテンの向こうから、養護教諭の春日が声をかけた。
「……はい」
凛は、返事だけして、画面から目を離さなかった。
毛布の下で、指先を、そっと握る。
まだ、少し冷たい。でも、さっきまでの、何も感じない冷たさではなかった。握った指の中に、誰かの手の温度が、まだかすかに残っている気がした。
画面の中で、五組の男子が、困ったような顔で、仲間たちに揉まれている。
凛の口元が、ほんの少しだけ、ゆるんだ。
それは、彼女が自分でも忘れかけていた――小さな、小さな、笑顔だった。




