第31話 新人戦、開幕
ぽん、ぽん、と、梅雨の晴れ間の青空に、白い煙の花火が二つ咲いた。
六月二十日、金曜日。朝の九時。
霞高の校庭には、ほとんど全校生徒が集まっていた。正面には、運動会でも見たことのない大きさのモニターが三枚。体育館にも同じものがあって、そちらにも人があふれているらしい。
『さあ、始まりました! 霞ヶ丘高校、一年生新人戦! 実況は放送部二年、梶原がお送りします!』
スピーカーから、やたらと元気な声が響いた。
『そして解説には、なんと一年五組担任の灰原先生にお越しいただいております! 灰原先生、よろしくお願いします!』
『あー……なんで俺なんだよ』
校庭のあちこちで、どっと笑いが起きた。モニターの端に、放送席でキャンディをくわえたまま頬杖をつく灰原先生が映っている。……先生、たぶんくじで負けたんだろうな。
「すげえな……マジで全校が見てんのか」
大河が、ぽかんと口を開けてモニターを見上げた。
俺たちは、校庭の隅の「出場者待機所」と書かれたテントの中にいた。全員、学校貸し出しの探索服。首からは、細い紐で、手のひらくらいの大きさの木札を下げている。
身代わり符だ。
表面には、迷宮文字に似た細かい模様が彫りこまれている。一定以上のダメージを受けると、この札が持ち主の代わりに衝撃を受けて、光る。光ったら、その時点で戦闘不能。
俺はなんとなく、札の模様を読もうとしてみた。……ほとんど読めなかった。迷宮文字に似ているけれど、どこか形が崩れている。人間が、見よう見まねで写したものなのかもしれない。
「ひゃ、ひゃあ……ひゃあ……」
隣で、小日向が小刻みに震えていた。短弓を握る手が、白くなっている。
「小日向、息、吸え」
「す、吸ってます……吸いすぎて、苦しいです……」
「じゃあ吐け」
「は、はいっ……ふうううう……」
水無瀬は、スケッチブックを胸に抱えて、じっと地面を見つめていた。前髪の奥の顔が、少しこわばっている。
全校生徒が見ている。声が出ない水無瀬にとって、大勢の視線は、たぶん俺たちが想像する何倍も重い。
「水無瀬」
水無瀬が、顔を上げた。
「迷宮に入ったら、見てるのは撮影球だけだ。……あと、俺たち」
水無瀬は、しばらく俺を見ていた。それから、スケッチブックに小さく書いた。
『湊くんたちだけ、見てる』
そして、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
〈うむ。我も見ておるぞ、歌の娘〉
フードの中から、ルルが顔を出しかけた。俺はそっと押しこんだ。今日は全校の前だ。さすがに、出てこられると困る。
『Aブロック第一試合! ルビ、対、火野班! 両パーティは、入場してください!』
◇ ◇ ◇
霞ヶ丘迷宮、第六層。第一区画。
試合用に区切られたその場所は、俺たちが特訓で通っていた六層とは、少し様子が違っていた。通路の要所要所に、迷宮庁の職員が設置した光る杭が打たれていて、そこから先には出られない。
頭上には、拳くらいの大きさの、銀色の球がいくつも浮かんでいた。撮影球だ。俺たちの動きに合わせて、ふわふわと音もなくついてくる。
陣地のいちばん奥に、旗が一本立っていた。赤い布に、白く「ルビ」と書いてある。
『――試合、開始!』
区画の天井のどこからか、審判の声が響いた。
「よし、行くぞ! どっから来る!?」
大河が盾を構えて、前に出ようとする。
「待て」
俺は、目を閉じた。
人間は、迷宮語を話さない。だから、相手の予告は聞こえない。それは、特訓のあいだずっと考えてきた弱点だ。
でも、この区画には――影がいる。
〈侵入者、確認。東の通路、三〉
天井の暗がりから、鈴の音が降ってきた。洞蝙蝠だ。区画のあちこちにぶら下がっていて、近くを通る者を、片っぱしから「侵入者」として数えている。
〈侵入者、確認。中央の広間、二〉
今度は、岩蜥蜴の声。
――聞こえる。
「東の通路に三人。中央の広間に二人。相手は二手に分かれてる」
「え、わかんのか!?」
「影が、見張り番をしてくれてる」
影の命令文は、近くにいる「侵入者」の数と方向を、勝手に読み上げてくれる。区画の中にいる影は、全部、俺の耳だ。
「旗の近くにも洞蝙蝠がいる。誰かが近づいたら、あいつが鳴く。だから、旗に見張りは置かなくていい。全員で行く」
大河が、にやっと笑った。
「お前、ずりいな!」
「褒め言葉として受け取っとく」
東の通路の三人は、遠回りして、俺たちの旗を狙っているらしかった。
なら、こっちは中央の二人を叩いて、そのまま相手の旗まで突っ切る。ひとりも欠けずに、最短で。
〈侵入者、確認。前方、二。……一、魔力、上昇〉
中央の広間の手前で、天井の洞蝙蝠がそう告げた。
魔力、上昇。
「大河、盾! 何か撃ってくる!」
叫んだのと同時に、広間の奥で、赤い光が膨らんだ。
「【火球】――いっけえええ!」
四組の火野だった。突き出した両手の前に、バスケットボールほどの火の玉が渦を巻いている。熱気が、通路のこっちまで押し寄せてきた。
火の玉が、放たれた。
大河が盾を構える。間に合う。でも、あの大きさだと、盾の縁から炎が回りこむ――
そのとき、背中のほうで、空気がすっと静かになった。
〈ほのおよ、ねむれ、あかい、こどもよ〉
水無瀬の歌だった。
部室で、何度も練習していた歌。俺が訳して、水無瀬が横に小さく書き添えた、あの歌詞。
澄んだ旋律が、通路を抜けて、広間へ広がっていく。
火の玉が、揺らいだ。
渦を巻いていた炎が、ふっと勢いをなくす。まるで、ぐずっていた子どもが、背中をとんとんと叩かれて、まぶたを落としていくみたいに。火の玉はみるみる小さくなって――大河の盾に届く前に、ろうそくの火を吹き消したように、ぽしゅ、と消えた。
あとには、焦げくさい匂いと、細い煙が一筋だけ残った。
「……は?」
広間の奥で、火野が自分の手のひらを見つめていた。
「え、ちょ、オレの火球……え? なんで?」
隣にいた、がっしりした体格の男子――たぶん【頑丈】の大塚――も、ぽかんと口を開けている。
今だ。
「大河、正面! 小日向、右の奴の足元!」
「おうっ!」
「は、はいっ!」
大河が盾ごと突っこみ、大塚を正面から押しこんだ。小日向の矢が、火野の足元の岩に突き刺さって、彼の体勢を崩す。そこへ大河の盾の縁が、軽く火野の肩に当たった。
火野の胸元で、身代わり符が、ぱっと白く光った。
『四組、火野、戦闘不能!』
〈侵入者、確認。後方、三。旗に、接近〉
――来た。旗の近くの洞蝙蝠の声だ。東の通路の三人が、俺たちの陣地に着いた。
「大河、もう一人、いけるか!」
「任せろ! 【蓄積】!」
大河が、足を踏みしめた。昼に食べた弁当の分だけ、体の芯に溜めた力を、ほんの少しだけ肩に乗せる。大塚の体が、盾ごとぐらりと傾いた。
『四組、大塚、戦闘不能!』
「旗だ、急げ!」
俺たちは、広間を駆け抜けた。小日向が「【先触れ】……来ます!」と叫び、岩陰から飛び出してきた岩蜥蜴を、大河が盾で弾き飛ばす。区画の奥に、青い旗が見えた。
大河が、旗の柄を両手で握った。
そして、台座ごと引っこ抜いた。
「……台座ごと抜くな!」
「あっ」
『――決着! 勝者、ルビ!』
◇ ◇ ◇
地上に戻ると、迷宮管理棟の前は、ちょっとした騒ぎになっていた。
「ねえねえねえ! さっきの何!? 火の玉、消えたよね!? ぽしゅって! ぽしゅって消えたよね!? 会場、めっちゃざわざわしてたよ!? 解説の灰原先生、『……あー』しか言ってなかったけど!」
出口で待ち構えていた佐伯が、マシンガンみたいにしゃべり倒してきた。その後ろに、森田と早乙女と、ほかにも何人か、五組の顔が並んでいる。
「水無瀬さんが、なんかしたの!?」
水無瀬が、さっと俺の背中に隠れた。……やっぱり、俺の背中は人気がある。
「……歌、みたいなもんだよ」
「歌!? 歌ってた!? 声、聞こえなかったけど!?」
「聞こえない歌なんだ」
「なにそれ、かっこいい!」
佐伯の向こうで、森田が「犬飼が叫んでた『蓄積』って、技名?」と首をかしげていた。早乙女は「台座ごと抜いたの、ウケた」と笑っている。
騒がしい。でも、悪い騒がしさじゃなかった。
背中で、水無瀬がスケッチブックをかさりと鳴らした。振り返ると、小さな字で書いてあった。
『歌、とどいた』
「ああ。ちゃんと届いてた」
水無瀬は、前髪の奥で、ほっとしたように笑った。
『Aブロック第二試合、決着! 勝者、真鍋班!』
スピーカーから、梶原先輩の声が響いた。
校庭のモニターに、一人の男子が映っていた。
でかい。大河ほどではないけれど、横幅がすごい。分厚い胸板に、四角い顔。両腕で、扉みたいな大きさの盾を抱えている。その盾には、傷一つついていないように見えた。
『三組最強と名高い、真鍋堅吾率いる真鍋班! なんと、相手の攻撃を一度も通さずに完封勝利です! ルビとの二回戦が、今から楽しみですね、灰原先生!』
『あー……楽しみじゃねえよ。胃が痛え』
モニターの中の真鍋が、撮影球に向かって、ゆっくりと顔を上げた。
まるで、画面越しに、俺たちを見ているみたいに。




