第30話 読ませてくれ
「断るわ」
昼休みの屋上へ続く階段の踊り場で、鷹宮は、俺の顔を見るなりそう言った。
昨日の夜、コンビニの前で、鷹宮は俺の頼みに答えなかった。ルルを俺の手に返して、空になったココアの缶を握ったまま、黙って駅のほうへ歩いていった。
そして今朝、俺の下駄箱に、一枚のメモが入っていた。
『昼休み、屋上の階段。鷹宮』
……果たし状かと思った。字が、筆で書いたみたいに達筆だったので。
「理由、聞いてもいいか」
「私のスキルはSランク」
鷹宮は、腕を組んで壁にもたれていた。顔色は、昨日よりはましだった。でも、目の下の影は消えていない。
「迷宮庁の鑑定盤が判定して、研究者が何十年もかけて作った基準と照らし合わせて、それで決まったランク。誤訳なんて、ありえない」
「大河たちのも、同じ鑑定盤で判定されたんだぞ」
「それは……」
鷹宮の言葉が、一瞬詰まった。でも、すぐに首を振った。
「それに」
組んだ腕に、ぎゅっと力がこもるのが見えた。
「【剣聖】は、私の全部なの」
静かな声だった。
「物心ついたときから、剣しかなかった。友達と遊ぶ時間も、ほかにやりたかったことも、全部、剣に使ってきた。天啓の日に、窓に【剣聖】って出たとき……それが、間違ってなかったって、言ってもらえた気がした」
鷹宮は、ほんの少しだけうつむいた。
「それを、違うって言われたら。私の今までは、何だったの」
俺は、何も言えなかった。
言いたいことは、山ほどあった。凍っていく指先のこと。忘れていく好きなもののこと。窓の言葉を信じて、自分を削っていくのは違うんじゃないかってこと。
でも、それを全部ぶつけたところで、鷹宮の窓が開くわけじゃない。読むのは、本人が開示してくれたときだけだ。そして、それを決めるのは、俺じゃない。
「……わかった」
鷹宮が、少しだけ驚いたように顔を上げた。
「無理には読まない。……でも、気が変わったら、いつでも言ってくれ。部室は、たいてい誰かいるから」
「変わらない」
「そうか」
「……ルルには、会いに行くかもしれないけど」
「それは別にいい」
鷹宮は、ふいと顔をそむけて、階段を上っていった。屋上の扉が開いて、閉まる。一人で昼を食べるのだろうか、と、なんとなく思った。
◇ ◇ ◇
「あー。お前ら、これ」
放課後、部室の扉を開けるなり、灰原先生が紙の束を机に放った。
「新人戦の細けえ決まりだ。顧問が配れってよ。……めんどくせえから、読んどいてくれ」
それだけ言って、先生はすぐに出ていった。滞在時間、五秒。
残された紙には、ぎっしりと規則が並んでいた。俺は、大事なところだけ声に出して読んだ。
「試合時間は三十分。時間切れになったら、残ってる人数が多いほうの勝ち。旗は、それぞれの陣地のいちばん奥に一本ずつ。台座から引き抜いた時点で、奪ったことになる」
「引っこ抜けばいいのか。わかりやすいな!」
「区画の中には、撮影用の『撮影球』が何個も浮いてる。それで、全部の動きが中継される。……あと、配置される影は、どっちの陣地にも同じくらいの数」
「ぜ、全部、見られてるんですね……」
小日向が、ごくりと唾を飲んだ。水無瀬も、少しだけ肩をこわばらせた。
俺は、規則の紙を机の真ん中に置いて、黒板の前に立った。
「――で、作戦会議だ」
黒板には、もう俺の字で、四人分の名前が書いてあった。
御堂海斗【勇者】S。
鷹宮凛【剣聖】S。
権藤【怪力】A。
細川【俊足】A。
「改めて見ると、えげつねえな……」
大河が、腕を組んでうなった。小日向は黒板を見ただけで、もう半分涙目になっている。
「Sが二人、Aが二人。一年の中じゃ、まず間違いなく最強の班だ。新人戦の優勝候補筆頭」
〈ふん。名前が強そうなだけであろう〉
机の上で、ルルが鼻を鳴らした。……お前が言うと、妙に説得力がある。
「御堂の【勇者】は、全部の能力に補正がかかる。剣も速いし、力も強い。権藤は見た目どおりの怪力。細川は、とにかく足が速い」
「権藤が怪力で、オレも怪力。つまり互角だな!」
「お前は、食わないと怪力じゃないだろ」
「……試合前に食う!」
「で、問題は」
俺は、チョークで鷹宮の名前を丸く囲んだ。
「鷹宮だ」
三人の視線が、黒板の一点に集まった。
「合同踏破のとき、あいつは一人で石守と戦ってた。御堂も権藤も細川も動けなくなってたのに、一人だけ。……あれと正面からぶつかったら、たぶん、俺たちじゃ止められない」
「オレの盾でも?」
「お前の盾は、石守の拳を止めた。でも、鷹宮の剣は、拳より速い。止める前に、横から抜かれる」
大河が、ぐっと黙った。
「たぶん、あいつは開始と同時に一人で突っこんでくる。チームの作戦とか関係なく。あいつの窓に、『単独行動時、全能力が上昇する』って書いてあるから」
「じゃ、じゃあ、どうするんですか……?」
小日向が、震える声で聞いた。
「正直、まだわからない。でも――」
俺は、黒板の四人の名前を、もう一度見た。
「御堂の班は、四人の『班』じゃない。一人と、三人だ。鷹宮は、誰とも組んでない。御堂は指示を出したがってるけど、鷹宮は聞かない。権藤と細川は、御堂の顔色ばっかり見てる」
「……バラバラ、ってことか?」
「ああ。強いけど、バラバラだ。そこに、隙がある。……かもしれない」
「かもしれない、かよ」
「かもしれない、だ」
大河が「まあ、そんなもんだよな」と笑った。小日向も、少しだけ肩の力を抜いた。
こつこつ、と机を叩く音がした。
水無瀬が、スケッチブックをこちらに向けていた。
『鷹宮さん、さみしそう』
部室が、少し静かになった。
「……水無瀬も、そう思うか」
水無瀬は、こくりとうなずいた。それから、ペンを走らせる。
『いつも、ひとりでいる。お昼も、移動教室も。廊下ですれちがうとき、だれのことも見てない』
そこで、ペンが少し止まった。
『わたしも、中学のとき、ずっとひとりだったから。わかる気がする』
小さな、丁寧な字だった。
『ひとりでいるのが平気な人と、平気なふりをしてる人は、ちがう顔をしてる』
俺は、昼休みの踊り場の、鷹宮の顔を思い出した。屋上へ一人で上がっていく背中。
「……鷹宮は、どっちだと思う」
水無瀬は、迷わずにページの端を指さした。
『平気なふり』の、ほうだった。
「なあ」
大河が、ぽんと手を打った。
「いっそ、鷹宮もルビに誘っちまえばいいんじゃね?」
「向こうの班だろ」
「あ、そっか」
大河はあっさり引き下がった。でも、水無瀬は、その言葉をスケッチブックの隅に、小さく書き留めていた。
〈……我も、それがよいと思うぞ〉
ルルが、ぽつりとつぶやいた。俺は聞こえないふりをした。
◇ ◇ ◇
組み合わせが発表されたのは、その三日後だった。
昇降口の掲示板に、大きな模造紙が貼りだされた。トーナメント表だ。一年生から、全部で十六のパーティがエントリーしている。
「どこだ、どこだ……あった!」
大河の指が、表の左端をさした。
『Aブロック 第一試合 ルビ(五組) 対 火野班(四組)』
「一回戦、四組か……」
「ルビって書いてある! ほんとに五組の名前がある! ねえ翻訳くん、横断幕の色、何色がいい!? やっぱり赤!? ルビーだから赤!?」
「ルビーじゃない。あと横断幕はいらない」
いつの間にか隣にいた佐伯が、俺の袖を引っぱりながらしゃべり倒していた。……どこから湧いたんだ。
「た、たぶん、まだ、なんとか……」
小日向が、祈るように両手を組む。俺は、表の線を目で追った。
一回戦を勝てば、二回戦――準々決勝。その相手は、たぶん三組の真鍋班だ。三組で一番強いと噂されている。その先が準決勝、二組のどこか。
そして。
俺の目は、表のいちばん右端で止まった。
『Bブロック 第八試合 御堂班(一組) 対 ――』
反対側だ。
左の端と、右の端。トーナメント表の線をたどっていくと、二つの線がぶつかるのは、表のてっぺん。いちばん上の、一本の線の上だけだった。
「……ってことは」
大河が、ごくりと唾を飲みこんだ。
「御堂の班と当たるとしたら」
「決勝だ」
俺は、表のてっぺんを見上げた。
まだ何も書かれていない、空白の枠。そこに、二つの名前が並ぶとしたら。
鷹宮は、そのとき、どんな顔をしているんだろう。




