↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
29/70

第29話 凍った横顔

 声をかけるべきか、三秒迷った。


 向こうは一年一組の首席で、Sランクの剣聖で、迷宮庁の特別育成生だ。こっちは五組のFランクで、ついさっきまでからあげを食べていた。どう考えても、釣り合わない。


 でも、うずくまったその背中は、どう見ても「平気」ではなかった。


「……鷹宮?」


 ポニーテールが、ぴくりと揺れた。


 ゆっくりと上がった顔は、コンビニの明かりの中で、紙みたいに白かった。唇の色が薄い。目の下に、うっすらと影がある。


「……真白」


 かすれた声だった。


「具合、悪いのか」


「平気」


「平気な顔じゃないだろ」


「関わらないで」


 ぴしゃりと言われた。言われたけれど、その声には、いつもの刃物みたいな鋭さがなかった。切れ味の落ちた刀を、無理に振り回しているみたいな声だった。


 鷹宮は、膝を抱えた腕に、顔を半分うずめた。


 そのとき、気づいた。


 彼女の吐く息が、白い。


 六月だ。夜になっても、半袖で歩いている人がいるくらいの陽気だ。なのに、鷹宮の口元から、冬の朝みたいな白い靄が、ふわりとこぼれては消えていく。


〈……湊〉


 フードの中で、ルルが小さく身じろぎした。


〈剣の娘だ。この娘、ひどく冷えておる。……体の、もっと奥のほうが〉


 俺が何か言う前に、ルルはフードから身を乗り出していた。ぽん、と俺の肩を蹴って、アスファルトの上に着地する。ころころと転がって、鷹宮のつま先の前で止まった。


〈おい、剣の娘。顔を上げよ〉


「……ルル」


 鷹宮が、顔を上げた。


 ルルは、小さな足で鷹宮の膝によじ登ると、抱えた腕の隙間に、むりやり体をねじこんだ。


〈うっ……冷たい。冷たいが……まあ、少しくらいなら、我慢してやる〉


 ルルがぶるぶる震えながら丸くなる。鷹宮は、しばらく呆然とそれを見下ろしていた。それから、冷えきった両手で、そっと毛玉を包みこんだ。


「……あったかい」


 ぽつりと、そう言った。


 俺は、何も言わずに、踵を返した。




 六月の夜に、温かい飲み物を売っている自販機は少ない。


 でも、一台だけ心当たりがあった。すずらん通りの入口、古い煙草屋の前にある自販機だ。ばあちゃんが一年中そこで温かいお茶を買うので、店のおじいさんが、真夏でも「あったか〜い」の列を一段だけ残してくれている。


 その一段の、いちばん端。


 ホットココア。


「おや。真白さんとこの坊主じゃないか」


 ちょうど店のシャッターを下ろしかけていたおじいさんが、手を止めてこっちを見た。


「こんな時間に、ホットかい。珍しいねえ。夏でもそこを押すのは、千代さんくらいだと思ってたよ」


「……ちょっと、寒そうな奴がいて」


「へえ。そりゃあ、残しといた甲斐があった」


 おじいさんは、しわだらけの顔で笑って、シャッターを最後まで下ろした。


 二本買って、コンビニの前に戻ると、鷹宮はさっきと同じ場所で、ルルを抱えたまま座っていた。逃げられていなかったことに、少しほっとする。


「ほら」


 缶を一本、差し出した。


 鷹宮は、俺の顔と、缶を交互に見た。


「……何」


「ココア。あったかいやつ」


「いらない」


「じゃあ、ルルのカイロ代わりにしてくれ。そいつ、たぶん、そろそろ凍る」


〈凍らぬ!〉


 ルルが抗議した。でも、体はまだ小刻みに震えている。


 鷹宮は、少しだけ迷ってから、片手を伸ばした。


 缶を受け取るとき、また指先が触れた。


 冷たい、どころじゃなかった。缶の熱が、触れたところから吸いとられていくような気がした。


 鷹宮は、両手で缶を包みこんだ。しばらくそうしていて、それから、小さな音を立ててプルタブを開けた。ふう、ふう、と何度も息を吹きかける。……猫舌らしい。三回目でやっと、一口飲んだ。


「……甘い」


 そう言った鷹宮の口元が、ほんの少しだけ、ゆるんだ気がした。


「……ありがと」


 ほとんど聞こえないくらいの声だった。俺は「ん」とだけ返して、少し離れたところの車止めに腰を下ろした。隣に座るのは、なんとなく違う気がした。


「……この子、いつもあなたのフードにいるの」


 鷹宮が、膝の上のルルを見下ろしたまま言った。


「学校にいるときは、だいたいな。家でも、勝手に入ってくる」


「……ずるい」


「何が」


「なんでもない」


〈ふふん。剣の娘は、我と常に共にある湊が羨ましいのだ〉


 ルルが得意げに胸を張った。……ルルの言葉が鷹宮に聞こえなくて、本当によかったと思う。




 しばらく、二人とも黙っていた。


 コンビニの自動ドアが開くたびに、軽快なチャイムが鳴る。駐車場の向こうを、塾帰りらしい中学生が自転車で通り過ぎていく。


「迷宮庁の、訓練の帰り」


 ぽつりと、鷹宮が言った。


「電車の中で、気分が悪くなって。途中で降りた。……ここがどこの駅かも、よく見てなかった」


「霞ヶ丘だよ。学校の最寄り」


「そう」


「家の人、呼ぶか?」


「呼ばない」


 即答だった。


「祖父に知られたら、稽古が足りないと言われるだけ。……少し休めば、帰れる」


 鷹宮は、ココアの缶をじっと見つめた。


「今日は、何回も使ったの。【剣聖】を」


 俺は、黙って続きを待った。


「使うと、強くなる。音が遠くなって、相手の動きが遅く見えて、何も考えなくても体が勝手に斬ってくれる。……そのかわり、終わったあと、寒くなる」


 鷹宮の指が、缶の表面をなぞった。指先が、白く曇っている。


「最初は、指先だけだった。今は、もっと奥まで冷える。それで……」


 声が、少しだけ揺れた。


「スキルを使うたびに、何かを忘れるの」


「……何かって」


「好きだったもの、とか」


 鷹宮は、膝の上のルルを見下ろした。


「豆大福が好きだった。小さいころから、ずっと。この前、久しぶりに食べたら、甘いってことしか、わからなかった。道で猫を見ても、かわいいって頭では思うのに、何も感じない。……最後に声を出して笑ったのがいつだったか、もう思い出せない」


 淡々とした口調だった。天気の話でもするみたいに。


 それが、かえって怖かった。


「でも、それでいいと思ってた。感情は剣を鈍らせる。教官にも、そう言われてる。私のスキルは、独りで戦うためのものだから。……『単独行動時、全能力が上昇する』。窓に、そう書いてあるから」


 ――窓に、そう書いてある。


 その一言が、頭の中で、かちりと何かにはまった。


 【大食い】。食事量が増加する。大河はずっと、自分を笑ってきた。


 【臆病】。恐怖心が増大する。小日向はずっと、自分を責めてきた。


 【無口】。発話を抑制する。水無瀬はずっと、誤解されてきた。


 みんな、窓に書いてある言葉を信じて、その言葉どおりの自分であろうとしてきた。そして、その言葉は、全部、間違っていた。


 鷹宮も、同じだ。


 窓に書いてあるから、独りで戦う。窓に書いてあるから、何も感じなくていいと思いこむ。そうして、少しずつ凍っていく。


「……鷹宮。前に、部室で聞いたよな。あの日、俺が何をしたのかって」


 鷹宮が、顔を上げた。


「俺のスキルは、【翻訳】だ。で、俺が訳してるのは……たぶん、窓の文字なんだ」


「窓の、文字」


「大河の【大食い】は、本当は【蓄積】だった。小日向の【臆病】は【先触れ】。水無瀬の【無口】は【静謐の歌】。窓に出てる名前は、本当の名前を、無理やりこっちの言葉に訳したものなんだと思う。それも、ひどい訳し方で」


 鷹宮は、何も言わなかった。目だけが、大きく見開かれている。


「合同踏破のとき、俺が叫んでたのは、あいつらの本当の名前だ。本当の名前で呼んだら、力が跳ね上がった」


〈……湊の言うことは、まことだぞ、剣の娘〉


 鷹宮の腕の中で、ルルが小さく鳴いた。もちろん、鷹宮には「きゅい」としか聞こえていない。それでも、鷹宮の指が、ルルの背中をきゅっと握った。


 俺は、車止めから立ち上がった。


 まっすぐに、鷹宮を見る。凍った横顔。白い息。霜の降りた指先。


 この世界のスキル名は、訳がおかしい。ひどい名前が、本当はひどくなかったように。いい名前が、本当は――


 確かめなきゃいけない。


「鷹宮」


 コンビニの自動ドアが、また開いて、チャイムが鳴った。


「お前のステータス、読ませてくれ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。