↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/69

第28話 定食屋いぬかいの大盛り

 からあげが、山になっていた。


 比べるものがないので、正確な高さはわからない。ただ、皿の向こう側に座っている小日向の顔が、半分くらい隠れて見えなかった。


「お待ちどお! からあげ山盛り定食、四人前!」


 厨房から、威勢のいい声が飛んできた。


 隣駅の商店街の、ちょうど真ん中あたり。のれんに太い筆文字で「いぬかい」と書かれた、小さな定食屋だ。カウンターが八席と、四人がけのテーブルが三つ。壁には油で少し茶色くなった品書きの短冊が、ずらりと並んでいる。


「……これ、一人前なのか」


「おう! うちの普通盛りだ!」


 隣で、大河が胸を張った。大河の前の皿だけ、山がもう一つ多い。


「テスト終わった記念だからな! 今日はオレのおごりだ! ……親父の、だけど!」


 中間テストの最終日。答案を出し終えた瞬間に、大河が「うちで食ってけ!」と言いだして、俺たちはそのまま隣駅まで連れてこられたのだった。


「い、いただきます……」


 小日向が、山のふもとから、おそるおそる一個目を箸でつまんだ。かじる。目が、まん丸になった。


「……おいしいっ!」


 水無瀬も、こくこくと何度もうなずいていた。口の中がいっぱいで、スケッチブックに書く余裕もないらしい。


 俺も一個、かじった。


 衣が、ざくっと鳴った。中から、熱い肉汁があふれてくる。生姜と醤油の香りが、鼻の奥まで抜けていく。


 ……うまい。


 本当に、うまかった。大河が自己紹介で「からあげがうまいぜ」と言っていたのは、自慢でも何でもなかったらしい。


〈湊。湊よ。我にも。我にもその茶色いのを〉


 フードの中から、切羽詰まった声がした。俺はこっそり、一個を小さくちぎって、肩越しにフードへ差しこんだ。


 しばらく、もぐもぐと咀嚼する気配がして。


〈……これは。どら焼きに次ぐ、美味である〉


 ルルの中での順位が、一つ増えた。




「――あんたが、真白くんか」


 テーブルに、大きな影が差した。


 見上げると、白い調理服を着た男の人が立っていた。でかい。大河をそのまま縦にも横にもひと回り大きくして、三十年くらい年を取らせたような人だった。太い腕に、火傷の痕がいくつもある。


「親父だ」


 大河が、少し照れくさそうに言った。


「犬飼剛だ。いつも、うちのが世話になってる」


「あ、いえ……真白湊です。こちらこそ」


 慌てて立ち上がろうとすると、剛さんは大きな手でそれを制した。そして、俺の向かいに、どかりと腰を下ろした。


「息子が外れじゃなかったってな」


 低い声だった。


「あんたのおかげだって、聞いた」


 剛さんは、テーブルに両手をついて、深く頭を下げた。


 ……え。


「ちょ、ちょっと、やめてください」


「やめねえ。親として、礼は言わなきゃならねえ」


「俺は、読んだだけです。大河のスキルは、最初から大河のものだったんで」


「それでもだ」


 剛さんは顔を上げた。目尻の皺が、少し濡れているように見えた。


「こいつはな、ずっと、自分のことを笑ってきたんだ」


「親父」


「黙ってろ。……中学のころから、大食い大食いって、からかわれてな。給食のおかわりに並ぶたびに、笑われてたらしい。定食屋の息子が店の米を食いつぶしてる、なんて言われたこともあったそうだ」


 大河は、からあげを箸でつつきながら、そっぽを向いていた。耳が赤い。


「そのくせ、家じゃ、腹減ったって言わなくなった。うちはそんなに儲かってる店じゃねえ。それを、こいつなりに気にしてたんだろうな。……天啓の日に、スキルが【大食い】だったって聞いたとき、こいつ、笑ってたんだよ。『やっぱオレって、そういう奴なんだな』って」


 剛さんの声が、少しだけかすれた。


「親が、息子にそんな顔させちまった。情けねえ話だ」


「……情けなくなんか、ねえよ」


 大河が、ぼそりと言った。


「親父も母ちゃんも、ずっと腹いっぱい食わせてくれたじゃん。オレが勝手に気にしてただけだ」


 店の中が、少しだけ静かになった。


 厨房の奥で、油のはぜる音だけがしている。小日向が、膝の上でハンカチをぎゅっと握っていた。水無瀬は、箸を置いて、まっすぐ大河を見ていた。


「はいはい! しんみりするのはそこまで!」


 厨房から、小柄な女の人がお盆を持って現れた。エプロン姿で、大河の三分の一くらいの大きさしかない。


「母ちゃんの、はなです。いつも大河がお世話になってます! これ、サービスね!」


 テーブルに、山盛りのポテトサラダがどんと置かれた。……山が、増えた。


「真白くん、ありがとね。あの子ね、最近、家で『腹減った』って言うようになったのよ。それも、毎日。毎食。三十分おきに」


「三十分おきは言ってねえよ!」


「言ってるわよ」


「……一時間おきだって」


 はなさんがころころと笑い、剛さんが鼻をすすって、厨房へ戻っていった。


「でもさ、母ちゃん。食費、大丈夫なのか?」


 大河が、少しだけ真面目な顔で聞いた。


「【蓄積】ってさ、食った分しか溜まんねえんだ。真名がわかってから、前より腹が減るようになったし……新人戦の前とか、たぶんすげえ食うぞ、オレ」


「何言ってんの」


 はなさんは、大河の頭を、ぺしんとお盆で叩いた。


「うちは定食屋よ。息子一人のお腹くらい、いっぱいにできなくてどうすんの。……その代わり、お皿洗いは倍ね」


「倍!?」


「三倍でもいいけど?」


「倍でお願いします!」


 小日向が吹き出して、水無瀬が肩を震わせて、俺も笑った。厨房の奥から、剛さんの「がっはっは」という、大河そっくりの笑い声が聞こえた。




◇ ◇ ◇




 小日向は弟たちの夕飯があるからと先に帰り、水無瀬も、同じ方面だからと一緒に帰っていった。


 俺は、大河に駅まで送ってもらうことになった。


 商店街のアーケードを抜けると、空はもう藍色に暮れかけていた。六月の夜風は、少しだけ湿っている。


「……なんか、悪かったな。親父、急に湿っぽくなってよ」


「いい親父さんだな」


「まあな」


 大河は、照れくさそうに頭をかいた。


「オレさ、ほんとはずっと、【大食い】って言われるたびに、ちょっとだけ嫌だったんだ。笑ってたけどさ。笑ってりゃ、そのうち気にならなくなるかと思って」


「……うん」


「だから、湊が【蓄積】って読んでくれたとき、なんつーか……腹の底から、すっきりしたんだよな」


 大河は、夜空に向かって、ぐうっと伸びをした。


「――で、ふと思ったんだけどさ」


「ん?」


「お前さ、自分のは読めねえの?」


 足が、一瞬止まった。


「自分のスキル。【翻訳】ってやつ。オレらのが誤訳だったんなら、お前のだってそうかもしれねえじゃん」


「……読めない」


 口から出た声は、自分でも驚くくらい小さかった。


「試したことはある。何回も。でも、自分の窓だけ、ノイズがひどいんだ。文字がにじんで、ほどけない。集中すればするほど、余計に見えなくなる」


 【大食い】がほどけたときも、【臆病】がほどけたときも、文字は蔓のようにするすると組み直っていった。【無口】だって、最後には読めた。


 でも、俺の窓だけは、いつまでたっても、ただの【翻訳】のままだ。


 説明文の端で、ときどき、読めない文字がちらつくだけで。


「そっか」


 大河は、それ以上は聞かなかった。ただ、俺の背中を、ばしん、と叩いた。痛い。


「ま、そのうち読めるだろ。お前、読むの得意なんだし」


「……適当だな」


「おう。でも、読めたら一番にオレに教えろよ。ひよりと水無瀬には二番目と三番目な」


「順番、関係あるのか」


「ある! オレが一番だ!」


 改札の前で、大河はでかい手をぶんぶん振って、商店街のほうへ戻っていった。……皿洗いが、倍で待っているらしい。




 霞ヶ丘駅で電車を降りると、すずらん通りの街灯がぽつぽつと灯りはじめていた。


〈湊。帰りに、たちばなのどら焼きを〉


「もう閉まってる」


〈ぐぬ……では、明日だ。必ずだぞ〉


「からあげ食べただろ」


〈それとこれとは別腹である〉


 ルルと小声で言い合いながら、通りの入口にあるコンビニの前を通り過ぎようとしたときだった。


 店の明かりが届くぎりぎりの、駐車場の隅。車止めのブロックの横に、誰かがうずくまっていた。


 膝を抱えて、背中を丸めている。足元に、学生鞄と――細長い、白い袋。刀を入れる袋だ。


 黒髪の、ポニーテール。


 ……鷹宮?


 一年一組の剣聖は、コンビニの白い明かりから少しだけ外れた暗がりで、たった一人、小さく縮こまっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。