第27話 小日向家は今日もにぎやか
「わーっ! でっかい人だ!」
「でっかい! でっかい! すげー!」
玄関の扉が開いた瞬間、小さな男の子が二人、弾丸みたいに飛び出してきて、大河の両足にしがみついた。
「うおっ!? な、なんだなんだ!?」
「のぼっていい!?」
「いいって言ってないのに、もうのぼってる!」
あっという間に、大河の背中と肩に一人ずつ男の子がよじ登っていた。そっくりな顔が二つ、大河の頭の上で「たかーい!」と歓声を上げる。双子だ。
「ゆ、悠斗! 隼斗! お客さんなんだから、下りなさいっ!」
玄関の奥から、エプロン姿の小日向が転がるように出てきた。いつもの、教室で縮こまっている小日向とは、声の大きさが三倍くらい違った。
「ご、ごめんなさい! うち、いつもこうで……!」
「いや、いいって! オレ、こういうの慣れてっから!」
大河は双子を肩に乗せたまま、にかっと笑った。……慣れているらしい。まあ、こいつなら木登り用の木と思われても仕方がない。
六月最初の土曜日。中間テストの勉強会、という名目で、俺たちは小日向の家に来ていた。
駅から少し歩いたところにある、古い二階建ての一軒家だ。小日向家は六人きょうだいで、小日向はその長女。両親は共働きで、土曜日も二人とも仕事なのだという。
「というわけで、今日はわたしが、みんなのお世話係なんです……」
居間のちゃぶ台を囲んで、小日向はぺこりと頭を下げた。その周りを、小さな頭がぐるりと取り囲んでいる。
「長男の颯真、小六です。双子の悠斗と隼斗が小二。妹のなずなが小四で、いちばん下の芽衣が四歳です」
「よろしくお願いしまーす」
「ねーちゃんの友達? ねーちゃん、友達いたんだ」
「颯真っ!」
小六の颯真が、にやにやしながら俺と大河を見比べていた。明らかに、いたずらを考えている顔だった。
水無瀬は、ちゃぶ台の端で、スケッチブックを抱えて小さくなっていた。知らない子どもに囲まれて、少し緊張しているみたいだ。
その水無瀬の袖を、小さな手がくいくいと引いた。小四のなずなだった。
「おねえさん、それ、なに描いてるの?」
水無瀬は少し迷ってから、スケッチブックを開いて見せた。迷宮の絵。それから、ページの隅に描いてあった、白い毛玉の落書き。
「……かわいい!」
なずなの目が、きらきらと輝いた。
「ねえ、ねこ描ける? うさぎは? おひめさまは?」
水無瀬は、ぱちぱちとまばたきをした。それから、新しいページを開いて、ペンを走らせはじめた。
三十秒後。ページの上に、ドレスを着た猫のお姫様が現れていた。
「すごーい!」
「めいも! めいもかいて!」
四歳の芽衣まで飛んできた。水無瀬は、前髪の奥で嬉しそうに目を細めると、次々に絵を描いていった。うさぎの騎士。くまのお医者さん。ひよこのお姫様。
十分もしないうちに、水無瀬の周りには小さな人だかりができていた。……完全に、人気を持っていかれた。
「なあ湊、オレら、勉強しに来たんだよな?」
双子を膝に乗せたまま、大河がつぶやいた。
「……一応な」
結論から言うと、勉強はほとんど進まなかった。
俺が英語の教科書を開けば、双子が教科書の上に寝転がる。大河が数学のプリントを広げれば、芽衣がそこにクレヨンでチューリップを描く。小日向は、そのたびに「こらっ」と立ち上がって、また座る。
そこで俺は、一つ提案をした。
「小日向。勉強は諦めて、特訓にしないか」
「と、特訓、ですか?」
「先触れの」
俺は、居間の隅でこそこそ何かを準備している颯真をちらりと見た。
「颯真たちのいたずらを、全部先に当てられるか。危ないことが起きる前に、ぞわっとするんだろ? だったら、いたずらにも反応するはずだ」
「そ、そうかも……しれません」
小日向は、自分の胸に手を当てた。合同踏破のあと、彼女の【先触れ】は、迷宮の外でも働くようになっていた。階段から落ちそうな弟を、落ちる前につかまえたこともあるらしい。
「俺が時計で計る。小日向が叫んでから、何秒でいたずらが来るか」
「は、はいっ……やってみます」
颯真は、話を聞いていたらしい。にやりと笑って、親指を立てた。
「ねーちゃん、当てられるもんなら当ててみろよ」
――勝負が始まった。
「ひゃっ! ……颯真、ふすまの裏!」
三秒後、ふすまの陰から水鉄砲がぴゅっと飛び出した。小日向はひょいと首を傾けて、それを避けた。
「くそっ! 次!」
「ひゃっ! ……悠斗、隼斗、上!」
四秒後、階段の上から、双子がクッションを二つ落としてきた。小日向は一歩下がって、クッションは畳の上にぽふんと落ちた。
「ひゃっ! ……そこの、筆箱っ!」
五秒後。大河が何気なく筆箱を開けると、中からゴムのヘビがびよんと飛び出した。
「うわあああっ!?」
悲鳴を上げたのは、大河だった。
「……な、なんでオレ!?」
「当たったのは小日向の予感で、引っかかったのはお前だな」
「先に言えよ!」
「言ってました、わたし……」
小日向が申し訳なさそうに手を挙げ、颯真が畳の上を転げまわって笑っていた。
俺は、腕時計を見つめていた。
三秒。四秒。五秒。
――伸びている。
入学したころの小日向の悲鳴は、危険の一、二秒前だった。それが今は、五秒先まで届いている。いたずらという小さな「危険」を相手に、彼女の【先触れ】は、少しずつ遠くまで見えるようになっていた。
「小日向。今の、五秒前だった」
「え……?」
「お前の予感。前より、ずっと早くなってる」
小日向は、ぽかんと口を開けた。それから、自分の手のひらを見つめて、小さく笑った。
「……ほんとだ。なんか、さっきから、ぞわってするのが、ちょっとだけ遠くから来る感じ、します」
昼ごはんは、小日向が作ってくれた。
大鍋いっぱいのカレーだった。六人きょうだいの家の鍋は、うちのばあちゃんの鍋の三倍くらい大きい。
「お、おかわり、たくさんありますから」
「マジで!? いただきます!」
大河は、本当にたくさんおかわりした。一杯、二杯、三杯。双子が「でっかい人、まだ食べてる!」「すげー!」と囃し立てる。四杯目で、颯真まで尊敬の目を向けはじめた。
「うめえ! ひより、これ、店で出せるぜ!」
「そ、そんな……ふつうのカレーです」
そう言いながら、小日向は大河の皿が空になるたび、いそいそと鍋のほうへ立っていった。
俺は、何気なく小日向の顔を見た。
大河がスプーンを口に運ぶのを、小日向は、じっと見ていた。頬が、ほんのり赤い。口元が、とても嬉しそうにゆるんでいる。教室で見る、いつも何かに怯えている顔とは、まるで別人だった。
……ああ、そういうことか。
俺は、何も言わなかった。言わないほうがいいこともある。こういうのは、横から誰かが訳してしまったら、たぶん台無しになる。
〈ほう。小さいのは、大きいのが食べるのを見るのが好きなのだな〉
――と思っていたら、フードの中から、訳してしまう奴が出てきた。
「……黙ってろ」
〈なぜだ。我は事実を言ったまでだ〉
「事実だから黙ってろ」
小声で言い合っていると、芽衣が俺の背中によじ登ってきた。そして、フードの中をのぞきこんだ。
「……けだま?」
まずい。
〈む。なんだ、この小さき者の、さらに小さき者は〉
「けだまー!」
芽衣が、両手でルルをむんずとつかんで、ぎゅうっと抱きしめた。
〈は、離せ! 我を誰と心得る! ぐ、ぐるしい……!〉
「ぬ、ぬいぐるみです! 真白くんの、ぬいぐるみですっ!」
小日向が、とっさに叫んだ。
「ぬいぐるみ、うごいてる!」
「さ、最近のぬいぐるみは、動くんです!」
苦しすぎる言い訳だった。でも、四歳には通じたらしい。芽衣は「すごーい」とルルに頬ずりして、ルルは〈きゅい……〉と力なく鳴いた。……今のは、本当に「きゅい」だったと思う。
水無瀬が、なずなと一緒にお腹を抱えて笑っていた。声は出ていない。でも、肩がずっと震えていた。
◇ ◇ ◇
夕方、小日向は、駅へ向かう角まで俺たちを見送りに来てくれた。
背中のほうから、まだ双子の「でっかい人、またきてねー!」という声が聞こえる。大河は、振り返って大きく手を振った。
「なんか、楽しかったな! 勉強はしてねえけど!」
「中間、大丈夫か、お前」
「……明日から本気出す」
水無瀬が、スケッチブックをこちらに向けた。
『ひよりちゃんの家、あったかかった』
その横には、カレーの鍋と、大河の肩に乗った双子と、芽衣に抱きしめられたルルの絵が、小さく描いてあった。ルルの目が、ぐるぐるになっている。
「あの……」
角のところで、小日向が立ち止まった。
エプロンの裾を、両手でぎゅっと握っている。夕日に照らされた顔は、少し緊張していた。
「わたし、ずっと、怖がりなだけだと思ってたんです。家でも、学校でも、ひゃって言ってばっかりで。お姉ちゃんなのに、弟たちより怖がりで」
俺たちは、黙って続きを待った。
「でも、真白くんが、怖いって感じるのがわたしのスキルだって言ってくれて。大河くんも、雫ちゃんも、それでいいって言ってくれて」
小日向は、顔を上げた。
大きな目が、少しうるんでいた。でも、今日のそれは、怖くて泣きそうな目じゃなかった。
「だから、わたし、新人戦で――ちゃんと、役に立ちたいです」




