↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/74

第3話 スライムは、しゃべる

 霞高の敷地の北の端には、穴がある。


 正確には、高いフェンスと、コンクリートの四角い建物に囲まれた穴だ。建物の名前は「迷宮管理棟」。その中に、地下へ続く大きな階段がぽっかり口を開けている。


 霞ヶ丘(かすみがおか)迷宮。全十層。国内でもかなり浅くて、出てくる魔物も弱い、いわば初心者用の迷宮だ。この学校は、迷宮の上に建てられたと言ったほうが正しい。


「あー、全員そろったか」


 管理棟の前で、灰原先生がキャンディをくわえたまま点呼をとっていた。入学から三日目。今日は、五組にとって初めての迷宮実習だ。


 俺たちは全員、学校から貸し出された探索服を着ている。厚手の布でできた、ジャージとつなぎの中間みたいな服だ。肘と膝には硬いパッド。腰には、訓練用の短剣を一本ずつ。


「説明すんぞ。めんどくせえから一回しか言わねえ」


 先生は、ちっとも説明したくなさそうな顔で言った。


「今日潜るのは一層だけ。出てくるのはスライムだ。体当たりしかしてこねえし、新入生でも死にはしねえ。……まあ、たまに服が溶けるくらいだ」


「と、溶けるんですか!?」


 小日向が悲鳴を上げた。


「探索服は溶けにくいから安心しろ。溶けにくいってだけだが」


「ひゃっ……」


 小日向が青い顔で固まる。先生はかまわず続けた。


「四人一組の仮班で動け。班は――」


 先生は少し考えて、ポケットから紙の束を取り出した。


「出席番号順だと面白くねえから、くじだ。引け」


 ……面白さの問題なのか。


 ともあれ、くじの結果、俺の班は四人になった。俺と、大河と、森田という眼鏡の男子と、早乙女という、ふわふわした茶髪の男子。


「よっしゃ湊、同じ班だな!」


「声がでかい」


「森田っす。よろしく。……先に言っとくけど、俺、【方向音痴】だから。道は聞かないで」


「早乙女リク。【気まぐれ】。気が向いたら頑張るよー」


 ……大丈夫なのか、この班。




◇ ◇ ◇




 階段を降りると、空気が変わった。


 ひんやりしていて、少し湿っている。雨上がりの、土の匂いがした。


 通路の壁は灰色の岩でできていて、ところどころに青白く光る苔が生えている。そのおかげで、明かりがなくても足元くらいは見えた。天井は思ったより高い。声を出すと、遠くまで反響していく。


 これが、迷宮。


 二十三年前に突然現れて、世界を変えた場所。母さんが、毎日のように潜っていた場所。


 ……そして、母さんが帰ってこなかった場所。


「湊、どうした?」


「いや。なんでもない」


 首を振って、前を向く。今はそういうことを考える時間じゃない。


「おっ、いたいた! あれだろ、スライム!」


 大河が指さした先――通路の曲がり角に、青い塊がいた。


 バスケットボールくらいの大きさで、半透明。ゼリーみたいにぷるぷる震えていて、体の真ん中に小さな石が浮かんでいる。あれが魔石の元になる「核」だ。教科書の写真で見たとおりの姿だった。


「よし、オレが行く!」


「待て、作戦とか――」


「作戦? 殴る!」


 大河が駆け出した。止める暇もない。


 スライムがぷるん、と大きく震えた。


 その瞬間だった。


〈侵入者、確認〉


 ――え?


 鈴を鳴らしたような、澄んだ音。天啓の儀で迷宮石に触れたときに聞いた、あの音に似ていた。でも今度は、もっとはっきりしていた。


 音なのに、意味がわかる。


 スライムの体の奥から、また音が鳴った。


〈体当たり、正面〉


「大河、正面から来るぞ!」


「え? ――うおっ!?」


 スライムが弾丸みたいに飛んだ。大河がとっさに腕を上げて、顔の前で受け止める。ぼよん、と間抜けな音がして、スライムが跳ね返った。


「いってえ! ……いや、そんなに痛くねえ! びっくりしただけだ!」


「お前、なんで正面ってわかったの?」


 森田が目を丸くしてこっちを見る。


 なんで、って。


「……鳴いただろ、今。スライムが」


「鳴いた? ああ、あのりぃんって音?」


 早乙女が首をかしげる。


「あれ、魔物の鳴き声でしょ。攻撃の前に鳴くって、教科書にも書いてあったよ。意味はないって」


 意味はない。


 ……本当に?


 跳ね返ったスライムが、床の上でぷるぷると体勢を立て直している。俺は、それをじっと見つめた。耳を澄ませる。


〈対象、四。後退〉


 スライムが、すっと一歩ぶん下がった。


〈体当たり、右〉


「右だ!」


 叫ぶのと同時に、俺は左に跳んでいた。さっきまで俺の右肩があった場所を、青い塊が猛スピードで通り過ぎていく。壁にぶつかって、べちゃ、と潰れて、また元に戻る。


「すげえ! 湊、今の避けたのかよ!」


「……偶然、じゃない」


 口の中でつぶやく。心臓がうるさい。


 聞こえる。


 スライムが、攻撃の前に、何をするか言っている。


〈体当たり、左〉


「次、左!」


 今度は森田が狙われた。俺の声に、森田が慌てて右へ転がる。スライムは空振りして、床を滑っていく。


〈後退〉


〈後退〉


〈体当たり、正面〉


 毎回だ。毎回、動く前に必ず、鈴みたいな音で「予告」している。


 しかも、その予告は、俺にだけ意味がわかる。他のみんなには、ただの「りぃん」という鳴き声にしか聞こえていない。


 ――翻訳。


 日常会話の翻訳を、補助する。


 まさか。いや、でも。


 これが「翻訳」なんだとしたら。俺のスキルは、魔物の言葉を――


〈後退〉


「大河、今だ! あいつ、今から下がる!」


「お、おう! よくわかんねえけど任せろ!」


 スライムが下がった瞬間、大河が踏み込んで、訓練用の短剣を突き出した。切っ先が、青いゼリーの真ん中――核を、正確に貫く。


 ぱちん、と小さな音がして、スライムが弾けた。


 青い体が、光の粒になってふわりとほどけていく。後には、小指の先くらいの、青く透き通った石が一つだけ転がっていた。魔石だ。


「……や、やった! 倒した! オレたち、倒したぞ!」


「おー、初討伐じゃん」


「なあ真白、お前さっきから、どうしてわかるんだ?」


 森田がずり落ちた眼鏡を押し上げながら聞いてくる。俺は、答えに詰まった。


 魔物の声が聞こえる、なんて言ったら、どんな顔をされるだろう。


「……なんとなく。動きを見てたら、そんな気がした」


「ふーん。お前、目がいいんだな」


 森田はあっさり納得した。早乙女は「へー」とだけ言って、もう別のことに興味が移ったみたいに、壁の苔をつついている。大河だけが、まだ首をかしげていた。


「なあ湊。お前、本当に見てただけか?」


「……ああ」


 嘘をついた。


 自分でも、まだよくわからなかったからだ。




 そのあと、俺たちの班は通路を進んで、スライムをさらに三匹倒した。


 三匹とも、同じだった。


〈侵入者、確認〉


〈体当たり、正面〉


〈後退〉


 単語の並びは少しずつ違う。でも、どれも「次に何をするか」を言っている。まるで、誰かに命令されて動いているみたいに、短く、そっけなく。


 俺はそのたびに「右」「左」「今だ」と叫んで、そのたびに大河や森田が動いた。早乙女は気が向いたときだけ動いた。


 ほかの班は、スライム一匹に苦戦して、何人か服の袖をちょっとだけ溶かされていた。小日向の悲鳴が、通路の向こうから何度も聞こえてきた。


 俺の頭の中では、ずっと同じ言葉がぐるぐる回っていた。


 聞こえる。


 魔物の声が、聞こえる。


 それも、ただの鳴き声じゃない。言葉として。意味のある文として。


 昨日、講堂で笑われたスキル。説明文は「日常会話の翻訳を補助する」。全人類が同じ表示を読めるこの世界で、何の役にも立たないと思っていた力。


 でも、もしかしたら。


 この世界には、俺たちがまだ知らない「言葉」があるのかもしれない。




◇ ◇ ◇




「よし、今日はここまでだ。全員、地上に戻れー」


 実習の終わり、一層の入口近くの広間に集合したとき、灰原先生が言った。ほとんどの班はくたくたで、何人かは袖や裾が微妙に溶けていた。


 うちの班は、四匹倒して、誰も怪我をしていない。たぶん、五組でいちばんの成績だ。


 とはいえ、スライム四匹である。自慢するほどのことでもない。誰も気にしていないし、俺も気にしてほしくなかった。


 ……そう思っていたのだけれど。


 階段に向かって歩きながら、ふと視線を感じて振り返った。


 広間の隅。壁にもたれて、灰原先生がこっちを見ていた。


 くわえたキャンディの棒が、ゆっくり口の端で揺れている。だるそうな目。いつもと同じ顔。


 なのに、その目だけが、少しも笑っていなかった。


 まるで、俺の避け方を――最初から最後まで、ずっと見ていたみたいに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
スライムさんわざわざ侵入者から見た時の方向言ってるってこと?訓練施設か何かなのかな? それとも翻訳がいい感じに仕事してる?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。