第2話 落ちこぼれの五組
翌朝、昇降口の前には人だかりができていた。
クラス分けの掲示だ。大きな模造紙に、一組から五組までの名前がずらりと並んでいる。とはいえ、見るまでもない。ランクでクラスが決まるのだから、俺の行き先は昨日のうちに決まっている。
一年五組。EランクとFランクだけを集めたクラス。
通称、外れクラス。あるいは、落ちこぼれ組。
「五組って二十四人しかいないんだって」
「少なっ。まあ、外れってそんなにいないもんね」
「ていうか、Fって一人だけじゃない? ほら、あの翻訳の」
背中に視線が刺さる。俺は聞こえないふりをして、上履きに履き替えた。
……いや、本当は聞こえている。聞こえているけど、言い返すほどのことでもない。こういうとき、自分のスキルが【翻訳】なのが少しおかしかった。わざわざ訳してもらわなくても、悪口の意味くらい、誰だってわかる。
五組の教室は、校舎のいちばん端にあった。日当たりが悪くて、廊下の蛍光灯が一本切れかけている。狙ってやっているなら、なかなかの演出だ。
扉を開けると、教室の空気は重かった。
誰もしゃべっていない。机に突っ伏している男子。スマホを見つめたまま動かない女子。窓の外を、なんだか遠い目で眺めている奴。昨日の講堂で、きっとみんな、似たような笑われ方をしたんだろう。
自分の席――窓際の後ろから二番目――に座ったところで、チャイムが鳴った。
がらり、と扉が開く。
「あー……」
入ってきたのは、よれたスーツの男だった。
無精ひげ。寝ぐせ。ネクタイは緩みきっていて、首にひっかかっているだけに見える。口には、なぜか棒付きのキャンディをくわえていた。右足を少しだけ引きずりながら教壇に上がると、出席簿を机にぽいと放る。
「五組へようこそ。担任の灰原だ」
灰原先生は、教室をぐるりと見渡した。
「世間じゃこのクラスを外れクラスって言うらしいが、俺は言わねえ。めんどくせえから」
……それは、理由として正しいのか。
何人かが、ぽかんと口を開けた。灰原先生はキャンディを口の中で転がしながら、ぼりぼりと頭をかく。
「つーわけで、自己紹介な。出席番号順。名前とスキルと、あとは好きなもんでも言っとけ。じゃ、一番から」
一番の生徒が、おずおずと立ち上がる。声が小さくて、半分くらいしか聞こえなかった。二番、三番。みんなスキル名を言うときだけ、声がさらに小さくなる。
「次。犬飼」
「うっす!」
がたん、と椅子が鳴った。
立ち上がったのは、でかい男子だった。とにかくでかい。百八十五センチはありそうで、肩幅も教室の扉くらいある。短く刈った髪に、人懐っこそうな丸い目。
「犬飼大河! スキルは【大食い】!」
教室のどこかで、ぷっと誰かが吹き出した。
犬飼はそれを気にした様子もなく、にかっと笑った。
「特技は、大盛りを完食することです! あと、実家が定食屋なんで、腹減ったら言ってくれ! からあげがうまいぜ!」
今度は、はっきり笑いが起きた。でもそれは、昨日の講堂の笑いとは少し違った。犬飼が自分から笑わせにいったからだ。
……すごいな、と思った。自分のスキルを笑われる前に、自分で笑いに変えてしまう。簡単なことじゃない。
何人かを挟んで、次に立ったのは小柄な女子だった。
「こ、小日向ひより、です……」
栗色のボブカットの髪が、ふるふると揺れている。大きな目は、すでにうるんでいた。
「スキルは……【臆病】、です……。す、すみません……」
「謝んなくていいぞー」
灰原先生が気だるげに言う。小日向はびくっと肩を跳ねさせて、もう一度「すみません」と言って座った。
「そのまんまじゃん」
前の方で誰かが小さく言った。小日向の肩が、さらに縮こまる。
……そのまんま、か。
スキルは魂の形だと言われている。だから、名前と性格が似ているのは当たり前なのかもしれない。でも、そうやって言われる側は、たまったもんじゃないだろう。
「次。真白」
俺の番だ。
立ち上がると、教室の空気がわずかに変わった。ああ、あの翻訳の、という顔がいくつも並ぶ。
「真白湊。スキルは【翻訳】。……昨日の講堂にいた人は、だいたい知ってると思う。以上」
座る。
「短っ」と犬飼がつぶやいた。いや、だって、他に言うことがない。好きなものは辞書です、と言ったら、たぶんもっと微妙な空気になる。
「次。水無瀬」
俺の後ろの席で、椅子が小さく鳴った。
振り返ると、女子が一人、立ち上がっていた。
長い黒髪。前髪も長くて、目元がほとんど隠れている。小柄で、細い。胸の前に、B5サイズくらいのスケッチブックを抱えていた。
彼女は口を開いた。
……開いて、そのまま、止まった。
教室が静かになる。一秒。二秒。彼女の喉が、小さく動くのが見えた。でも、声は出ない。
彼女はぎゅっと唇を結ぶと、スケッチブックをくるりと前に向けた。そこには、もう書いてあった。最初から用意してきたのだとわかる、丁寧で、少し小さめの字。
『水無瀬雫です。声が出にくいので、筆談でお願いします。スキルは【無口】です。よろしくお願いします。』
ざわ、と教室が揺れた。
「……え、しゃべれないの?」
「スキルのせいとか?」
「無口って。それで五組なの、ちょっとかわいそ……」
「てか、感じ悪くない? 自己紹介くらい――」
ひそひそ声が、さざ波みたいに広がっていく。
水無瀬は、スケッチブックを掲げたまま動かなかった。表情は前髪で見えない。でも、スケッチブックの端を持つ指が、白くなるほど力んでいるのが見えた。
――震えている。
「ん」
灰原先生が、キャンディを口から出して言った。
「よろしくな、水無瀬。座っていいぞ」
それだけだった。特別扱いするでもなく、驚くでもなく。まるで、雨の日に「傘持ってきたか」と聞くみたいな、ごく普通の調子で。
水無瀬は小さく頭を下げて、座った。ひそひそ声は、いつの間にか止んでいた。
……あの先生、だるそうに見えて、案外。
いや、たぶん本当にだるいだけだ。そう思うことにした。
昼休み。
購買のパンをかじっていると、目の前の席に、どかっと巨体が座った。机の上に、弁当箱が三つ並ぶ。三つ。
「なあなあ、真白だっけ? 翻訳って、何すんの?」
犬飼だった。
「……何をするんだろうな」
「本人もわかんねえの!?」
「説明文に、日常会話の翻訳を補助する、って書いてある。それしかわからない」
「へえー。オレのなんか、食事量が増加する、だぜ。増加してどうすんだよって話だよな! 食費が増えるだけだっつーの!」
犬飼はがははと笑って、一つ目の弁当を三口で半分にした。食べるのが速い。
「なあ、湊って呼んでいいか? オレのことは大河でいいからさ」
「……別に、いいけど」
「よっしゃ!」
何がよっしゃなのかわからないが、大河は嬉しそうだった。たぶん、こいつはこういう奴なんだろう。気づけば俺も、ちょっとだけ笑っていた。
二つ目の弁当が消えたころ、パンの袋を捨てに廊下へ出ると――
「よう、翻訳くん」
聞き覚えのある声がした。
御堂海斗。昨日の【勇者】。両脇に、ごつい体格の男子と、ひょろっとした男子を連れている。取り巻き、という言葉がこれほど似合う二人もいない。
「五組の居心地はどうだ? 外れ同士、仲良くやってんのか」
「……まあ、それなりに」
「そりゃよかった。で、お前、その翻訳で何すんの? 迷宮に潜って、魔物と通訳でもすんのか?」
ぎゃはは、と取り巻き二人が笑う。ごつい方が権藤、ひょろい方が細川、だったか。昨日の講堂で一緒に笑っていた顔だ。
「魔物さーん、こんにちはーってか!」
「通訳料取れよ、通訳料!」
後ろで、教室の扉ががらりと開いた。大河が顔を出す。笑い声を聞きつけたらしく、眉が吊り上がっていた。
「おい、お前ら――」
「いい、大河」
俺は大河の腕をつかんだ。
「行こう」
「でもよ!」
「いいから」
御堂は、ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らした。それから、俺を上から下まで眺めて言った。
「せいぜい頑張れよ、Fランク」
去っていく三人の背中を、大河はぎりぎりと歯を鳴らして見送っていた。
「……湊、お前、悔しくねえのかよ」
「悔しいよ」
正直に答えると、大河は目を丸くした。
「でも、言い返したって、俺のスキルが変わるわけじゃないだろ」
それは本音だった。そして、たぶん、少しだけ嘘だった。
◇ ◇ ◇
放課後。
帰ろうとして階段を降りていると、踊り場に何かが落ちていた。
スケッチブックだ。B5サイズの。表紙の角が、少しすり切れている。
……水無瀬のだ。
拾い上げた拍子に、表紙がぱらりとめくれた。見るつもりはなかった。本当に。でも、目に入ってしまった。
絵だった。
鉛筆で描かれた、迷宮の絵。石の壁。天井から垂れる、光る苔。どこまでも続く、薄暗い通路。写真みたいに精密なのに、写真よりずっと、空気の匂いがしそうな絵だった。湿った石の冷たさまで、指先に伝わってくる気がする。
ページをめくる手が止まらなかった。迷宮の入口。崩れた柱。地底の湖。どれも、教科書の写真で見たような場所なのに、どれも見たことのない色をしていた。
そして、最後のページ。
そこには、絵ではなく――模様が描かれていた。
細い線が、何本も何本も絡み合っている。植物の蔓が、ほどけかけているような形。それが、まるで文章みたいに、横に並んでいる。
……あれ。
心臓が、どくんと鳴った。
これ、どこかで――
たたた、と階段を駆け上がってくる足音がした。
顔を上げると、水無瀬が踊り場の下で立ち止まっていた。息が上がっている。前髪の隙間から、ちらりと見えた目は、明らかに焦っていた。
「あ、ごめん。落ちてたから」
慌ててスケッチブックを閉じて差し出す。
「中、ちょっと見た。……ごめん。すごく、上手いと思う」
水無瀬は、一瞬固まった。それから、ひったくるように――ではなく、両手で、そっと受け取った。
胸ポケットからペンを出し、スケッチブックの空いたページに、さらさらと何かを書く。くるりと、こちらに向けた。
『ありがとう』
その下に、少し迷うように間を空けて。
『見られたのは、はずかしい』
「……ごめん」
水無瀬はふるふると首を振ると、ぺこりと頭を下げて、階段を駆け下りていった。長い黒髪が、角を曲がって見えなくなる。
俺は、しばらくその場に立っていた。
最後のページの、あの模様。
細い蔓が絡み合ったような、見たこともない文字。どこの国のものでもない、なのに妙に懐かしい形。
――昨日の夜、俺のステータス窓の端で、一瞬だけ揺れたもの。
あれと、同じだ。
そして、気のせいだろうか。ほんの一瞬だけ、あの模様が――
読めそうな、気がしたのだ。




