第1話 天啓の日、俺は【翻訳】を授かった
十五歳の春、人はみんな、一つだけ「名前」をもらう。
……いや、正確には「スキル」だ。けれど俺は昔から、あれは名前みたいなものだと思っていた。一生ついて回って、他人からはその名前で呼ばれる。【剣聖】の誰それ。【鉄壁】の誰それ。そういう具合に。
「――御堂海斗くん。スキル【勇者】。鑑定、Sランク!」
壇上の先生の声がうわずった。
次の瞬間、講堂が揺れた。比喩じゃない。三百人近い新入生と保護者がいっせいに立ち上がって、床が鳴ったのだ。
「S!? 今年もうSが出たの!?」
「勇者ってマジかよ……」
「御堂って、あの御堂? 迷宮庁の長官の?」
壇上では、明るい茶髪の男子が片手を軽く上げて、歓声に応えていた。背が高く、顔もいい。いかにも「選ばれました」という感じの笑い方だ。
……すごいな、と素直に思う。思うだけで、拍手はしなかった。腕が疲れるので。
ここは国立霞ヶ丘探索者高等学校――通称霞高の講堂だ。今日は入学式で、入学式のあとには、もっと大事な行事がある。
天啓の儀。
二十三年前の春分の日、世界中の地面にいっせいに穴が開いた。大開口と呼ばれるその日から、この世界には迷宮がある。中には魔物がいて、倒すと魔石という結晶を落とす。魔石は電気の代わりになるし、車も動かせる。今の社会は、ほとんど魔石で回っている。
そして、迷宮から漏れ出す魔素を吸って育った俺たちは、十五歳の春に一つだけ「スキル」を授かる。
壇上に置かれた、大人の背丈ほどもある青白い結晶――迷宮石に触れると、その人の「魂の形」に合ったスキルが目覚めるのだという。目覚めたスキルは、ステータスと念じれば半透明の窓に表示される。書いてあるのは、名前と、スキル名と、その説明だけ。
で、その説明文を迷宮庁の機械――鑑定盤が読み取って、ランクを決める。いちばん上がS、いちばん下がFの七段階。
ランクは学生証に刻まれる。クラス分けもランクで決まる。就職も、たぶん結婚も、それなりに。
だから講堂は、こんなにうるさい。
「次。鷹宮凛さん」
呼ばれて壇上に上がったのは、黒髪をポニーテールにした女子だった。すっと背筋が伸びていて、歩くだけで周りの空気が冷える感じがする。
彼女が迷宮石に触れると、石の奥がひときわ強く光った。
「スキル【剣聖】。鑑定……Sランク!」
二人目のS。講堂は今度こそ爆発したみたいになった。
なのに当の本人は、にこりともしなかった。ただ一礼して、何事もなかったように壇を降りていく。すれ違うとき、彼女の横顔がちらりと見えた。
……喜んでない、のか?
気のせいかもしれない。考える前に、名前を呼ばれた。
「次。真白湊くん」
俺だ。
壇上は思ったより眩しかった。迷宮石は近くで見ると、冬の湖みたいな色をしていた。表面に、細い蔓のような模様がうっすら浮かんでいる。
手のひらを当てる。
冷たい――と思った瞬間、音がした。
〈……やっと〉
鈴を一つ、そっと鳴らしたような音。なのに俺の耳には、はっきり「言葉」に聞こえた。
え、と顔を上げる。先生は手元の鑑定盤を見ていて、こっちを見ていない。最前列の生徒も、退屈そうにあくびをしているだけだ。
誰にも、聞こえていない?
確かめる間もなく、胸の奥がふっと熱くなった。目の前に、半透明の窓が開く。
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名前:真白 湊
スキル:【翻訳】
説明:日常会話の翻訳を補助する。
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……翻訳?
鑑定盤が、ぴこん、と軽い音を立てた。先生が画面をのぞき込み、二度見して、それからなぜか申し訳なさそうな顔でマイクに口を寄せた。
「えー……スキル【翻訳】。鑑定、Fランク」
一拍。
講堂の空気が、さっきとは別の意味で揺れた。
「……ほんやく?」
「翻訳って、あの翻訳?」
「ステータスって自分の国の言葉で出るよな? 何を訳すの?」
「日常会話って書いてあったぞ。スマホでよくね?」
くすくす、が、げらげら、に変わるまで三秒かからなかった。
「翻訳アプリで十分だろ、それ」
ひときわよく通る声がした。さっきの【勇者】、御堂海斗だ。前の方の席で、隣にいる取り巻きらしい二人と一緒に笑っている。
「スキルの無駄遣いだな。迷宮石がかわいそうだ」
どっと笑いが起きた。
俺は、まあ、そうだろうなと思った。
腹が立たなかったと言えば嘘になる。でも、怒るほどのことでもない。実際、日常会話の翻訳なら俺のスマホにだってできる。しかも無料で。
……Fランク。つまり明日から、俺は五組だ。世間で「外れクラス」と呼ばれている、あの。
一礼して壇を降りる。笑い声の中を自分の席まで歩く距離は、来たときより長く感じた。
◇ ◇ ◇
霞ヶ丘駅前の「すずらん通り」は、シャッターの閉まった店と、しぶとく生き残っている店が交互に並ぶ古い商店街だ。その真ん中あたりに、うちがある。
古書店「真白堂」。一階が店で、二階が住まい。
「ただいま」
「おかえり。……なんだい、その顔は」
帳場で古本の値札を書いていたばあちゃんが、老眼鏡の上からこっちを見た。真白千代、七十二歳。今日も着物で、背筋はものさしみたいにまっすぐだ。
「別に、普通の顔だけど」
「普通の顔ってのは、そんなすっぱい梅干しみたいな形はしてないもんだよ」
「……スキル、外れだった」
鞄を下ろして、ステータスを開示する。他人にも見えるように念じると、窓がふわりと濃くなる。ばあちゃんはそれをじっと眺めて、ふうん、と鼻を鳴らした。
「翻訳? いいじゃないか」
「Fランクだよ」
「ランクなんてのは、お上が勝手に決めたもんだろう。……あんたの母さんも、似たようなスキルだったよ。【通訳】ってね」
母さん。
真白詩織。迷宮庁で、迷宮の壁に刻まれた古い文字を研究していた人だ。八年前、国内最大の迷宮――東京大穴の調査に出かけて、帰ってこなかった。公式には「殉職」ということになっている。
俺は七歳だった。覚えているのは、よく笑う人だったこと。本を読む声がきれいだったこと。それから――最後の朝のことは、あまり思い出したくない。
ばあちゃんは値札にさらさらと数字を書きながら、言った。
「湊。言葉ってのはね、橋なんだよ」
「橋?」
「こっち岸と、あっち岸のあいだに架けるもんだ。渡ってもらって、はじめて意味がある。……翻訳ってのは、その橋をかける仕事だろう。外れなもんかね」
……ばあちゃんは、たまにこういうことを言う。
古本屋の店主だからなのか、それとも母さんの母親だからなのか。どっちにしても、ずるいと思う。こういうことを言われると、すっぱい梅干しの顔が、ちょっとだけ元に戻ってしまう。
「……晩飯、なに」
「肉じゃが」
「やった」
ばあちゃんが、ふふ、と笑った。
◇ ◇ ◇
その夜。二階の自分の部屋で、俺は布団に寝転がったまま、もう一度ステータスを開いた。
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名前:真白 湊
スキル:【翻訳】
説明:日常会話の翻訳を補助する。
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何度見ても、同じ文字だ。
日常会話の翻訳を、補助する。この「補助」というのがまた、絶妙に頼りない。翻訳する、ですらないのか。
「……何に使うんだよ、これ」
天井に向かってぼやく。返事はない。当たり前だ。
ふと、講堂で聞いた音を思い出した。迷宮石に触れたとき、確かに聞こえた、鈴みたいな声。
〈……やっと〉
あれは、なんだったんだろう。空耳だったのか。緊張しすぎて、耳鳴りでもしたのか。
窓を閉じようとして――手が止まった。
説明文の端。「補助する。」の句点のすぐ後ろで、何かが揺れた。
細い線が、何本も絡み合ったような形。植物の蔓が、ほどけかけているみたいな。
文字、だろうか。どこの国のものでもない。見たこともない。なのに、なぜか――ずっと前から知っている気がした。
まばたきを一つ。
消えていた。窓には、さっきと同じそっけない一文が並んでいるだけだ。
「……今の、何だ?」
俺はしばらく窓をにらんでいた。でも、蔓の文字は二度と現れなかった。
――このときの俺は、まだ知らなかった。
あの読めない文字が、ずっと俺を呼んでいたことも。
この世界のスキル名が、ぜんぶ「誤訳」だということも。




