第24話 新人戦の知らせ
『一年生新人戦 開催のお知らせ』
昇降口の掲示板に、その紙が貼りだされたのは、五月の最後の週だった。
朝から、掲示板の前には人だかりができていた。人の壁が厚すぎて、紙の上のほうしか見えない。……と思ったら、後ろから伸びてきた大きな手が、人だかりの隙間をこじ開けてくれた。
「湊、見えるか?」
「……助かる」
大河の腕の下から、俺は掲示を読んだ。
『日時:六月二十日(金)〜二十二日(日)』
『会場:霞ヶ丘迷宮 第六層〜第八層(特設区画)』
『形式:パーティ対抗・旗取り戦』
『優勝パーティには、多摩川迷宮(C級)の探索許可を与える』
「多摩川迷宮!?」
「C級って、二十層まであるとこだろ!?」
「学外の迷宮に一年で入れるの、ヤバくない!?」
あちこちから声が上がる。霞ヶ丘迷宮は全十層の、いわば練習用の迷宮だ。学生ライセンスで入れる学外の迷宮は、ふつう二年生になってから。それを一年のうちに許可される、というのは、確かにとんでもない特典だった。
〈旗取り、とな。面白そうだ。我も出るぞ〉
フードの中で、ルルが身を乗り出した。
「……出られない」
〈なぜだ!〉
「参加資格、一年生のパーティ、って書いてある」
〈我はルビの一員であろう!〉
それはそうなんだけど、たぶん登録用紙の部員欄には「きゅい」とは書けない。
「あー。一応、説明しとけって言われてるから説明すんぞ」
朝のホームルームで、灰原先生は掲示と同じ紙を教卓にぺらりと置いた。いつもどおり、まったく説明したくなさそうな顔だった。
「新人戦。一年のパーティ同士で戦う。迷宮の六層から八層を区切って、試合用の区画を作る。それぞれの陣地に旗が立ってて、相手の旗を奪うか、相手を全員戦闘不能にしたら勝ちだ」
キャンディの棒が、口の端でくるりと回る。
「全員、『身代わり符』っつー護符を持たされる。一定のダメージを受けたら光る。光ったら、そいつは戦闘不能扱いで退場。符が攻撃を肩代わりしてくれるから、大ケガはしねえ。……たぶんな」
「た、たぶん……」
小日向が、青い顔で繰り返した。
「区画の中には影も配置される。試合は迷宮の中の撮影装置で中継されて、全校で観戦する。体育館と校庭にでかいモニターが出るそうだ。以上。出たい奴はパーティ単位で申しこめ。……めんどくせえから、出なくてもいいぞ」
最後の一言は、たぶん本音だった。
ホームルームが終わるやいなや、教室の前のほうから、一人の女子がこっちに向かって飛んできた。途中にあった椅子を、ひょいと一つ跳び越えて。
「ねえねえねえ、翻訳くんたち、出るの!? 出るよね!? だって合同踏破のとき、勇者様たちを助けたの、翻訳くんの班なんでしょ!? みんな言ってるよ!? あたしは最初から信じてたけどね! ていうか、五組から新人戦に出るパーティって今まであったのかな!? ないよね!? あったら知ってるもんあたし!」
佐伯ミナ。スキルは【おしゃべり】。……説明文を見なくても、なんとなくわかる。
「……まだ、決めてない」
「えー!? 出なよ出なよ! 応援するから! 横断幕作るから!」
「作らなくていい」
佐伯の後ろでは、眼鏡の森田が「出るなら、道案内は期待しないでくれよな」と言い、早乙女が「面白そうだったら見に行くー」と手を振っていた。
……合同踏破の前は、五組の誰も、俺たちに話しかけてこなかった。
あの日から、少しずつ、空気が変わってきている。悪い気はしない。しないけど、どうにもむずがゆい。
◇ ◇ ◇
放課後の部室で、俺たちは掲示のコピーを机の真ん中に置いて、四人で囲んだ。
「出ようぜ!」
大河が、開口一番に言った。予想どおりだった。
「多摩川迷宮だぞ! C級だぞ! 強え影がいっぱいいるんだぞ! 腹も減るぞ!」
「最後のは関係ないだろ」
「わ、わたしは……」
小日向が、膝の上でスカートの裾をぎゅっと握った。
「こわい、です。全校の前で戦うなんて、考えただけで……ひゃっ、て、なります」
もう、半分なっている。
「でも……」
小日向は、深く息を吸った。
「みんなが出るなら、わたしも出たい、です。……置いていかれるほうが、もっとこわいので」
水無瀬が、スケッチブックをくるりと回した。
『わたしも、出たい』
その下に、少し小さく。
『みんなと、もっと遠くまで行ってみたい』
三人の目が、また俺に集まった。最近、こういうことがやたらと多い気がする。
「……湊。お前、目立ちたくねえんだろ?」
大河が、少しだけ声を落として言った。
「研究会にしたのも、そのためだったしな。嫌なら、オレら、無理には――」
「いや」
俺は、掲示のいちばん下の一行を指でなぞった。
多摩川迷宮。全二十層。
霞ヶ丘迷宮より、ずっと深い。そして、そこより深い迷宮も、この国にはたくさんある。いちばん深いのは、東京大穴。母さんが、帰ってこなかった場所だ。
一足飛びにそこへ行けるわけじゃない。そんなことはわかっている。でも、階段は一段ずつしか上れないし、一段ずつしか降りられない。
「……出よう」
「マジか!」
「目立たないって決めたのは、俺だけどな」
「だな! 研究会にした意味、まったくなくなったな!」
「言うな」
大河ががははと笑い、小日向がつられて笑い、水無瀬が肩を揺らした。窓辺のルルが〈うむ、それでこそ我の下僕よ〉と満足げにうなずいている。下僕になった覚えはない。
申込用紙に灰原先生の判子をもらい、学年主任のいる職員室前の受付箱に出しに行くと、そこにはもう先客がいた。
「――あ?」
明るい茶髪の男子が、振り返った。
御堂海斗。後ろには、いつもどおり権藤と細川がいる。そして、その少し後ろの壁際に、もう一人。
鷹宮だった。腕を組み、壁に背を預けて、どこか遠くを見ている。
「なんだ。外れどもも出るのかよ」
御堂は、俺の手元の申込用紙に目を落として、鼻で笑った。
「迷宮言語研究会? パーティ名『ルビ』? ……なんだそりゃ。お勉強会でもすんのか」
「ルビってなんすか、御堂さん」
「知るか。宝石かなんかだろ」
権藤と細川が、ぎゃははと笑う。……ルビーは宝石だけど、ルビは違う。いちいち訂正する気にもなれなかった。
御堂が、一歩、近づいてきた。
「合同踏破のこと、調子に乗ってんじゃねえだろうな」
「乗ってない」
「あれは異常個体だった。誰が何をしたかなんて、関係ねえ」
声は笑っていた。でも、目は笑っていなかった。
あの日、五層のボス部屋で、御堂は剣を取り落としたまま、立てなくなっていた。俺はそれを見た。御堂も、俺に見られたことを知っている。
「ちょうどいい」
御堂は、受付箱に自分たちの申込用紙を叩きこむように入れた。
「新人戦で、白黒つけてやるよ。お前ら外れどもを、全校の前で公開処刑してやる」
廊下にいた何人かの生徒が、こっちを振り返った。
「……公開処刑って、物騒だな」
「あ?」
「いや。お手柔らかに」
大河が、俺の隣でぐっと拳を握るのがわかった。小日向は、俺の背中に隠れて「ひゃっ」と小さく言った。今日も、俺の背中は人気がある。
御堂が、後ろを振り返った。
「鷹宮。行くぞ」
「……」
鷹宮は、壁から背を離した。
「なあ、ちょっと待った」
大河が、思わずといった様子で声を上げた。
「鷹宮って、そっちの班なのか?」
「学校の指示だ」
答えたのは御堂だった。
「特別育成生どうしで組めってな。俺と鷹宮は、迷宮庁が直々に育ててる。外れのお遊び班とは、格が違えんだよ」
鷹宮は、何も言わなかった。
否定もしない。肯定もしない。ただ、御堂たちの後ろについて、俺たちの横を通り過ぎようとする。
すれ違う、そのとき。
鷹宮が、ほんの一瞬だけ、俺のフードのほうを見た。
ルルが中にいることを、彼女は知っている。何か、ほんの小さな表情が浮かびかけて――すぐに、消えた。
俺は、鷹宮の顔を見た。
部室でルルを撫でていたときの、あのゆるんだ口元は、どこにもなかった。白い頬。まっすぐ前を向いた目。その目は、確かに前を見ているのに、何も映していないように見えた。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
たとえるなら――試合の結果を、もう知っている人の目だった。
勝っても負けても、自分には関係ない。誰と組んでも、どうせ一人で戦うことになる。そういうことを、とっくの昔に受け入れてしまった人の目。
……何かを、諦めている。
遠ざかっていくポニーテールの背中を、俺は、しばらく見送っていた。




