第14話 新入生合同踏破
「これより、新入生合同踏破を開始する」
迷宮管理棟の前の広場に、学年主任の先生の声が響いた。
水曜日。朝から薄曇りの空の下に、一年一組と五組の生徒が整列している。全員、探索服姿だ。一組の列は、どことなく背筋が伸びて見える。五組の列は、どことなく猫背に見える。気のせいではないと思う。
「ルールを確認する。班ごとに、十分おきに出発。ルートは班ごとに割り振ってあるから、地図を確認しておくこと。目標は五層、ボス部屋の前室だ。そこにある記録石に触れて、引き返してくれば合格とする」
先生は、少し声を強めた。
「ボス部屋には、絶対に入るな。前室までだ。ボスは部屋から出てこないから、前室は安全だ。いいな」
はい、と声がそろう。
「各班に無線機を一台渡す。三層の休憩所に中継の教員がいるから、何かあれば連絡すること。以上。一組の班から順に出発」
一組の列のあちこちから、ひそひそ声が聞こえてきた。
「五組と合同とか、足引っ張られたら最悪なんだけど」
「ルート別だから大丈夫でしょ。どうせ三層くらいで引き返すって」
「あ、あれ翻訳のFじゃん」
「隣のでかいの、壁割ったって噂の? まぐれでしょ」
大河が、ぐぎぎと奥歯を鳴らした。小日向は、大河の背中に隠れて「ひゃ……」と縮こまっている。
水無瀬は、スケッチブックを開いた。
『がんばろう』
その横で、小さな毛玉が拳を突き上げている。毛玉に拳はないはずなのだが、絵の中ではあった。
〈うむ。我がついておる。案ずるな〉
フードの中から、ルルが偉そうに言った。言葉の割に、首の後ろでぷるぷる震えているのが伝わってくる。三層の一件以来、ルルは迷宮に入るのを少し怖がっていた。
一組の最初の班が、出発のために前へ出てきた。
四人。先頭は、御堂海斗。明るい茶髪に、迷宮庁の紋章が入った剣を提げている。その後ろに、取り巻きの権藤と細川。そして、少し離れて――鷹宮凛。腰に、白い鞘の刀を差していた。
すれ違いざま、御堂が鼻で笑った。
「せいぜい一層で迷子になるなよ、翻訳野郎」
「……そっちこそ」
「あ?」
「なんでもない」
御堂は舌打ちをして、階段のほうへ歩いていった。
鷹宮は、こっちを見なかった。……いや、正確に言うと、俺の顔は見なかった。視線は、俺の首の後ろあたりで、一瞬だけ止まった気がする。フードのあたりで。
気のせいだと思いたい。
五組の班は、一組の班が全部出たあとに出発する。俺たちの番は、だいぶ後ろのほうだった。
「なあ、腹ごしらえしとこうぜ」
待ち時間のあいだに、大河がリュックを開けた。中には、ラップに包まれた大きなおにぎりが、みっちり詰まっていた。
「……何個ある」
「二十個。親父が、からあげ入りのを握ってくれた」
「二十」
「五層まで行くんだろ? 途中で腹減ったら、【蓄積】が切れるからな。補給だ、補給」
理屈は合っている。合っているけれど、リュックの重さで大河の肩が少し沈んでいた。
小日向は、さっきから同じ言葉を繰り返していた。
「む、むりむりむり……五層なんて……むりです……」
「小日向。ここまで来たら、行くしかないだろ」
「わ、わかってます……わかってますけど、口が勝手に……」
「叫んでもいいから、ついてきてくれ。先触れがないと困る」
小日向は、涙目のまま、こくんとうなずいた。
「おーい、真白」
列の後ろから、森田が手を振っていた。隣には早乙女もいる。二人とも、今は俺たちとは別の班だ。
「俺の班、四層あたりで迷子になる自信ある。見かけたら拾ってくれ」
「自信を持つな」
「早乙女は?」
「んー。気が向いたら、五層まで行くよー」
相変わらずだった。でも、二人とも、入学したころよりずっと楽しそうな顔をしていた。最初の実習で同じ班になった連中が、こうして声をかけてくるのは、悪くない気分だった。
「真白班。出発」
先生の声がかかった。
◇ ◇ ◇
一層から三層までは、驚くほど順調だった。
俺が聞いて、小日向が感じて、大河が受け止めて、俺か大河が仕留める。この二週間で、四人の動きはずいぶん噛み合うようになっていた。水無瀬も、袖を引いて岩陰の兎を教えてくれる。
三層の休憩所では、灰原先生がパイプ椅子に座っていた。
「……来たか」
先生は、俺たちの顔を一人ずつ見た。それから、無線機を指さした。
「こまめに入れろ。何かあったら、すぐ引き返せ。合格なんざ、どうでもいい」
教師が言うことじゃない気がした。でも、先生の目は、少しも笑っていなかった。
「行ってきます」
「……おう」
四層は、木の人形の階だった。
木偶。人間くらいの大きさの、木でできた人形だ。手足の関節がぎしぎし鳴って、動きはぎこちない。でも、腕を振り回す力は強い。当たったら、たぶん痛いでは済まない。
〈侵入者、確認〉
〈打撃、上段〉
「上から来る。大河、盾を上に」
「おう!」
ごん、と木の腕が盾を叩いた。
〈打撃、再度。上段〉
「もう一回、上! その後、胴が空く!」
二度目の振り下ろしを受け止めた大河が、そのまま籠手の拳を突き出す。
「【蓄積】――解放ッ!」
木偶の胴に、ばきんと穴が開いた。木の体が光の粒になってほどけていく。小さな魔石が、からん、と床に転がった。
「よっしゃあ!」
「ひゃっ……つ、次、右から来ます!」
〈薙ぎ、左から右〉
「右に避けろ、左から薙いでくる!」
小日向の悲鳴と、俺の声が、ほとんど重なる。四人で同時に右へ跳ぶ。木の腕が、さっきまでいた空間を空振りする。
いける、と思った。
水無瀬が地図を広げて、指で道をなぞってみせた。この先の階段を降りれば、五層。前室は、そのすぐ奥だ。
『あと、すこし』
「ああ。あと少しだ」
大河がおにぎりを一個、まるごと口に放りこんだ。小日向は「ひゃっ」と言わずに、ほっと息をついた。
この調子なら、五層の前室まで行ける。誰にも馬鹿にされない成績で。
――そう思った、すぐあとだった。
〈侵入者、確……〉
次の木偶の声が、途中で消えた。
〈……〉
消えた。
三層のときみたいに、途切れ途切れになるんじゃない。ぷつり、と。糸を切ったように、何も聞こえなくなった。
木偶は、通路の奥で動きを止めていた。両腕をだらりと下げて、首をかしげたまま。命令を待っているのに、何も届かない。そんなふうに見えた。
「湊?」
「……声が、消えた」
大河が、腰の無線機を取った。
「三層、三層。こちら真白班。四層で、ちょっと様子が変です」
返事は、すぐに来た。
『ザ……真白……ザザ……全班……待……ザ――』
雑音だった。
灰原先生の声らしいものが、砂嵐の向こうで、ちぎれちぎれに聞こえる。何を言っているのか、わからない。
「先生!? 聞こえねえよ!」
『ザザ……ザ――』
それきり、無線機は、ただの雑音を吐き出すだけになった。
首の後ろで、ルルが震えていた。
〈いやだ……〉
三層のときより、ずっと強く。小さな体が、がたがたと音を立てそうなくらいに。
〈この感じ、いやだ……いやだ、湊……〉
「ルル?」
〈寒い……冷たい……何かが、来る……〉
「ひゃっ……!」
小日向が、両腕で自分の体を抱きしめた。
「き、来ます……来ます、来ます……! でも、わかんない……どこから来るのか、わかんないです……!」
小日向の歯が、かちかちと鳴っていた。先触れが、今までにないくらい強く反応している。それなのに、方向がつかめない。
大河が、盾を構えた。水無瀬が、スケッチブックを胸に抱えて、俺の袖をつかむ。
通路の奥で、動きを止めていた木偶が、ぐらりと揺れた。
そして、倒れた。
光の粒にはならなかった。三層の影狼と同じように、木の体が砂のように崩れて、床にこぼれ落ちていく。
ザ――。
耳の奥で、あの音がした。
さっきより、ずっと近い。
崩れた木偶の向こう。四層の、さらに奥の暗がりから、何かがゆっくりと歩いてきた。
狼だった。
形だけは。
四本の脚。長い鼻づら。とがった耳。でも、その体には、色がなかった。毛並みもなかった。
白と黒が、ざらざらと入り混じって、絶え間なく揺れている。
まるで、テレビの砂嵐が、そのまま狼の形に切り抜かれて、歩いているみたいだった。




