第10話 余り者の四人班
迷宮管理棟の地下には、貸し出し用の装備を並べた倉庫がある。
二層から先の実習では、そこから訓練用の武器を一つずつ選んでいいことになっていた。短剣、長剣、槍、弓、盾。刃のあるものはどれも刃が潰してあって、そのかわりにずっしり重い。
「オレはこれだな」
大河が持ち上げたのは、身長の半分くらいある大盾だった。ついでに、分厚い籠手まで腕にはめている。
「前に出るって言ったからな。小日向が叫んだら、オレがこいつで受け止める」
「似合うな」
「だろ?」
小日向は、壁に掛かった短弓の前で、長いこと迷っていた。
「と、遠くからなら……少しは、怖くないかなって……」
両手で弓を抱きしめるように持って、小さく言う。それはそれで、正しい選び方だと思った。
俺と水無瀬は、短剣のままにした。水無瀬は、柄の握り方をどうしたらいいのかわからない様子で、刃を何度も持ち替えていた。
装備を選び終えたところで、俺は三人を倉庫の隅に呼んだ。
「迷宮に入る前に、話しておくことがある」
大河だけが、ああ、という顔をした。
フードに手を入れる。ふわふわが、待ちかねたように手のひらに乗ってきた。
〈やっと我の出番か〉
白い毛玉を、三人の前に差し出す。
「……一層で拾った。ルルっていうんだ」
ルルが、得意げに、きゅい、と鳴いた。三人の耳には、そう聞こえたはずだ。
「ひゃっ……!」
小日向が跳び上がって、それから、ゆっくりと両手を口元に当てた。
「か……かわいい……っ」
水無瀬は、動かなかった。
前髪の隙間からのぞく目だけが、きらきらと光っていた。それから、ものすごい速さでペンを走らせ、くるりとスケッチブックを向けた。
『やっぱり、いた』
ページをめくる。
『じゅぎょう中、フードが動いてたから』
「……ばれてたのか」
水無瀬はこくりとうなずいた。昨日の「腹の音」も、当然ばれていたのだろう。大河が、ばつが悪そうに頭をかいた。
ルルは、俺の手のひらの上で胸を張った。
〈ふむ。小さいのと……〉
それから、水無瀬をじっと見上げた。黒いつぶらな目が、しばらく動かなかった。
〈ほう。この娘からは、歌の匂いがする。歌の娘だな〉
「……歌?」
〈なんとなくだ。理由は知らぬ〉
俺は、三人にそのまま訳した。小日向は「小さいの……」と少ししょげ、水無瀬は首をかしげて『うた?』と書いた。
「本人も、よくわかってないらしい」
水無瀬はしばらく、その二文字を見つめていた。それから、新しいページにさらさらと何かを描き始めた。
一分もかからなかった。白い紙の上に、ふわふわの毛玉が現れた。黒い目、小さな足、ちょっと偉そうに胸を張った姿勢まで、そっくりだ。
〈おお……! 悪くない。だが、もう少し威厳を足せ〉
「もう少し威厳を足せ、だって」
水無瀬は口元をほころばせて、毛玉の頭に小さな王冠を描き足した。ルルは大変満足そうだった。
◇ ◇ ◇
二層。角兎の巣がある区画。
四人で動く初めての実習は、はっきり言って、ひどかった。
〈突進、正面〉
「来る! 大河、正面!」
「お、おう……っ」
大河が、盾を構えようとして――よろけた。
「う、動けねえ……腹が、重い……」
「お前、何食ってきた」
「弁当、四つ……食えば食うほど強いんだろ?」
「限度があるだろ!」
溜めすぎると、体が重くなるらしい。角兎の突進を、大河は盾ごと受け止めきれずに、尻もちをついた。
「ひゃっ……来ます!」
次の兎が来る前に、小日向が叫んだ。さすがだ。三秒は早い。
そして叫んだ小日向は、まっすぐ走りだした。
兎のいるほうへ。
「小日向、そっちは来るほうだ!」
「ひゃああああっ! ど、どっちですか!?」
「逆!」
小日向は泣きながらUターンし、兎の角は彼女の短弓をかすめて空を切った。俺は心臓が止まるかと思った。
〈ふん。騒がしい群れだ〉
フードの中のルルが、他人事のように言う。お前も少しは手伝え。
それでも、三回、四回と繰り返すうちに、少しずつ形になっていった。
小日向が「来ます」と叫ぶ。数秒後、俺の耳に兎の予告が聞こえる。「右から」と俺が言う。大河が盾を向ける。弾かれた兎が体勢を崩したところを、俺か大河が仕留める。
「よし、いける! 次はオレが決める!」
腹が落ち着いてきた大河が、盾を構えたまま右の拳を握った。
「説明に『解き放つ』ってあったろ。だから――」
突進してきた兎を、盾で受け止める。そのまま、籠手の拳を振りかぶる。
「【蓄積】――解放ッ!」
どごん。
兎は光の粒になり、ついでに後ろの床に浅いくぼみができた。
「……今の、言い方」
「かっこいいだろ!」
「かっこいいかどうかは知らないけど、声はでかい」
大河は満足げに鼻を鳴らし、それから、ぐうと腹を鳴らした。
小日向はというと、矢を一本も撃てていなかった。弓を引こうとすると先触れが来て、悲鳴を上げてしまうらしい。それでも、「来ます」の精度はどんどん上がっていた。
休憩のとき、水無瀬が、少し離れた岩に一人で座っているのに気づいた。
実習のあいだ、水無瀬はずっと後ろにいた。短剣を握ってはいたけれど、前に出る隙はなかった。叫んで危険を知らせることもできない。大河のように受け止めることも、小日向のように先に気づくこともできない。
水無瀬はスケッチブックを膝にのせて、何かを描いていた。近づくと、少し迷ってから、そっとこちらに向けた。
絵だった。
盾を構えて踏んばる大河。弓を抱えて、目をつぶって叫んでいる小日向。その間で、何かを指さしている俺。鉛筆だけなのに、今にも動きだしそうだった。大河の盾がきしむ音や、小日向の悲鳴まで聞こえてきそうな絵だ。
「……上手いな。さっきの戦闘か」
水無瀬はうなずいた。
でも、俺はそこで気づいた。
絵の中に、水無瀬がいない。
三人の後ろには、何も描かれていない。白い紙が、そのまま残っているだけだ。まるで、そこに誰かが立っていたことなんて、最初からなかったみたいに。
そして、その白い余白の隅に、小さく。
『ごめんね』
消えそうなくらい、小さな字だった。
「謝ることないだろ」
俺は、水無瀬の隣に腰を下ろした。
「今日が初日なんだから。大河なんか、弁当四つで動けなくなってたぞ」
水無瀬は、ほんの少しだけ口元をゆるめた。でも、ペンを握った指は、まだ白いままだった。
実習を終えて管理棟を出ようとしたとき、出口の柱のところに灰原先生が立っていた。
「おう。五組の余り者班か」
余り者。言い方はひどいが、たぶん事実なので言い返せない。
「怪我は」
「ないです」
「そうか。……真白」
先生が、キャンディの棒で俺の首の後ろを指した。
「フードから、なんか出てんぞ」
全身が凍った。
振り返るまでもなかった。首筋に、ふわふわの感触がある。ルルが、外の空気を吸おうと身を乗り出していたのだ。
〈なんだ、この飴の男は〉
先生の耳には、きゅい、としか聞こえていないはずだ。でも、そういう問題じゃない。
四人とも、固まっていた。小日向は今にも泣きそうで、大河は盾を抱えたまま直立不動で、水無瀬はスケッチブックで顔を半分隠していた。
灰原先生は、白い毛玉をじっと見ていた。
長い間があった。
「……見なかったことにする」
先生は、だるそうに言った。
「迷宮生物の持ち出しは校則違反だからな。見てねえなら違反もねえ。めんどくせえ書類も書かなくて済む」
それだけ言うと、先生はくるりと背を向けた。
四人で、同時に息を吐いた。大河がその場にしゃがみこみ、小日向は水無瀬に抱きついていた。
歩き去りかけた先生が、ふと足を止めた。振り返らないまま、ぽつりと言った。
「……お前、母さんに似てきたな」
え、と声が出た。
先生はそれ以上何も言わず、右足を少し引きずりながら、夕方の校舎のほうへ歩いていった。
俺は、その場から動けなかった。
母さんに、似てきた。
似てきた、と言うには、前の母さんを知っていなければならない。
俺は先生に、母さんの話をしたことなんて一度もない。名簿を見ても、保護者の欄にあるのはばあちゃんの名前だけだ。仮に書類で母さんのことを知ったのだとしても、似てきた、なんて言い方はしないだろう。
あれは、母さんの顔を、声を、直接知っている人の言い方だった。
「湊? どうした?」
大河の声が、遠くに聞こえる。
フードの中で、ルルが小さく身じろぎした。
〈湊。あの飴の男、お前を見る目が、少しだけ寂しそうだったぞ〉
灰原先生は――母さんを、知っている?




