第十八話 大喧嘩
「……もういい! 陸のバカ! 大っ嫌い!!」
怒声とともに自室のドアが爆音を立てて閉まり、階段を駆け下りる激しい足音が家に響き渡った。
「あーあ……凛先輩、本気で怒って帰っちゃったね……」
「……凛先輩がここまで感情を爆発させて出て行くのは、初めて見ました」
リビングには、重苦しい静寂と気まずい空気が漂っていた。
事の発端は、ほんのささいなすれ違いだった。中間テストの勉強会中、陸のノートのまとめ方や教え方を巡り、昔馴染みの感覚でズカズカと言い立ち回る凛と、最近の陸の苦労を知る結衣たちの間で小さな衝突が起きた。
陸も連日のハプニングによる寝不足とストレスが溜まっており、つい強い口調で「お前はいつも一方的すぎるんだよ! 少しは周りの状況も考えろ!」と突き放すように怒鳴ってしまったのだ。
「……言い過ぎた」
頭を冷やした陸は、頭を抱えてソファに沈み込んだ。
凛は昔から、陸の世話を焼くのが当たり前だった。義妹たちが来てからというもの、彼女なりに必死に「幼馴染のポジション」を守ろうと焦り、無理をして空回りしていただけなのだ。
「……陸兄さん。凛先輩の手帳、リビングのテーブルに落ちています」
結衣が静かに差し出してきたのは、パステルカラーの小さなスケジュール帳だった。パラパラとページが捲れ、挟まれていたメモ用紙が落ちる。
そこには、ぎっしりと手書きで書かれた文字があった。
『陸の好きな出汁焼き卵の作り方』
『陸の苦手な英語の単語リスト』
『義妹ちゃんたちと陸が気まずくならないためのメニュー案』
「……っ」
陸の胸がぎゅっと締め付けられた。強がりで素直になれず、いつも「監視役」や「付き添い」を名目に怒鳴っていた凛だが、影では誰よりも陸のこと、そしてこの家のことを考えてくれていたのだ。
「陸兄ちゃん! 何してるの! 早く追いかけなきゃダメだよ!」
「……葵の言う通りです。凛先輩があんな顔で泣きながら走っていくの、私だって見たくありません」
ポーカーフェイスの結衣の瞳にも、真剣な光が宿っていた。ライバルとして牽制し合ってはいるが、二人の義妹にとっても、凛はこの家に欠かせない大切な存在になっていた。
「……ああ、行ってくる!」
陸は凛の手帳を握りしめ、玄関を飛び出した。
雨がパラパラと降り始め、秋の冷たい風が頬を刺す。
隣の家の前に着くと、傘もささずに玄関のステップで小さく丸まり、膝に顔をうずめて肩を揺らしている凛の姿があった。
「……凛!」
「……来ないでよ。大嫌いって言ったでしょ……」
震える声でつぶやく凛の顔は雨と涙で濡れ、耳まで真っ赤になっていた。いつも元気いっぱいに威張っていた幼馴染が、見たこともないほど小さく見えた。
「ごめん、凛。俺が全部悪かった。お前が俺たちのために色々考えてくれてたの、全然気づかないで……」
陸はしゃがみ込み、凛の手帳を差し出した。雨に濡れないよう、自分の上着を凛の肩にそっとかける。
「お前が手伝ってくれて、うるさく言ってくれるから、俺は救われてたんだ。お前がいなきゃ、ダメなんだよ」
「〜〜〜〜っっ!?」
『いなきゃダメ』という単語に、凛はビクッと体を跳ねさせ、涙目で陸を見上げた。至近距離で重なる視線。ほのかな甘い香りと、濡れた髪から滴る水滴。
「な、なによそれ……っ! そんな思わせぶりなこと言って……ズルいじゃない……っ!」
真っ赤になった凛が、ぽかぽかと陸の胸を拳で叩いてくる。だが、その力は弱く、最後は陸の服の胸元をギュッと掴んで、その胸に額を押し当ててきた。
「……もう、バカ陸。……私を置いてかないでよ……」
「置いてくわけないだろ。……帰ろう、みんな待ってる」
雨の中、濡れた幼馴染の肩をしっかり抱き寄せながら、陸は家路につくのだった。




