第十三話 秋の夜長
秋も深まり、すっかり肌寒くなった日の夜のことだった。
「……陸兄さん。温かい紅茶を淹れました」
静まり返ったリビングで、結衣が静かにカップを置いてくれた。
今夜は葵が部活の遠征で合宿に行っており、凛も生徒会の仕事で遅くなるとのことで家にいない。珍しく、家には俺と結衣の二人きりだった。
「サンキュ、結衣。助かるよ」
温かいカップを手に取り、ふうっと息を吹きかける。
いつもなら葵の元気な声や、凛の賑やかなツッコミが響いているリビングだが、今夜は驚くほど静かだ。窓の外では秋の虫の音がサラサラと心地よく響いている。
結衣は何も言わず、例によってごく自然な動作で俺の隣にすっと腰掛けた。
そして、小さく息を吐きながら、そっと俺の服の裾をキュッと指先で摘んでくる。
「……二人きりだと、少し静かすぎますね」
「まあな。葵がいないと一気に静かになるし、凛も今日は来ないからな」
俺がそう答えると、結衣は摘んでいた服の裾をぎゅっと少し強めに握りしめた。
「……陸兄さん」
「ん?」
「……凛先輩や葵がいなくて、寂しいですか?」
ポーカーフェイスのまま尋ねてくる結衣。しかし、少しだけうつむいたその瞳は、俺の反応をじっと探るように伺っていた。
「いや……寂しいっていうか、たまにはこういう静かな夜も落ち着いていいなって思うよ。結衣とこうしてゆっくり話すのも久しぶりだしな」
俺が微笑んでそう伝えると、結衣の目元がわずかに柔らかくなった。
「……そうですか。それなら、良かったです」
安堵したように小さく呟くと、結衣はそのまま身を寄せ、俺の肩に自身の頭をちょこんと預けてきた。
フワリと、秋の冷気とは対照的な、彼女の甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「……結衣?」
「……膝掛け代わりに、陸兄さんの体温を貸してください。秋の夜は、少し冷えますので」
ポーカーフェイスで淡々と主張するが、触れ合っている彼女の体温は驚くほど温かい。
華奢で驚くほど軽い彼女の体温を感じながら、俺はドギマギしつつも、そっとその肩に手を回した。
「……陸兄さん」
「ん?」
「……今夜は、誰も来ません。だから……もう少しだけ、こうさせてください」
耳元で囁く結衣の鼓動が、静かな部屋の中でトクトクと少し速いリズムで伝わってくる。
いつもは他の二人に遠慮して抑えている彼女の静かな独占欲が、秋の夜長の中にじわりとけていくようだった。
つい先ほどまでシャワーを浴びていたのだが、秋の深まりとともに夜の冷え込みが厳しくなり、風呂上がりだというのに手足の先からどんどん熱が奪われていく。
「……はぁ、寒い。そろそろ湯船にお湯張らないと、シャワーだけじゃ厳しくなってきたな」
独り言のように呟いて息を吐くと、ソファに座っていた結衣がパタパタと小さな足音を立てて寄ってきた。
今夜は葵も凛もいない、二人きりの静かな夜だ。
「……陸兄さん、湯冷めします」
結衣はポーカーフェイスのまま淡々と告げると、両手に持っていた大きな膝掛けを広げ、俺の背中からすっぽりと包み込んできた。
「うわ、っと……結衣?」
「そのままじっとしていてください。……寒いですから」
そう言うと、結衣は膝掛けごと俺の腰に回した腕にギュッと力を込め、正面から体にぴったりと抱きついてきた。
湯上がりでまだ少し湿り気を帯びた彼女の髪から、甘いシャンプーの香りがふわりと立ち上る。膝掛け越しとはいえ、密着した結衣の華奢で柔らかな体温が、冷え切った俺の体にダイレクトに伝わってきた。
「結衣、あのな……温かいのは助かるけど、近すぎないか……?」
「……近くありません。陸兄さんが『寒い』と言ったので、効率よく保温しているだけです」
表情ひとつ変えずに主張する結衣だが、俺の胸元に押し当てられた彼女の耳の先が、みるみるうちに綺麗な薄桃色に染まっていく。
俺の服の裾をギュッと掴む小さな指先。トクトクと肌越しに伝わってくる少し速い鼓動が、彼女の本当の気持ちを何よりも雄弁に物語っていた。
「……お湯、明日からはちゃんと張りましょうね」
「そうだな。明日からは湯船に浸かるよ」
俺が苦笑しながら彼女の背中にそっと手を回すと、結衣は嬉しそうに、満足げに小さく息を吐いた。
秋の夜長の静寂の中で、シャワーでは決して得られない甘い熱が、ふたりの間にゆっくりと満ちていった。




