いつか騎士様が……
女性の前に立って一礼するのは正式にダンスに誘う礼で、わたしはこれに返答しなくてはならない。
桜先生が「マナーレッスンで教えたでしょう?」と言う視線をわたしに送っている。
たしか、男性から誘いを受けてお断りする時は、失礼にならないように「ご挨拶をありがとうございます」という意味に受け取って何も言わずにうなずくだけ。
男性も一礼を返して終了。
誘いを受ける時は右手をさしのべる、だったはず。
今回はお断り無しなので、ダンスへの誘いを了承する合図のために右手の甲を上にして差し出した。
『良くできました』と言うようにニッコリと微笑んだペーター先生は、わたしの右手を下からそっと受け取り、少し手を持ち上げて礼をしながら手の甲に口付けするような仕草をする。
ここのポイントは、本当に口付けをしないこと。
映画などで本当にキスしているのは間違いで、ましてや音を立てて「チュッ」ってキスするのは論外だとか。
わたしとしてはロマンチックだなぁ、と見ていたけれど。
映画やドラマは視聴者のあこがれを詰め込んだものだから、本当に手の甲にキスするのも良いものだと思う。
本当にキスをしない理由は簡単だった。
桜先生の言うには、「だって手や手袋が汚れたら嫌でしょう?」だとか。
こんな風に優雅にダンスに誘ってくれる紳士だったら汚れるようなことは絶対に無いと思うけれど、それがルールでマナーというものなのだろう。
ペーター先生はわたしを椅子からエスコートしてホールへと誘う。
あまりにも完璧な紳士のエスコートぶりに、自分がドレス姿のお姫様になったように感じた。
今までわたしを困らせてきた男性恐怖症が、完璧な紳士を前にすると仕事をしない。
それどころか、ドレス姿の姫君といぶし銀な騎士が素敵なお城のホールで踊る二人へと脳内が勝手に自動変換していた。
桜先生がタイミング良くスローテンポのワルツの曲を流し、ペーター先生とわたしはワルツを踊り始めた。
基本のステップしか覚えていないけれど、リードが良いので自分でも驚くほどに踊れる。
桜先生とのワルツは女性同士の安心感がとても大きかったけれど、ペーター先生との身長差がフィットして踊りやすさを感じていた。
でも、なによりも驚いたのは、わたしが男性と踊っても怖くないこと。
いつもなら、男性と手をつなごうとしただけで、手が震える上に貧血も起こしそうになって、周囲から止められるほどだった。
「すごい、ペーター先生は全然怖くない!」
驚きが声になっていたらしい。
「光栄ですよ、プリンセス杏樹。
騎士は姫君を護る存在デス。
日本にナイトはいませんカ?」
踊りながら会話できる余裕があるのも凄いと思う。
ゆっくりめの曲なのもあるのだろうけれど。
「そうね、侍はいるかもだけれど騎士はいないわね。
少なくとも、わたしは知らないわ」
出合ったとたんに斬り捨てるような、不作法な侍にしか会っていないし。
これって男運が悪いって考えた方が良いのかも。
考え事をしたら、しっかりペーター先生の足を踏んでしまったけれど、紳士な先生だから笑顔で「大丈夫デス」と言われた。
初心者なのだから、集中していないと。
緊張して踊っていると、ペーター先生が納得するように言った。
「杏樹さんハ、サムライよりナイトの方が安心できそうですネ」
確かに、ペーター先生となら男性恐怖症が消えるから、騎士を連想させるような人なら大丈夫なのかもしれないと思った。
わたしが出会った侍(日本男子)が最低なだけかもしれないけれど。
「ペーター先生にそう言われたら、信じてしまいます。
先生みたいな素敵な騎士様と出会えると良いですけど」
本当にそう信じられたら良いと思う。
物語に出てくるようなお城がある異国で紳士の見本みたいな男性にお姫様扱いされたら、干からび気味なアラサー女でもお肌に張りが出ても不思議ではないし、幼女の頃にあこがれていた夢まで見てしまいそうだ。
「杏樹さんはとっても魅力的なプリンセスでス。
あなたにふさわしい騎士にきっと出会えますヨ」
そう言ってパチンと片目をつぶる。
還暦のおじさまでもウィンクが決まるのは、なんて格好良いのだろうと関心するとともに、ペーター先生の予言が実現されそうに思えた。




