舞踏(デビュタント)への招待
今日のお昼はクラシックなカフェで桜先生、ペーター先生と。
ホットサンドとホイップクリームたっぷりのコーヒーが美味しい。
コーヒーに浮かべられたクリームは見事に渦巻きピラミッドになっていた。
最初からクリームをコーヒーに混ぜてしまわず、甘いクリームを楽しんでからクリームと混ざり合ったコーヒーをいただくのだそう。
クリームが蓋になって冷めないから、熱いコーヒーをゆっくり楽しめると教えてもらった。
「このお店は二人の思い出の場所なのよ」
桜先生がくすぐったそうに笑って言う。
お二人のデートの定番だったそうだ。
甘くて美味しいコーヒーに添えて、甘いお話をありがとうございます。
正直、うらやましい。
男性恐怖症の恋愛恐怖症だけど、甘い恋のお話は好き。
ただ、『自分も』という夢が無いというか、希望が持てないだけだ。
少し暗い気持ちになっていると、桜先生がいたずらっ子のような顔でわたしを見た。
「はい、注目! ここに招待状があります」
そう言って取り出して見せたのは綺麗な薄緑色の封筒。
印刷かと思うような芸術的に美しい飾り文字で表書きがされていた。
「これは舞踏会への招待状です。
私と夫のペーターも参加するけれど、杏樹の分もあるのよ。
ダンススクールの仕上げは舞踏会に参加はいかがかしら?
さ、これで気合いが入るわよね?」
満面の笑みを浮かべる桜先生に、わたしは全力で否定した。
「無理です」
力を込めて言う。
「わたしは、ダンスを習って数日のド素人ですよ?
それにパートナーがいないし、ドレスもありません」
「素人なのは大丈夫よ。
だって舞踏会に初めて参加する人たちばかりのデビュタントですもの
ステップ踏むのがやっと、みたいな子もいるの。
今の杏樹さんならデビュタントの参加者なら普通レベルだから、心配しなくて良いわよ」
「デビュタント?」
初めて聞く言葉だ。
「日本には該当するものが無いから、普通は知らないわよね。
要は社交界デビューのお披露目舞踏会なの。
今回のはアロアベルで開催される舞踏会だけど、フランスやオーストリアのものが有名ね」
社交界デビューと聞いて、驚きしかない。
文化が違うのは当たり前だけれど、わたしは外国人旅行者だからアロアベルの社交界など1ミリも縁が無いのに良いのかと思う。
「あの……、わたしは外国人だし旅行者だけど、アロアベルで社交界デビューなどという晴れがましい場所に出て怒られませんか?」
桜先生が「うふふ」と悪戯が成功した時みたいに笑った。
「不安に思うわよね? でも、大丈夫よ。
デビュタントに参加できる条件は三つだけなの。
一つ目は、未婚であること。
二つ目は、男性は燕尾服、女性は白のイブニングドレスを用意できること。
三つ目は、左回りのワルツを踊れること。
ドレスはこちらで用意するから、条件は揃っているのよ。
それに、さっき見せたでしょう?
杏樹さんの招待状がちゃんとあるから、参加は確定です。
怒る人は誰もいませんよ」
頭の中で『?』がたくさん浮かんで、言葉にならない。
なぜデビュタントの参加者は未婚でなければならないの?
舞踏会だからドレスはわかるけど、イブニングドレス?
ちょっとおしゃれなワンピースではだめなの?
左回りのワルツ?
右とか左とかワルツにあるの?
そもそもなぜ、旅行者のわたしに招待状があるの?
何よりも問題はワルツの相手がいないことでは?
桜先生もペーター先生も既婚者だからデビュタントの参加資格ないよね?
色々疑問があるのに、言葉にできたのは一つだけだった。
「ワルツのお相手がいないから、参加できません!」
旅の恥はかき捨てと言うけれど、習って数日のワルツを大勢の人の前で踊るなんて無理、絶対に無理。
だてに今まで日陰の人生を送ってきているわけじゃない。
華やかな場所で目立つような事は絶対にしたくない。
むしろ、キラキラな場所にはトラウマしか無い。
絶対に参加しない、という返事をする前に桜先生に先を越された。
「あ、やっと来たわ! こっちよ!」
先生が場所を示すように立ち上がって手を振ると、一人の男性がわたしたちのテーブルに近づいて来た。
一目でわかる。高身長、肩幅があって腰が細くて、足が長いモデル体型。
そしてイケメン。
アロアベルの人なのだろうけど、色々な人種の良いとこ取りを体現しているような感じで、綺麗な顔だけれど人形のような冷たさは感じなかった。
つややかな黒髪を軽く横に流していて、すごく深い青い瞳をしている。
白いシャツに、チョコレート色のパンツとキャメル色の薄手のセーターを着ていて、シンプルだけど良い布と仕立ての服だということがわかる。
テーブルの横まで来ると、綺麗に一礼して挨拶をした。
「ご無沙汰しております、伯母上。
お呼びにより参上いたしました」
「レオン、ようやく来たわね」
桜先生が少しとがめるように言って右手を差し出すと、レオンと呼ばれた男性がお手本のように一礼をして右手を受け、マナー通りに口付けをするような動作をした。
本物のレディーに対する特上の社交あいさつだ。
ダンスのお誘いの時みたいに、特別の時にだけするあいさつかと思っていたけれど、普通に「久しぶりです」って感じの時でもしちゃうんだ。
「伯母上のお呼び出しに直ぐ応えられず申し訳ありません。
伯父上にもごあいさつに伺えず、失礼いたしました」
ペーター先生には軍人さんみたいに踵をそろえてピシリと直立して、うなずくようなあいさつをした。
「レオンは忙しすぎるんダヨ。
兄上は自分が面倒なことをスグ息子に押しつけてるからネ。
今日は来てくれて嬉しいヨ」
「そう言っていただけて恐縮です」
ペーター先生にそう言うと、クルリと体を回してわたしを見た。
「杏樹さん。お会いできる日を楽しみにしていました」
わたしの目を見て、とても爽やかな笑顔で言う。
社交辞令ではなく、本当に楽しみにしていた、という笑顔だった。
整った顔に、親愛を込めた笑みに思わず見惚れてしまう。
わたしよ、長年わたしを困らせていた男性恐怖症はどこへ行った?
視線が合って恥ずかしいと思っても、怖いなどと欠片も感じない。
いわゆる『ただしイケメンに限る』ってこと?
「あ、えと……」
言葉に詰まっていると、レオンから爆弾を落としてくれた。
「最後に杏樹さんとお会いしたのは小学校の入学前でしたね」
???
小学校の入学前?
っていうか、今までの会話、全部……
「日本語っ!」




