ペーター先生は踊れる執事
朝は10時からお昼までレッスン。
お昼は毎日違うカフェやレストランで桜先生と一緒に食事。
地元に住んでいる先生のお勧めの店ばかりなので、食事が美味しい上に歴史ある建物も多く、毎日のお昼が楽しみになっていた。
食事は食事や社交界のマナーをはじめ、滞在中のアロアベル国の歴史や伝説を聞きながらゆっくりいただく。
桜先生は話が上手なので、勉強というよりランチの女子会みたいな感じだ。
食後は先生のガイドで名所巡り。
アロアベル共和国は東京23区とほぼ同じ広さで、山や湖など自然が美しく料理が美味しいのでヨーロッパでは観光地として有名なのだそうだ。
20年ぐらい前までアロアベル公国(辺境伯領)だったため、領主だった辺境伯の城や騎士たちが住んでいた砦は絵に描いたようなお城でお庭も見事だったし、教会は荘厳で、城下町は絵本かゲームで描かれるような町並みで可愛らしくも美しく、石畳の道を歩くだけで十分異国を感じられるものだった。
お茶の時間に教室に戻って、マナーレッスンを兼ねて紅茶(コーヒーの時も)をいただく。
お茶の銘柄や産地、美味しい淹れ方、茶器の種類や一緒にいただくお菓子の選び方など、それぞれの由来や作り方などは普通に面白くて興味深かった。
日本で同じ内容のカルチャー教室を開いても人気がありそうだけれど、本場で本物を手にしてのレッスンは貴重な体験だと思う。
実際、母が企画に加わっている旅行会社でも、アフタヌーンティーをお城でいただきながらのマナー教室コースは人気だと言っていたし。
ちなみに、お茶は教室の隅に休憩コーナーが作られているのでそこでいただいていた。
ペーター先生のご実家から譲ってもらったという、アンティークな家具と茶器はお高そうで、落としたり傷を付けないように気をつかうけれど、とても優雅な気分にさせてくれた。
お茶を済ませたら夕食までワルツのレッスン。
夕食はダンス教室かホテルの近所のお店で、桜先生とご主人のペーター先生と一緒に。
毎晩アロアベルの名物や伝統料理をいただいているけれど、ご飯が美味しいのも自慢な国なので何を食べても美味しいのは純粋に嬉しかった。
ペーター先生は桜先生のご主人で桜先生とダンス教室を運営されているけれど、マナーの先生を執事学校でされていると知って、さすが元公国だと思った。
今は大統領制になったので貴族の称号は無くなったけれど、貴族社会は存在しているから執事は人気職業としてあるのかと思ったら、執事はもちろん、高級ホテルのコンシェルジュ育成学校らしい。
言われてみれば執事は個人宅の仕事、コンシェルジュはホテルでの仕事だけど内容は執事とあまり変わらない。
ペーター先生はキッチリと後ろになでつけたシルバーグレイの髪に、ブルーグレイの瞳を持ったダンディなおじさまで、いつも黒のスーツを決めていることもあって、どこの有名な男優かと思うようなイケオジだった。
ダンスの先生というよりは、踊れる執事という感じ。
奥様の桜先生が日本人だから日本語を必死で勉強したけど、もっと上手になりたいからと、わたしとの会話は日本語だ。
「愛は言葉の壁も越えマス。いとしい桜のためにガンバリマシタ」
そう言ってウィンクをしてくるペーター先生は常に紳士的で、わたしを貴婦人として扱ってくれるのに、最初は視線すら合わせられないし、握手のような簡単なスキンシップ系あいさつも無理で「慣れてなくて、ごめんなさい」で逃げていた。
とても紳士なのに申し訳無かったけれど、桜先生にわたしの男性恐怖症のことを伝えてあったので「無理しなくて良いのよ」と言ってもらえたのは正直助かった。
それでもお茶や食事を何度も一緒にしていて慣れてきたのか、桜先生を深く愛しているご主人であるのを知って安心できたのか、視線を合わせて会話できるようになったし、握手も大丈夫になって、ペーター先生に対しては男性恐怖症が消えたのかと思うほど平気になったと密かに喜んでいたら、恒例のお茶をしていた時に桜先生から爆弾を落とされた。
「今まで私が杏樹のパートナーだったけれど、今日はペーターと踊ってみましょうか。
杏樹さんは基本のステップを覚えたしね」
確かにペーター先生と手をつないでも平気になったし、隣に座っても嫌な感じにドキドキしなくなったけれど。
今まで桜先生としていたダンスって、ワルツだけどすごく密着して踊るのに。
あんなに接近して大丈夫?
無理して貧血起こさない?
パニックを起こしたようになって、あわあわしていると、ペーター先生がわたしの前に両足をそろえて立ち、右手を胸にあてて優雅に一礼していた。




