94.開門 2
五秒前の出来事。
ゼンマイ仕掛けの動力装置が崩壊し、『無限魔力吸収砲撃』の効果を伴う魔法学的爆発が空島を襲った瞬間のこと。
一瞬にして広がる高圧的な魔力の波に、反応できた人物は二人しかいなかった。
一人は、天才魔法使いソクラ・スタウ。自身が予備動作無しの魔力砲を放つことができるからこそ、迫りくる魔力砲撃に対応できた。
細かい魔力操作が苦手でも、大雑把なものは得意だった。故に、自らを襲う魔力の波の軌道を変えることくらいお手の物だった。
直撃しフラン王女の肉体が消滅したのと時を同じくして、ソクラは正面の波の向き先を空に向けた。天井にて交差した魔力の波は、より強い力となって空島を破壊する。
ソクラより後ろにいたシン・テーゼとオルタ・ルーゼンは未だに反応することができていない。自分が何故助かったのかすら、理解できなかった。
そしてもう一人。
『怪盗』、或いは『強奪の魔王』はパラス国の秘宝『零の杖』を取り出し、その効力を発揮させる。
強奪対象は、『無限魔力吸収砲撃』。
周囲の魔法学的物質を消し炭にするその力を逆に利用し、『零の杖』自体を守った。
当然、ティールの肉体には何も負荷はかかっていない。転生者であるのに、魔法学的物質に反応できたのは、魔法すら盗む対象にしている彼の強欲さ故だろう。
次点で状況を理解したのはアランだった。
「シン・テーゼに命じる! 黒剣で敵を打破しろ!」
フラン王女は消えた。脳奪魔法は彼自身が動かすことができるわけではない……。
そう考える僕の頭を、ソクラは抱きかかえるように胸元に引き寄せた。その直後、僕の頭上を黒剣が舞う。
「何で、アランの言うことを聞くんだ!」
僕の叫びに帰ってくる声はない。
振り返ると、オルタの自立型魔道具を足場に、アラン王子がこちらを見降ろしていた。巨大な黒剣が傘のように宙を浮き、彼らに降り注ぐ空島の破片を弾く。
単純な話だ。フラン王女を傀儡にした時点で、他の魔法使いも王女と同じ条件の魔法をかけたのだ。
アランに絶対服従。それは、フラン王女が死んだあとでも動けるようにする、アランの保険だったに違いない。
「ヤユ・オーケア、ティール・オキニ、そして、ソクラ・スタウ。今回はお前らの勝ちでいい。だが、次はない。そのまま、地獄に堕ちろ」
負け惜しみにしては、愉悦に満ちた表情だった。『詐欺師』は舞台を見下ろす監督のように笑い、直後に笑みを消した。
手だ。
一つの手が、アランの足首を掴んでいる。
「な」
シン・テーゼやオルタ・ルーゼンが脳奪魔法から抜け出したわけではない。かといって、自由落下している僕らでも、ティール・オキニでもない。
フラン王女が、実は生きていた、なんてことでもない。
一人の女性が、無機質な瞳をこちらに向けていた。
ありえない。何故、彼女が『無限魔力吸収砲撃』を受けて尚、消滅せずにいられるのか。
何故、転生者であるテラス・ムーアではなく、魔法使いのカラス・ムーアが生きているのか。
彼女が自発的に動いて、アランの足首を掴んでいるのか。
わからない。
元凶の『詐欺師』以外誰も理解できていなかった。
そのまま、カラス・ムーアは宙を舞う。『詐欺師』を道ずれに、落ちていく。
『詐欺師』が声を上げる間もなく、重量に従って二人の男女は地に落ちていった。
彼女らを隠すように、空島の破片が空を覆う。
僕とソクラも、お互いを抱きながら落ちることしかなかった。
ああ、そうか。
異世界の門は開かれていたのか。
『詐欺師』の目論見通り、新たに魔王となる魂が異世界の壁を超えてやってきていたのだ。
器だけになったカラス・ムーアの肉体に収まった。
それが、誰なのかはわからない。
放火をするのか、物を盗むのか、血を飲むのか。
わからないが、明確な悪意を持って、無意味な殺意を持って、アランを殺そうとした。
この世界に降り立って初めてやることが、この状況で一番有利そうな男を道ずれに死ぬことだった時点で、悪魔のうちの一人だったことは明白だった。
「ソクラ、空は飛べるのか?」
「と、とべないわよ。でも、何とかするしかない。あたしが、なんとかしないと」
「そっか」
既に、百メートルは落下しただろうか。
焦るソクラと、落ち着いて地上を見る僕。
空島と共に落ちていく僕らは、二人だけだった。
「まあ、いいじゃないか。ここで終わっても」
「何諦めてるのよ!」
「よくやったほうさ。南国も、西国ダルフも、全部救えたんだ。世界の底にいた僕らにしては、見上げたものだろう?」
寧ろ、落ちて終わるのは美しすぎる最後かもしれない。
世界の底に帰るのだ。
僕が死んだとしても、ソクラは回復魔法によって生き延びるだろう。
半ば今世を諦めたようなソクラではあるが、ここで生き延びたいと考える時点で彼女も変わったのだ。
それだけで、僕がこの世界に降り立った意味があったのかもしれない。そんなことを考えていた。
地表まで、後五百メートルといったところか。
僕はソクラの頭を撫で、死を受け入れた。
そして、体の動きが止まった。
物理法則を一切無視した自由落下の静止。つまり、魔法が使われたのだった。
「まったく、ヤユ。君は本当に無茶するよな」
僕らに近づく声が聞こえた。周囲を見ると、止まっていたのは僕らだけではない。
落ちている空島自体が、一定の高さで静止していた。
ダルフ国の都市部の光は点々と灯ったままだ。地表に落下した物体は、無いらしい。
振り返ると、見慣れた姿の男が宙に浮いていた。
三日ぶりだというのに、随分と久しぶりな気がした。
「どうも、魔王討伐戦線だ」
「先輩!」




