92.悪魔達の協奏曲 9
時は戻って現在。
豪雪の山道のように、視界が白で染まっていく。
元々、動力装置の稼働によりカラスの魂は回復し続けていたが、そこにシン先生の回復魔法が合わさることで白煙の濃度は増していた。
足元すら見えないこの状況で、脳奪状態の傀儡は正常な判断ができない。事細かに命令をする必要があった。
僕とティールを束縛せよ、という命令ではない。その前に、白煙を晴らすという前提命令が割り込んでくる。
アランが直接命令を行うわけではないということは、怪盗の下調べによって判明している。彼は、フラン王女自身に言い聞かせることで、擬似的に操ることができる。
白煙を晴らすためには、ソクラの魔力砲を使うのが適しているだろう。アランはフラン王女に、『ソクラ・スタウに白煙の対処をさせろ』と命じる。アランに服従するフランは、その内容をソクラに伝える。そしてようやく、視界が開く。
脳奪は魔法で脳内に命令を埋め込むことができるが、アランがフランに伝えるときには魔法は使えない。肉声で直接命令しなければならない。
三人で伝達するのは最低でも五秒はかかる。その明確な隙を見逃すわけにはいかなかった。
ティールは『零の杖』で生み出した黒剣を片手に、アランの声がする方に走った。
フラン王女に伝わったのだろう。すぐに、眩い光が動力室を包み込む。ソクラが魔力砲を放ったのだ。
白煙は一瞬緩み、辺りの状況を明らかにする。
数秒前と一変した景色がそこには広がっていた。
部屋の中心には直立するソクラ。
白煙を晴らすために放たれた魔力砲が直撃し、上半身が消し飛んだシン先生、その巻き添えを喰らい左半身が無くなっているオルタ。
現状を理解しようと周囲を見渡すアラン、彼の正面に立つフラン王女。
そして、二人の目の前まで急接近したティール。彼は、頭の上まで振り上げた黒剣を、アランの脳天目掛けて振り下ろそうとしていた。
「フラン・ミルター!」
咄嗟に叫ぶアランの声に、びくりとフラン王女が体を揺らす。アランを守るべく、黒剣を肉体で受け止める……、ようなことはなかった。
彼女は目の前のティールから目を離し、どさくさに紛れて動力装置に近づいている僕の前に飛び出した。
おいおい、まじか。
白煙が晴らされることも、ティールによる突撃も全てはブラフだった。
本命は、最初から動力装置だった。
動力装置の原理は、テラスの死体にカラスの精神を入れたことに魔法のバグだ。その動力元を止めて仕舞えば、異世界の門は閉じる。
動力装置そのものを破壊するか、動力源になっているテラスの死体を抜き取るか。
後者を選択した僕の前に着地したフラン王女からは、華奢な肉体からは想像がつかないほどの速度の蹴りが放たれていた。僕の腹部に突き刺さったそれは、魔法の効かない転生者に対する答えとも言える。
肉弾戦だ。
「ぐえ」
つま先が鳩尾に入り、息が詰まる。ボールのようにワンバウンドした僕は、部屋の隅に転がる。
ぼやけた視界でアランの方を見ると、あちらも決着が付いたところだった。
ティールが振り下ろす黒剣は、アランに当たる直前に消滅した。血を苦手としている『怪盗』が他人を傷つけるわけが無いと『詐欺師』は信用していたのだ。
アランの拳がティールの顎に突き刺さり、いつも余裕が滲み出ていた『怪盗』の顔が歪む。
よろめくティールだったが、不自然に地面に崩れ落ちる。左足の膝から下が無くなっていた。血が溢れ出し、呻き声と共に彼は動かなくなった。
黒剣だ。既に、白煙が晴れてから五秒が経過していた。シン先生とオルタの治癒が完了していた。
「これで、終わりか?」
動かぬティールの背中に足を乗せ、アランは僕を睨んだ。
一瞬の隙を利用した波状攻撃。だけれど、アランの方が一枚上手だった。人を使うという点で、『詐欺師』に勝るものはいない。
覚悟の差だった。
不殺を誓う元『吸血鬼』と、血すら嫌悪する元『怪盗』。
対して、相手は手段を問わない現役の悪魔『詐欺師』。
人殺しも、盗みも、放火も、全ては彼にとっての手段に過ぎない。
「僕らも、殻を破らないといけないのか」
「今更、何ができるというのだ?」
「後先考えず。誰かを守るためでも、世界を救うためでもなく、お前を止めるためだけなら、まだ可能性はある」
「ほう」
「無責任に全てをめちゃくちゃにするしかない。ゼンマイ仕掛けの動力装置を破壊する」
「だから、どうやって……」と、アランの言葉が続くことはなかった。
彼の首に伸びる大きな手。がっしりと首元を掴んだそれは、気道を狭め、呼吸を抑制する。
アランの後ろに、男が立っていた。
「お、お前!」
苦悶に満ちた『詐欺師』は足元を見る。そこにある筈の男の肉体が無かった。欠損した左足も、血の跡も、何も無い。『詐欺師』は何も踏んでいなかった。
最初から、そこには何も無かったかのように。
否、最初からそこに何も無かったのだ。
ティール・オキニなど、アランの前に現れてすらいない。
初めて、ティールは姿を現した。アランの首を絞める形で。
「カラス・ムーアの魔法……、か」
「ティールはニヤリと笑う。
『怪盗』が殺人鬼の魔法を盗んだのだ。
密室トリックを生み出した、カラスの自信を複製する魔法を、『零の杖』で模倣した。
「フラン・ミルター!」
『詐欺師』の叫び声に反応したフランが指示を送り、他の魔法使いに伝達する。すぐに、シン、オルタ、そしてソクラが動き始めた。
フランが走り出し、シンは黒剣を召喚し、オルタは自立型魔道具を呼び寄せ、ソクラが手を構える。
そして、僕は笑った。
もう、何もすることはない。
後先考えずに、行動した結果がこれだ。
どうにか、なれ。
黒剣が宙を舞い、自立型魔道具が虫のように飛翔する。目的は傀儡の主人、アランを助けるため。ティールの本体を今度こそ叩くべく、加速する。
しかし、どれだけ早くても、光には勝てない。黒剣を、自立型魔道具を、フラン王女を、アランを、そしてティールを白い光が通り過ぎる。
魔力を持つ者を溶かす破壊光線。予備動作なしの魔力砲を誰が放ったかなど、考えるまでも無かった。
アランが叫ぶ。
「貴様! 何故動ける!」
『ソクラ・スタウ』は、返事をしなかった。
彼女にとって、理解できないと声を上げるアランも、その後ろで感心したように目を開くティールも側中にない。
さらにその後ろにある、全ての元凶しか、ソクラには見えていない。
天国の魔王城、地下、動力室。
中央にあるのはゼンマイ仕掛けの動力装置。
またの名を無限魔力吸収砲撃、
地獄の門、
異世界の門……。
その、さらに中央。魔法使いの魂を転生者の肉体に輸送する接続部分に、直径二メートルを超える大きな穴が空いていた。
魔力砲は、最初から動力装置を狙って放たれていた。
ゼンマイ仕掛けの装置が、音を立てて崩壊する。
テラスとカラス。二人の双子を引き離すように。




