89.悪魔達の協奏曲 6
天野ヒトミへ
この手紙を直接渡さなかったのは遺書だったからだ。ケプト・ルーゼンとして死に、第二の人生が終わりを迎えたときに、お前に読んでほしい、そう考えた。
少しだけ、前世の話をさせてほしい。
『放火魔』としての人生についてではない。『吸血鬼』天野ヒトミが死んだ後の話だ。
若き無差別殺人鬼として世界を震撼させていたお前は、悪魔そのものだった。無意味な殺人と卓越した逃亡技術は、他の悪魔達の指針にもなるほどの影響があった。
『怪盗』のように手を差し出す悪魔もいた。俺は側から見ていただけだったが、火をつける時もお前のことを考えていた。
欲望に支配された哀れな同志。人類の敵。悪魔の中の悪魔である『吸血鬼』は魔王と呼んでも差し支えないだろう。
だからこそ、その最後は衝撃的だった。
衝動的でも、観念したわけでもない。警察は天野ヒトミの動向を追えていなかったし、誰もお前を捕まえられなかった。
それなのに、自ら出頭した。警察署に現れ、そして今まで人に向けてきたナイフを自分に向け、『吸血鬼』の最後らしく血を吹き出して死んだ。
血液という欲望の対象を、肉体から放出させたのだ。あの自殺は、天野ヒトミだけでなく、『吸血鬼』という一人の悪魔を殺していた。
誰よりも前を走っていた悪魔の王が、卒業したのだ。ニュース番組でその情報を知った時、警察側の偽装工作と疑った程だった。
しかし、ヤユ・オーケアとして生まれ変わったお前を見て、確信に変わった。
人は変われる。そして、人を変えられる。
少なくとも、『吸血鬼』天野ヒトミの死は俺を変えた。火をつける事を億劫だと思うようになった。理由が必要になったんだ。
前世の話が長くなった。
遺書らしく、頼み事を書こうと思う。
オルタ・ルーゼンは魔王を信仰する狂信者ではあるが、『天国の魔王』という地獄から来た魔王によって歪まされた被害者でもある。
子を孕み変わるチャンスはあったが、異世界の門を治療に使い、俺を目覚めさせてしまった。
奴の娘の肉体を乗っ取る形になってしまい、申し訳なさを感じている。俺はもう、母親のために死ぬことにした。
だからこそ、天野ヒトミ、お前のような罪人に頼みたい。
人を変えてくれ。転生する前から変わることができたお前だからこそ、魔法に狂う人間たちを救えるだろう。
***
ケプト・ルーゼンの残した手紙をゆっくり読み、もう一度上から目を通し、嚙み締める。
悪魔から悪魔へ向けられた手紙。しかし、中身は人間が人間に送る頼み事だった。
そうか。『放火魔』はとっくに死んでいたのか。
「完全に同意だね。お嬢ちゃんが悪魔にもたらした影響は計り知れない。鎮火した『放火魔』のようにね。奴の言う通り、人は変われるし、変えられる」
「残念だよ。菅原コウとは、面と向かって話したっかのに」、『怪盗』は心の底からため息を吐いていた。
しかし、ケプト・ルーゼンは後悔などしていないだろう。彼は、自らを異世界の門の燃料となる道を選んだ。第二の人生は『放火魔』と大きく変わったものだった。
そして、人を変えることにも成功していた。ケプトが死んだ直後は飄々としていたオルタも、時間が経てば酒を煽り、娘の死を悔やんでいる様子だった。恐らく遺書を読んだのだろう。以降のオルタは、全てに消極的で、投げやりだった。
きっと、異世界の門を開くことよりも、娘と話したくなったのだろう。ケプトは、『放火魔』菅原コウは、人を変えることに成功していた。
「『怪盗』も変わったんですか? 僕が死んでから」
そんな意味のない質問に、黒髪の間から紅い瞳が輝く。
「君が魔王討伐戦線に入って正しさを求めたように、お姉さんも『強奪の魔王』という不名誉な称号を背負いながら戦ってきた。盗むという過程が同じでも、そこに意味があるのだから、変わったといえるだろうね」
「そして」、とティールは続ける。
「一人だけ、不変の男がいる。奴は、お嬢ちゃんの死を見ても、『放火魔』や他の悪魔の死を見ても何も変わらなかった。見ている世界が広すぎた。周囲が変わり続けることこそが重要で、だからこそ絶対に変わらない存在だった」
自らの軸を持たず、悪魔と悪魔をつなげる歯車的な存在、『詐欺師』。
僕ら他の悪魔が変わったとしても、彼にとっては刺激にもならない。使えない駒は放置し、新たな悪魔を呼び寄せるまでだ。
結果的に地獄を作り上げることができれば、『詐欺師』は熟睡できる。
この世界風に言うならば、『不変の魔王』といったところか。
モニタールームで魔王城全体を俯瞰してみる。
未だに、地下の動力室から外に出る存在はいなかった。
僕らを探すことすらしていない。興味がないのか?
それでも、無限魔力吸収砲撃が放たれた様子はない。魔法に関与することができない僕ら転生者ではあるが、西国ダルフの首都が吹き飛ぶくらいのものならば、音でわかる。
「『詐欺師』は待っているのさ。『怪盗』と『吸血鬼』が、この世界で使える存在なのか。奴を止めるにせよ、奴に協力するにせよ、お姉さんたちが動力室に戻ることは確定しているからね。それまでは、動力室でゼンマイ仕掛けの動力装置を起動させて、異世界から魂を呼び寄せ続けて居るんだろう」
今はカラス・ムーアの肉体に異世界の住人の魂を入れようとしているが、新たな転生者が生まれればほこ先は変わる。
次の魔法使いは、ソクラかもしれない。『詐欺師』は、動力装置に生贄をストックできている状態なのだ。
時間をかけるわけにはいかない。動力室に行かなければ。
『詐欺師』を、止めなければならない。
「それじゃあ、『怪盗』……、いや、ティール・オキニ。不変の魔王を討伐しにいきますよ。地獄を終わらせましょう」




