査問委員会・牟田口廉也の場合・Rewrite(1937年12月)
同じ日の午後遅く、牟田口廉也が呼査問委員会・ばれた。
扉を開けた瞬間、牟田口も固まった。
(まさか……陛下、ご本人……)
「楽にしてくれ」
牟田口は座った。武藤より激しく弁明した。「天帝の為」「国のため」という言葉を何十回も使った。最後には自分でも支離滅裂だった。
知仁は黙って聞いた。全てが終わった後、また立ち上がった。
「それだけか?」
扉が閉まった。「それだけか」という言葉が、頭の中で繰り返された。
―――
翌日、竹中は知仁に会った。
「昨日のことは存じませんでした」
「そうか。朕が少し脚色を考えた」
竹中は少し間を置いた。
「……陛下」「うん」「ありがとうございます」
知仁はわずかに頷いた。それだけだった。
―――
その後、武藤章は長野に転出した。表向きは「地方部隊への異動」だった。しかし眠れなくなった。「それだけか」という言葉が夜ごと繰り返された。三ヶ月後、武藤は自ら予備役を希望した。誰も追い出したとは思わなかった。
牟田口は長野転出後も部下への連絡を続けた。SCSは全て把握していた。ある夜、牟田口の元に情報が届いた。「部下が動いています。今が機会です」——牟田口は動いた。三日後、脱走という事実が軍内に知れ渡った。「脱走した将校」という烙印は、永遠に消えなかった。
竹中はその報告を受けた時、何も言わなかった。
「PL1は関与していないんですね」と竹田。
「知らない。脱走を手助けした証拠はない」
竹田はそれ以上聞かなかった。




