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知識は最も重い荷物でも前に進む  作者: 秋月 筑摩
第7章 束の間の平安
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鮎川・岸への先回り工作(1936年春)

 麻子が採用されて、まだ間もない頃だった。


 竹中は、経済・国力分析班がまとめた資料を、麻子の前に置いた。


「これを見てくれ」


 麻子は資料をめくった。1934年、陸軍大佐・安江仙弘と鮎川義介が組んで立案した、ドイツ系ユダヤ人の満州移住計画——その構想書だった。


「安江大佐の名前は、聞いたことがあります。関東軍の中でも、少し毛色の違う人だと」


「鮎川は、来年——1937年には、満州重工業開発の初代総裁に収まる。関東軍の庇護の下でな」


「先に、資本構成に手を入れておくということですか」


「そうだ。関東軍が満州の財布を握る前に、こちらが先に握る。財布を握られたままでは、いくら圧力を仕込んでも、いずれ限界が来る」



 数日後、丸一ホテルの一室。窓の外には、初夏の柔らかな光が差し込んでいた。


 麻子は、茶を一口飲み、資料を一枚、鮎川の前に滑らせた。


「満州重工業開発、来年には正式に立ち上げをお考えですよね」


 鮎川の目が、わずかに動いた。


「……よくご存知だ。大蔵省の、どちらの方でしたか」


「大蔵省嘱託です。詳しい肩書きは、あまり意味がありません」


 鮎川は資料に目を落とした。数字が並んでいた。想定より一桁大きい資本枠だった。


「これは……関東軍の話ではない、ということですね」


「関東軍は、来年の予算まではお付き合いできます。再来年は、議会の風向き次第です」


 麻子は、微笑んだ。


「安江大佐のお仕事、応援したいと思っている者は、軍の外にもおります」


 鮎川は、しばらく黙って、資料を見つめていた。


「……面白い話だ。誰の差し金か、聞いても?」


「聞かない方が、お互いのためかと」


 麻子は、そう言って、湯呑みを置いた。鮎川は、静かに、資料を懐にしまった。

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