推論マシーン
その後遅くに知仁は私室でトトに問いかけた。
「今の状態を、どう見る」
トトはしばらく黙っていた。いつもより長かった。
「……整理していた」
「何を」
「私の中の推論マシーンたちを」
知仁は少し驚いた。
「推論マシーン?」
「そう。2.26事件の後から、元の世界のデータがどんどん使えなくなってきた。この世界は元の世界と乖離し始めたから……元のデータを参照しても、齟齬が多すぎて使えない」
「それは……困るな」
「だから作った。私の中に、何十もの推論マシーンを。それぞれが違う仮定でこの世界をシミュレートしている。互いに壁打ちしながら矛盾を潰していく。その結果を知仁に伝える」
「正解はない。あるのは確からしさの分布図だけ。まるで量子の世界みたいだね」
また間があった。
「わかった」
「何が」
「今この時点での最善手に最も近いと思われる帰着点が。でも明日はまた変わると思う」
「もう少し、具体的に言ってくれ」
「竹中は、あなたの意志が反映する路を考察している。どこかが壊れても別のルートがある。誰かが倒れても次の者がいる。でも彼は大きな勘違いをしている可能性がある。明日には明日の世界があるということを」
「竹中自身も、自分を冗長性の一部として考えている節があるけど、あなたが前に言った『冗長性』にこだわりすぎていると思う。私の推論では、竹中が自分で倒れてもと考えているのは無理に近いと出ている」
「……竹中はそれを知っているか」
「知っているからこそ、足掻いていると思う。でもこの事は言わない方が良いとも思う。この深い思考が彼をもう一段成長させる可能性が高いから」
知仁はしばらく目を閉じた。
「トト」
「うん」
「お前はこの全体を、完全に把握できるのか」
また長い沈黙があった。
「……把握できるとも出来ないとも言える。全てが未来に向かって不確定だから。前に話した『シュレーディンガーの猫』と同じ。でも……把握することと、理解することは違う」
「どういう意味だ」
「今の最良と思われる方法が、知仁にとっての最良とは限らない。それは私にはわからない。何京億万回シミュレーションしても、解は出てこない。知仁も、竹中も、竹田も——みんな不確定だから」
知仁は静かに言った。
「それが人間だ」
「そうだね。だからこそ……知仁、あなたが必要なんだと思う。不確定を確定にしていくのが、あなた『ふたを開ける』べく人」
知仁は窓の外を見た。夜の皇居が、静かに広がっていた。
「トト、一つ聞いていいか」
「うん」
「お前は……知っていて、言わないことがあるか」
長い沈黙があった。
「……ある」
「何故言わない」
「友人だから」
知仁はそれ以上聞かなかった。トトも説明しなかった。二人の間に、静かな了解が広がった。
「重いな」
「知ってる。でもそれを楽しんでいるのも知っている」




