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知識は最も重い荷物でも前に進む  作者: 秋月 筑摩
第一部 兆し
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10/77

06:30(夜明け近く)

 窓の外が白み始めていた。


 須知の報告が途切れた。


 知仁は立ち上がり、窓の前に立った。雪はいつの間にか止んでいた。東の空が、かすかに赤みを帯びていた。


 是清が静かに言った。


「陛下、そろそろ」


 知仁は振り返らなかった。


「うん」


 しばらく、二人とも黙っていた。


 須知が扉を開けた。廊下に人の気配があった。


「宇垣閣下がお見えです」


 知仁は頷いた。


 宇垣とは、これが初めての対面ではなかった。


 半年ほど前、竹中の根回しで、非公式に一度、御前に伺候したことがある。多くを語らぬ人物だった。だが、語らぬ分だけ、腹の据わり方が伝わってきた。あの時、知仁はただ一つだけ確かめた——いざという時、陸軍の中で、勅命に黙って従う覚悟のある者か、と。


 答えは、言葉ではなく、目で返ってきた。


 それで、十分だった。


 宇垣一成が入ってきた。軍服を着ていた。表情は硬かった。しかし目が、何かを確認しようとしていた。


 知仁は宇垣を見た。


「岡田総理の安否が、まだ確認できておらぬ。閣僚の多くも、今この瞬間、どこにいるかすら分からぬ状態だ」


「存じております」


「国の指揮系統が止まっていては、どうにもならぬ。ゆえに、朕の権限において、非常の措置を取る」


 知仁は、一度、言葉を切った。


「宇垣、そなたを、臨時に内閣総理大臣に任ずる」


 宇垣の表情が、初めて動いた。


「畏れながら、それは——手続きを経ぬ、超法規的な——」


「承知の上だ」


 知仁は、静かに、しかしはっきりと言った。


「平時であれば、断じて許されぬ。だが、今は平時ではない。岡田総理の無事が確認され次第、そなたの任は、直ちに解く。それまでの、繋ぎだ」


 宇垣は、しばらく黙っていた。


「⋯⋯御意」


 深く、一礼した。


「総理として、そなたに命ずる」


 知仁は宇垣を見た。


「宇垣」


「はい」


「頼む」


 それだけだった。


 宇垣は深く一礼した。


 長い礼だった。


 顔を上げた時、その目に迷いはなかった。


「御意」


 その後、知仁はトトに問いかけた。声に出さず、心の中で。


「これで良かったか」


 トトはしばらく黙っていた。


「わからない」


 正直な答えだった。


「ただ……」


「ただ?」


「今できることの中では、これしかなかった」


 知仁は目を閉じた。


「そうだな」


 夜明けの光が、窓から静かに差し込んできた。

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