08. なやめるお年頃
タワマンの五階でミシェルが「反則だろ……!」と悶絶している、その頃。
『超絶バルク』本人もまた、王都の外れにある、アンティーク感たっぷりのレンガ造りの建物で、軋むベッドの上にいた。
そこはリンが営む、職場兼自宅の占いの館。不気味な水晶玉が置かれ、怪しいハーブの乾燥束が天井から大量に吊り下げられた自室には、お香の煙が漂っている。その中で、リンは魔導スマホをぎゅっと握りしめながら、ベッドの上でジタバタと足をばたつかせていた。
「言っちゃった……っ! 『あなたと話していると心が軽くなる』なんて、私、乙女か!? 乙女なのか!? 相手のアイコン、自重トレーニング本を乱読してそうなバキバキのマッチョなのに!」
画面に表示されている相手のプロフィール写真は、光の加減と奇跡の角度を計算し尽くした、眩しいほどのバルク美を誇るマッチョ男子だ。
「でも、この人、見た目はあんなに『大陸が一人歩きしてる!』って感じのマッチョなのに、メッセージがすごく優しくて、なんだかミシェルさんと話してる時みたいに心が落ち着くのよね……」
自分も背景の空間が歪むほど重加工した、ゴリゴリ筋肉美女のアイコンで登録していることなど完全に棚に上げ、リンは画面越しに漂ってくる圧倒的な包容力に悶々としていた。
「ダメよ、リン! 今日、ミシェルさんを好きって自覚したばっかりじゃない! アプリの男性にうつつを抜かしてる場合じゃないでしょ!」
自分を叱咤しながらも、端末を胸に抱きしめたまま、「返信来ないかな……」と画面をちらちら見てしまう。
「でも今日、ミシェルさんはヒョロガリを選ぶって言ってたんだよなぁ」
リンは、今日ジムでミシェルと過ごした時間を思い出した。ただし、こちらも当然ながら、画面の向こうの相手――鋼鉄の羽が、昼間、一緒にプロテインを飲んでいたミシェルだとは、微塵も気づいていない。
ネット上では、二人とも「魔界の理想の自分」を演じている。プロフィールに設定したのは、背景の空間まで歪ませ、キレッキレの筋肉を強調した重加工写真。現実には存在しない、虚飾に満ちた「理想の自分」だ。
だが、それは単なる見栄や虚栄心だけではなかった。
魔女のリンは、どれだけピンクと黄色のダンベルを振ったところで、オーガのような生まれつき恵まれたバルク美を得ることはできない。堕天使を祖先に持つミシェルもまた、どれだけプロテインを流し込んだところで、オークのような圧倒的フィジカルを誇る巨体にはなれない。
どれだけ鍛えても、どれだけ食べても、種族というあまりにも残酷な身体の壁は越えられない。けれど、画面の中なら話は別だった。
アプリで写真を加工しさえすれば、誰だって一瞬で魔界のトレンドを牽引する筋肉の覇者になれる。貧弱な外見や種族だけで判断され、話す前から相手にされないこともない。
だから二人は、現実のひよっこな自分を隠し、偽りのバキバキボディという鎧をなかなか手放せずにいる。
なんたる皮肉か。「理想のマッチョ」として出会ったはずの二人が、互いの文章から滲み出る「繊細で優しい素の性格」に、思いのほか居心地の良さを感じてしまっているのだ。
リンは、あんなに大陸が一人歩きしてるみたいなイケマッチョなのに、と思い、ミシェルは、あんなに顔面までバキバキの美女ゴリマッチョなのに、と思う。
物理的威圧感百パーセントのアイコンにビビりつつ、中の人の優しさに惹かれ、深みにハマっていく二人。偽りの姿で始まった関係だからこそ、引くに引けず、そして簡単には手放せなかった。
*
ミシェルが、自分と同じヒョロガリな女性を選ぶと答えたことについて、リンが深く思いを巡らせていた、その頃。タワマン五階の部屋でも、ミシェルは端末を見つめながら、長く息を吐いていた。
「でも……俺は今日、リンさんを選んだんだ」
ヒョロガリな女性とマッチョな女性。そんな正反対の二人に同時に告白されたら、どちらを選ぶか。リンからそう質問された時、真っ先に脳裏に浮かんだのは、ほかでもないリンの姿だった。
イチゴミルク味のプロテインを飲んで嬉しそうに笑う顔や、「いっち、に!」とキラキラした目で応援してくれる時の声。ダンベルをほんの少し持ち上げただけなのに、まるで世界記録を更新したかのように褒めてくれるところも、鮮明に思い出せる。
そして、ジム帰りに『ザ・グリル・ボタニカ』で一緒に食べる、高タンパクで美味しい牛フィレ肉のグリル。あれはきっと、彼女と食べるから美味しいと感じているに違いない。
「やっぱり、俺はリンさんが好きなんだ」
今度こそ逃げずに、はっきりと己の恋心を認めた。
「だったら、ちゃんとしないと」
ミシェルは端末を握り直し、自分に言い聞かせるように続けた。
「会ったこともない相手との曖昧な関係を、このままダラダラ続けるのはリンさんに失礼だ。アプリを消して、終わりにしよう」
そう固く決意した、まさにその瞬間だった。
【超絶バルク@煮込み中】:もし私が、あなたの想像しているような人じゃなかったら?
超絶バルクから、絶妙すぎるタイミングでメッセージが届いた。ミシェルの指がぴたりと止まる。
【超絶バルク@煮込み中】:写真と違って、もっと普通だったら
続けて届いた文章を読むうちに、さらに一通が表示された。
【超絶バルク@煮込み中】:それでも、あなたは私と話してくれますか?
ミシェルは絶句した。心臓が、嫌なほど大きくドクンと鳴る。
(ずるい! ものすごくずるいぞ、超絶バルクさん!!)
今まさに「現実のリンさんを選ぶ!」とヒーローのごとく決意した直後に、この怒涛のヒロイン属性攻撃である。
(もし写真と違って、肩幅が重機じゃなくて、ただの華奢な魔族だったら? 理想のバルクなんてどこにもなくても、それでも俺は、この人と話したいと思うのか?)
自問自答の末、ミシェルは吸い寄せられるように画面をタップした。
【鋼鉄の羽@運動不足】:俺は、あなたと話すのが好きです
送信した瞬間、己の中で何かが限界を突破した。葛藤を置き去りにした指が、そのまま次の文章を打ち込んでいく。
【鋼鉄の羽@運動不足】:だから、一度会ってみませんか?
「……あ」
もう一度送信ボタンを押してから、ミシェルは我に返った。画面に躍り出た自分の送信履歴を見て、がばっと頭を抱え、その場に崩れ落ちる。
「俺は何をやっているんだーーーー!!??」
誠実になるはずだった。リン一本に絞るはずだったのに、自分から「会おう」とネットのゴリマッチョ美女に提案してしまっている。
「違っ……違う! これは浮気じゃない!」
五階の自室で、ミシェルは必死に壁へ向かって弁明を始めた。
「ちゃんと会って、直接『中の人』を確認して、綺麗さっぱり友達ってことにする。そうすれば俺も、胸を張ってリンさんにアタックできるだろ!」
まるで浮気常習犯の男が言いそうな、その時だけ都合よく頭を回してひねり出した超理論だった。
「不可抗力! そうこれは完全に不可抗力だ! あんな完璧なタイミングでヒロインムーヴされたら、返信しちゃうのが魔族の男ってもんだろ!!」
ミシェルは自分に都合が良すぎる弁明を必死に組み立て、全力で己を納得させようとする。
その数秒後、ポロン、と無慈悲に返信が届いた。
【超絶バルク@煮込み中】:はい。私も、一度あなたに会ってみたいです
超絶バルクからの、爆速かつ完璧な快諾だった。
ミシェルの顔がサーッと青ざめる。罪悪感が一気にこみ上げ、胃を苛んだ。なのに、その口元には、ほんの少しだけ期待の笑みが浮かんでしまう。己の意志の弱さを思い知らされながらも、指は待ち合わせの提案を打ち込んでいた。
【鋼鉄の羽@運動不足】:では、週末に王都の中央公園でどうですか?
【超絶バルク@煮込み中】:楽しみにしています。でも、あまり期待しないでくださいね。
画面を静かに閉じ、ミシェルはベッドに仰向けになって天井の照明を見上げた。
「よし……! これで、ちゃんと決着をつけよう!」
力強く拳を握りしめたミシェルは、知る由もなかった。週末を待つまでもなく、二人の『中の人』が同一人物であるという恐ろしい真実に、あっけなく辿り着いてしまうことになるなどとは。
*
その頃、怪しいお香の煙が漂う、少しレトロな占いの館の自室で、リンもまた魔導スマホの端末を両手でぎゅっと握りしめたまま、ベッドの上で悶絶していた。
「あ、会うことになっちゃった……っ!」
顔は熟したトマトのように真っ赤で、心臓が爆音でビートを刻んでいる。
「鋼鉄の羽さんと直接会うなんて……」
だが、ふと脳裏をよぎったのは、今日ジムで「いっち、に!」と一緒に黄色のダンベルを握り、イチゴミルク味のプロテインをちびちび飲んでいたミシェルの顔だった。
「ミ、ミシェルさんには絶対に内緒にしておかなくちゃ」
誰に言い訳するでもなく、ぼそっと呟いてから、リンは火が出そうなほど熱い頬を両手でガシッと押さえた。
「私ったら、なんでこんなにドキドキしてるんだろ。相手のアイコン、DIY本を見ながら素手で釘打ち込んでそうなゴリゴリのイケマッチョなのよ? 触れ合った瞬間に叩き潰される圧死リスクのかたまりなのに!」
己の矛盾にセルフツッコミを入れながらも、にやける口元は元に戻らない。その時、手にした魔導スマホがスリープに入り、画面が静かにブラックアウトした。
暗転したディスプレイは無情にも鏡と化し、覗き込んでいたリンの顔を映し出す。そこにあるのは、バキバキの憧れオーガ女子とは正反対の、丸みを帯びた柔らかそうな頬と大きな瞳だった。
視線を落とせば、端末を持つ手首は片手で容易につかめてしまいそうなほど細い。肩のラインは骨張って華奢そのもので、鎖骨の窪みまでくっきり浮かんでいる。たくましさの欠片も見当たらなかった。
どこからどう見ても、魔界の重機どころか、1キロのピンクダンベルにすら翻弄される、ちんまりとした魔女の姿である。
「写真と違っても話したいって言ってくれたけど、加工詐欺にも限度ってものが、きっとあるよね」
リンはそっと画面に触れ、魔界で大人気のマッチングアプリ『マッスル&サタン』のマイページを開いた。
そこに躍り出るのは、背景の時空すら歪ませて構築した、圧倒的バルク美を誇る奇跡の肉体。アカウント名は、超絶バルク@煮込み中。丸太のような上腕二頭筋に、バキバキに八つに割れた腹筋が、これでもかと存在を主張している。
「どうしよう。『肩に魔界の重機を乗せたマッチョ美女に会いに来ました』なんて目を輝かせて来られたら、私、秒で幻滅されて、最悪ロマンス詐欺で訴えられるかも……」
あまりの落差に、リンは画面を伏せて頭を抱えた。
「どうして私は魔女の子に生まれたんだろう……っ」
もしオーガの血を引いて生まれていたら、こんなに悩まずに済んだはずだ。いや、贅沢は言わない。せめて、あの小柄ながらも全身にしなやかな筋肉を宿したゴブリン族あたりに生まれていたら、今頃こうして頭を抱えることもなかったのに。
魔族の血統というのは、時に残酷だ。生まれ持った骨格と肉体の限界は、どれだけ努力しても覆せない。
「オーガの女の子なら、息を吸って吐くだけでバキバキのシックスパックが手に入るのに! ゴブリン族の子だって、ちょっと跳ね回るだけで素晴らしいヒラメ筋が育つのに!」
生まれながらにして圧倒的フィジカルを約束された種族たちへの、血を吐くような嫉妬と羨望が溢れ出す。
「それなのに、なんで私は華奢さと可憐さに全振りした魔女なのよ。筋トレしても育つのは筋肉じゃなくて、うっすら浮き出る悲しき鎖骨だけじゃない」
リンはベッドの上でのたうち回った。画面の中のバキバキな自分と、現実のか細い自分。その圧倒的な差に、頭がおかしくなりそうだった。
だが、もう約束は交わしてしまった。相手の鋼鉄の羽は、脳まで筋肉に違いない、ゴリゴリのイケマッチョなのだ。
「うぅ……直接会って、正直に『実は加工でした、ごめんなさい!』って謝ろう。それで幻滅されたら、その時は潔く諦めて、ミシェルさんを本命にすれば傷は少ないのでは?」
リンは、申し訳なさそうな顔をしながら、心の中ではちゃっかり保険をかけている自分に気づく。
己の虚飾を白日のもとに晒す恐怖に震えつつも――「もしガッカリされて振られたら、素知らぬ顔でミシェルさんに慰めてもらおう」などと、あざとい算段が頭をよぎり、思わず口元がゆるんでしまう。
(ダメダメ! 私、なんて悪い女なの……!)
小さく首を振り、ニヤけそうになる口元を両手でギュッと押さえた。
もちろん、彼女はまだ何も分かっていない。週末の公園で頭を下げて謝罪する前に、お互いの隠していた素顔があっさりと暴かれてしまう運命だとは。そして、その「圧死リスクのかたまりのイケマッチョ」が、黄色のダンベルをプルプル震わせている、もやし同盟のミシェル本人であることも。
「誠実な男になる!」と決意した数分後に墓穴を掘ったミシェルと、「圧死は嫌!」と言いながらマッチョの優しさに落ちつつ、ちゃっかりミシェルに保険をかけるリン。
勘違いと見栄と乙女心が交錯する地獄が暴かれる、運命のカウントダウンは静かに始まっていた。




