80.世界平和のための蝉ドン②
鏡の向こうで混乱が続く中、ユーフェミアは希望を見出し鏡に飛びつくように懇願した。
「お願い!何でもいいから……お母さんたちを助けて……!」
その『何でもいいから』を選択した結果、眉目秀麗な男たちは奇怪なポーズでミンミン言っているのだが。
戸惑っている聖女も多いので、デイジーは畳みかける。
「クロヌスさん、準備は出来ました?」
『うん』
その声に応えるように、鏡面が激しく震えた。次の瞬間、鏡越しの景色が二重に歪む。一人の男が、忽然と堅牢な魔法術式に覆われたソレを持って現れた。
「シュトラゾームが真なる魔王を封印する前にやっていた――蝉終焉を持ってきた。真なる魔王に効果があるこれと聖女の祈りなら、アヌシュカとベアトリスを蝕む残りかす位は浄化できる」
『他の聖女たちは二人の治療と浄化も行いつつやって見ましょう』
「おい、ゴシップ屋と術士。何だ蝉終焉とは」
男――クロヌスが手にしているのは、歪んだ金属板のような物体だった。
鏡越しの戦場で凍りついた聖女たちが騒然となる。
「ど……どこから人が!?」
「と、いうか、神の腹心と力を合わせるのですか?」
「遠隔で?」
「何で蝉?」
戸惑う聖女にクロヌスとデイジーがハッキリ言った。
「「祈りの言葉は『ミンミン』で」」
クロヌスが掲げた金属板を軽く指で叩くと、内部から掠れた『ミーン』という声が零れ出した。
ユーフェミアが驚愕の声を上げる。
「まさか……」
『シュトラゾーム…』
『シュトラゾーム様の蝉終焉。封印直前の一瞬を僕の時魔法で切り取り保存しておいた。これも使えば混沌は消せる……』
『じゃあみんなで歌いましょう!』
『『ちょ』』
「やってやんぞミーン」
「人命優先だミーン」
「…ミーン」
ヴィルヘルムとエヴァンス、神の腹心のミンミン声を聞いた『公爵』の虚無の言葉で聖女たちは蝉る決意を固めた。
「みなさんは『ミーン』とただ蝉連呼してもらえれば良いです。力の込め方や歌詞はありません、ただただ合唱です。でも心を込めてください。――では始めます!」
困惑しながらも、聖女たちは――鳴いた。
「ミーン!」
「「ミーンミーン!!」」
オルトスの叫びが合図となり、次々に聖女たちが『ミーン』と唱え始める。聖女だけでなく、ヒルベルテやエルル、王妃や国王、バーンベルク侯爵領に避難した領民たち。
国内外でこの通信を聞いた全ての者たちの蝉の合唱。
全ての合唱がゼフェスゾームの山脈全体に波紋のように広がっていく。
クロヌスが静かに金属板を操作し、その内部から微かなシュトラゾームの『ミーン』という声が重なる。
――ミーンミーンミーンミーン。
シルヴィナの視線が泳ぐ。
訳の分からない奇行が真なる魔王を弱体化させるとは、理解が及ばない。
『今!』
シルヴィナの抵抗は完全に途絶えたので、トリプル蝉ドンを解除しミンミン言いながらアヌシュカとベアトリスの元へ向かう三人。
代わりにシルヴィナの口から乾いた笑い声が漏れる。
「……馬鹿馬鹿しい……っ。諸侯王に対して、なんという屈辱……」
公爵の冷笑が追撃する。
「ふん、『侯爵』ともあろうものが蝉如きに悶えるとは。……シュトラゾームも不憫よな。己が眷属のこのような醜態を見なくて済むだけ幸いか」
『むしろミンミン言ったのはシュトラゾーム様ですねぇミーン』
「黙れ、ゴシップ屋ジジジ」
一方でアヌシュカの様子にも変化が生じていた。
これまで沈黙していた少女の呼吸が僅かに乱れ始め、口元がかすかに開かれる。
「……ル…さ…、……」
「アヌシュカ!?」
オルトスが悲鳴混じりの声を上げる。少女の瞳が薄く開かれ、虚ろな視線が宙を彷徨った。しかしすぐに咳き込み、再び瞳を閉じてしまう。
ベアトリスは微動だにしなかった。だがその傷だらけの身体の奥底から、鈍い脈動が響いている。まるで全身に刻まれた混沌の種がゆっくりと芽吹こうとしているかのように。
同時にベアトリスの胴体の損傷部位からも濃密な闇が噴出し始めた。かつて彼女が自ら引き受けた真なる魔王の混沌だ。
「今だ! 浄化を――!」
聖女たちが慌てて魔法陣を展開。しかし空間が歪みすぎて効果範囲が定まらない。
そこへユーフェミアの叫び声が通信機を通して届いた。
『ミンミン合唱団!早く‼』
その声にオルトスが即応した。彼は動けぬアヌシュカを抱えながらも叫んだ。
「皆、『ミーン』だ‼」
聖女たちが一斉に口を開く。
――ミーンミーンミーンミーンミーン!!!!!!
まるで雷鳴が轟くほどの大合唱が戦場を揺さぶった。その響きに乗るようにしてベアトリスの体内から濁った液体と霧が放出されていく。彼女の肩や腹の皮膚が剥がれ落ちながら黒い塊を撒き散らし始めた。
「効いている!」
「すごい……本当に効いています!…あっミンミン!」
興奮する聖女たち。
黒い塊は次第に塵芥となって崩れ落ちていく。同時にアヌシュカとベアトリスの傷口から流れ出る血も徐々に収まりを見せた。
「アヌシュカ!!」
オルトスの叫びに応えるように少女の瞼が僅かに開いた。かすかな息遣いと共に蒼白かった頬に微かな紅色が戻ってくる。
ベアトリスの傷も徐々に再生を始める。欠損部を覆う黒い霧が晴れると、本来の白い肌が現れた。
四方八方から光の粒子が吸い寄せられ、アヌシュカとベアトリスの傷を埋めていく。混沌はみるみるうちに縮小し、最終的には黒い結晶へと凝縮される。
「う……嘘みたい……」
「ヒルベルテさん、最後の仕上げお願いします」
『ミ゛ッ』
ヒルベルテが掌を掲げると周囲の空間が塵となり、ゼフェスゾームの山脈につながる。
あのミンミン合唱で声無き声を上げているうちに、何故か発声出来るようになった。
…何で、ミンミン合唱で失った声が復活したんだ?
まあ、まだ慣れないので蝉よりなのと、こういう事は考え過ぎずに受け入れた方が楽だろう。
「……ミーン」
その前に、寄り道をした。
ゼフェスゾームの山脈で兄と友人らが母にトリプル蝉ドンで拘束していた光景。
まさかこんな変化形が在ったのか、改めてこの状況が最善なのか…とツッコミ処満載だが、今はやるべきことが在る。
アヌシュカとベアトリスを苦しめる結晶体。それに手をかざすと、それは塵となって消えた。
ベアトリスは胸を押さえながら咳き込んだ。
「……何……が……」
「終わりだ。これ以上あなたが苦しむ必要は無い。妻を救ってくれてありがとう」
「ベアル……」
ヒルベルテに案内されたユーフェミアの涙声が届く。
ユーフェミアが彼女を抱き起こす。片足が崩れ落ちたベアトリスはもはや立つことすら困難だが——奇跡的に命はある。
「よかった……おかあさんが無事で…本当に……。ベアルは充分苦しんだし、いっぱい人を助けたよ。だから、帰ろう?…帰って、いっぱいお話ししよう?もう一人で抱え込んじゃ駄目だよ……」
ベアトリスは微笑もうとして失敗し、かすれた声で囁いた。
「馬鹿……泣くんじゃないの…ユフィ……」
『公爵』帰還後、シルヴィナ・バーンベルク女侯爵は静かに佇んでいた。
「これで終わったか……」
彼女はぽつりと呟き、ゼフェスゾームの山脈を見上げた。かつて魔王が封印されていたその山は、今は穏やかな姿を取り戻していた。
――地形の一部は蝉ドンの形態になったのは置いておいて。




