最終話 帰ってこない妻に夫は蝉ドンをしてみた
真なる魔王は再びシュトラゾームに封じられて半年が経った。
世界も復興に向かっている。
元聖女マリエラと教会過激派たちは、魔王の封印先へと落ちたそうだ。
「あそこは人間には酷だ。未来永劫、悪王が吐き出す魔物のおもちゃになる」
シルヴィナはそう言っていた。――ヒルベルテとエルル殿にダブル蝉ドンかまされながら。
「母上のやり方が全部間違っている訳じゃあ無いけどさ。旧体制過ぎる戦法は見直した方が良いぞ?」
「そうですよミーン」
尚、夜はシルヴィナの夫が夜の蝉ドンをかましているので、近いうちに弟か妹が出来そうだとヒルベルテは告げる。
ヒルベルテも当初はミンミンやジジジだったが、ようやく流暢に喋れるようになった。
…エルル殿は面白がってミンミン言わせている辺り、別の意味での戦争の爪痕は大きい。
尚、神の腹心にまで鏡の加護を広げたデイジーだが、アヌシュカとベアトリスが無事なことを確認して気絶した。
その後、高熱を出してひと月寝込んでいたという。
「大抵は過激派見たく狂死してもおかしくないものを見ている筈。……この程度で済んでいるデイジー殿の精神力どうなっているやら。
オルトス。…奥方は、まだ目覚めていないのか」
「……ああ」
アヌシュカだが…目を覚ましていない。
アヌシュカだけが帰ってこなかった。
ゼフェスゾーム辺境領の辺境伯夫人の一室。オルトスは今日も妻の寝台の横に座っていた。
アヌシュカの肉体は確かに治癒している。柔らかな銀糸のような髪は朝日に透けると光を帯びる。しかし——睫毛一本たりとも動かない。
彼女の胸は微かに上下している。体温も規則正しい。
なのに目を開けない。
「アヌシュカ……」
オルトスは呟きながら彼女の手を取る。温かい。それでも魂がここにない事を悟るには十分だった。
ヒルベルテによると『魂が死の世界を行き来している状態』だという。
肉体の傷ではなく精神的な影響。
「未熟な魂で混沌を受け入れたから、諸侯王側で干渉すれば悪影響を及ぼすだろう」
自然に任せるしかない所がもどかしいと、申し訳なさそうに告げた。
ベアトリスは今日も屋敷を訪れていた。右足こそ義肢だが以前と同じ調子だ。
「オルトス卿。今日はどうだ?」
彼女はベッドの反対側に腰掛けると義足を鳴らして床に直す。眼帯を外し邪視でアヌシュカの死の痕跡が無いかを確かめるように見つめる。
「変わらない。……ヒルベルテが言うには『生きている』が……」
「当たり前でしょう。お前が連れ帰ってきたんだから」
ベアトリスは窓枠に凭れて外を眺める。
「あの子が自ら真なる魔王へ挑んだ理由は……知っているのか?」
オルトスはダリアからシルヴィナの発言の報告は受けていた。
隣領に移る事をアヌシュカ自身了承したとはいえ…アヌシュカが強硬手段に出たのは彼女の諸侯王の潜在的な力を侮っていた。
「違うな」
ベアトリスは苦笑いした。
「周りがどう言おうと、あの子自身が選んだ事だ」
義足をコツコツと床に打ち付ける音だけが響く。
「……シルヴィナ。奴がアヌシュカは『器』と言って殺そうとしたのは正しい判断だ。
真なる魔王の力の一部を取り込んでしまえば魂ごと喰われる。混沌が器を食い尽くすまでの時間稼ぎが精一杯。だから本来は……殺すべきだった。
あんな馬鹿馬鹿しい方法で、打ち消すとは私も予想外だった」
オルトスは目を閉じた。
「俺は……妻に目覚めて欲しい」
「私もだよ。ユフィのためにも」
義足がコツリと床を突く。
「結局……アヌシュカは何故戻ってこない?」
オルトスが無意識に問う。その問いを聞いたベアトリスはアヌシュカの寝顔を見つめる。
「『恥ずかしい』とか『迷惑を掛けたく無い』とか……子供らしい理由だろう?
散々お前や使用人に止められても突き進んで、どんな顔で戻って良いのか分からないのだろう」
冗談めかして言うが、ベアトリスは真剣に告げる。
「私は神を呪った故、死者と生者が曖昧な夢の世界に行く権限がない。…が、アヌシュカはそこにいる。
オルトス。人間が夢の世界に行く古典的な方法ならば、君だけ行って妻を取り返せるかもしれない。
…試すか?」
「やります。…それまでアヌシュカを頼みました」
「そう。……ああ、夢の世界では人間は全裸になる。流石に妻を迎えに行くには説得力に欠けるから、適当に見繕っておくわ」
+++++
夢の世界でアヌシュカは身を縮こまらせて俯いていた。
「…帰っていいのでしょうか」
分からない。真なる魔王の混沌を喰らってしまった事。
魔王を倒すことを優先するあまり獣の姿を晒し周りを恐怖に陥れた事。
――自分の母の所業が原因で大切な人を亡くした人達が居ること。
それらを知ってしまった今、アヌシュカはオルトスや領民の前に立つ勇気を持てないでいた。
その遥か後方でエレシュカが娘の様子を見ている。
しかし、従来の方法で夢の世界に来たアヌシュカに声を掛ければ、死の世界に引っ張り込んでしまうので話しかけには行かない。
夢の世界は境界を越えて様々な風景が流転する。ある時は王城の庭園でまたある時は岩場の峡谷。そこに現れた人影があった。
「アヌシュカ!」
彼女は反射的に振り返り息を呑む。
「オルトス……さま?」
その人物は迷うことなくこちらへ歩み寄る。全身を包む純白の衣装、そして柔和な笑みを湛えながら両腕を広げて近づいてくる姿にアヌシュカは思わず目を逸らした。
「――えっと、ごめんなさい!」
ドゴォッ‼
「……君の事だ。色々と考えているんだろうけどな」
オルトスはアヌシュカの正面で跳躍し――蝉ドンでアヌシュカを岸壁に縫いとめ真っ直ぐに見つめる。
「君がどんな姿になったとしても。俺は君に会いに来る」
彼はそのままアヌシュカに告げる。
「君は怖がる必要なんて無い。むしろ……謝るのは私の方だ」
「……どういう……意味ですか?」
アヌシュカの問いにオルトスは少し困ったように笑う。
「何もできなかった。私が守るはずだったものを君が救ってくれた。君が『魔王』と相対するという重大な決断をしてくれたおかげで世界は救われた」
「けれど僕……皆さんに『怖い思い』を……」
「しないよ」
オルトスは岸壁から手を抜き取ると、アヌシュカの手を取りきっぱりと言い放つ。
「一度だって思った事はない。君がどんな姿をしていようと私は変わらないし他の領民たちもだ」
アヌシュカが俯いてしまうのを見てオルトスは眉を下げる。
アヌシュカの目に涙が溜まる。
「本当に……?」
オルトスは大きくうなずく。
「ごめんなさい……。僕……」
「謝る事などないだろう?」
彼の言葉に安堵する。
「それよりも早く元気になってくれよ。君と一緒に食べる食事が待ち遠しい」
オルトスが朗らかに笑う。
アヌシュカもまたつられて口元を綻ばせた。
「僕は、戻って良いのですか?」
「ああ。――帰ろう、アヌシュカ」
アヌシュカの目覚めにダリアやカレン達が泣きながら喜んだ。
客室に泊まっていたベアトリスもそれを聞き、安堵した。
「本当にご迷惑をお掛けしました」
ベッドの上でアヌシュカが項垂れる。オルトスが首を振った。
「そんなことはないさ。むしろ感謝しているよ」
ダリア達も頷く。オルトスが笑顔で語り掛ける。
「君は俺たちを守ってくれた。それに……」
一拍置いて続ける。
「俺にとっては妻の君が何よりも大事なんだよ」
その言葉にアヌシュカは照れくさそうに視線を落とす。
「ありがとうございます……」
扉越しに彼等のやり取りを聞いたベアトリスは小さく微笑んだ。
それから踵を返す。
「これで良いのよ」
誰に言うでもなく呟くと彼女はそのまま部屋を出て行く。
+++++
――さて、後日談だが。夢の世界に行く方法は…諸々の経緯は省略するが『昏睡する妻を枕に全裸で睡眠する事』であった。
その間、他者の侵入は厳禁。ただし、術者を除く。
夢の中では服を着られるように手続きをするため、オルトスが眠った後にプルプル震えるミュゲが外で監視。入室したベアトリスは虚無の顔で術を施す。
…全裸男と二人きりの状況を作らない為だが、アヌシュカが目覚めるまでは他の者が入れないのがこの方法の困った点である。
目覚めた際、アヌシュカは『変態さん』だと思ったのだが、必要なことだと思い黙っていた。
術を安定させるため、ミュゲとベアトリスの最低限の人員しか知らなかったこともあり、全裸のオルトスに服を着せるミュゲを見たダリアの雷が落ちたことは言うまでもない。
何処からかそれを伝え聞いた、大きなおなかを抱えたシルヴィナとヒルベルテ夫妻が大爆笑しながらオルトスを囲んで――大変な事になった。
更に詳細は不明だが、彼の名誉を考慮して敢えて省略する。アヌシュカが恥ずかしがったのは言うまでもない。
そんなわけで彼はしばらくアヌシュカ接近禁止令を受け、酷く落ち込んだ。
手紙のやり取りは許可が出たのでアヌシュカは筆を取る。
「…戻ってきました」
改めて実感するアヌシュカだった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。




