77.人間の底力と神の腹心の蝉ドン、新たな問題
「……では俺も」
アルカディア監獄。
地面が震え空気を焼き尽くすほどの熱量を孕んだ声。ルーベルが静かに呟く。彼の両腕には雷炎のごとき魔力が奔り、空中で螺旋を描いて凝縮していた。
「分かっているだろうが――」
「ああ」
厳しい視線を送る看守の言葉に、ルーベルは一瞥もせず片手を翳した。
眼前には、数多の付与が掛けられた鏡面。
「この一撃だけが、俺の自由だ」
それは廃棄された真なる魔王の分体が過ちを侵し、監獄へと縛られたもの。
かつて怒りに任せて都市一つを灰燼に変えた男は、己を生んだ真なる魔王への復讐を果たすべく復讐と憎悪の精霊の加護を最大化させる。
『もったいないですね。貴方の怒りの矛先は本当にあの都市でしたか?』
誰もが己の身を焼く憎悪に怯えるのに、その向かいの牢にぶち込まれた女は真っすぐ自分を見てそう言った。
『知らない。ただ、不愉快なだけだ』
『うーん、人の命とかを説いても貴方には不快でしょうねぇ。…何処に収監されるんですか?あとお名前は何と言いますか?』
『知るか』
『じゃあ、こっちで調べます。そして、面白い本を差し入れます。読んでつまらないと思えば、引き裂いてしまって良いです。
面白かったら、感想を下さい』
『…‥お前、何処に入れられたか分かっているのか』
『死刑囚用の牢屋ですよね。いやー、そろそろ『大魔王説』とそれに類する本、コミケで販売くらいは行けると思ったんですけどねぇ…』
そのおかしな女から送られてきた、『猫と旅する夢の世界』と『パクパク魔王と山の神』。
てっきり処刑されたものだと思ったが、生きていたらしい。
「『憎悪』、あのゴシップ屋から本と名前の差し入れだ。今後は『ルーベル』と名乗れ」
そのゴシップ屋の名はデイジーというそうだ。名前は彼女の好物のベリーから取ったらしい。
ルーベルは字が読めないのに、絵が面白い二つの書物は、気付いたら挿絵を何度も読んでいた。
そういえば、誰かに贈り物を貰うのは初めてだった。それも二つも。
そして、文字を『読みたい』と思った。
看守も、自身が読書している間は大人しいからと、文字を教わった。
本が増えるにつれて、本を傷付けたくないので暴れなくなった。
復讐の『炎』が徐々に小さくなって、物語に描かれた現実に生きる者を…復讐と怒りに駆られて無作為に殺した事実が心を重くした。
その面白い本で自身の『敵』を知った時、自身は生涯収監されることとなった。
…それで良いと思った。
真なる魔王の魔力妨害はアルカディア監獄には影響が無かった。
それを見越してデイジーは連絡を寄越した。
飄々と願い出た彼女の両手は真なる魔王の攻撃で負傷し、巻いた包帯と血が飛び散った衣服が痛々しい。その痛みを一切顔に出さない彼女は、自身の足で調査し続けた経験も講じて看守相手に肝が据わっている。
恐るべき努力の天才はいつも自分の望む結果を引き寄せる。
そして今日この場で。看守の特別許可でルーベルは解放されたのである。ただし条件付き──一撃限りの発射。
「分かっている。一度だけ。それで十分だ」
あのひとは視野の狭い己の世界を広げた。
自身の罪にも気付かせてくれた。
最近やっと近代の字を書けるようになった。まだ、感想を伝えてもいない。
世界を救う一助で少しでも罪を償えるならば、それでいい。
ルーベルが手のひらを振り下ろすと、怒りの槍に黒炎が巻きつき鋭い穂先を形成する。古代語で刻まれた禁忌文字が赫い光を帯びて脈動し始めた。
──それは「真なる魔王」の時代の者達が最も忌むべき逆流式破壊術式。対象を構成する因子を徹底的に分解する貫通能力に特化した術であった。
「ヒルベルテ! エルル!」
ベアトリスが吠えるように叫んだ瞬間、二人は塵の魔法術式を監獄の鏡面に向けて展開する。
「この世界に生まれることができた感謝は、大切なものの為に捧げる」
投擲した槍は、鏡面に吸い込まれた。
すべての鏡面が真なる魔王の頭部と核方向を映す。
「──穿て!!」
ベアトリスの号令と共に鏡面が最後の一閃を迎える。
刹那──
上空から降り注ぐ、塵の槍。
デイジーとベアトリスが新たに設置した数多の鏡面が瞬時にそれを反射。さらにヒルベルテが紡いだ塵の術式が付与される。
一本の投擲された塵の槍が無数の矢と化し鏡面を乱反射し交錯する。まるで夜空を切り裂く星屑の雨のごとく。
反射を重ねた無数の塵の槍は流星群のように空を裂き炸裂した。極小粒子を帯びた尖端が次々と真なる魔王の頭部と核を射抜く。それは生物としての痛点ではなく空間そのものに対する座標攻撃だった。真なる魔王が展開した障壁が歪み亀裂を走らせる。
生き物の目には水晶体がある。その性質を利用し、鏡の聖女が送った情報を垣間見た者がいる。
地鳴りが響き、シュトラゾームが――動いた。
その両手を大地に真なる魔王ごと固定し縫いとめる。
それはけたたましい蝉の鳴き声のようだった。
呪詛の如きシュトラゾームの真なる魔王の耳元で囁く鳴き声で、真なる魔王の抵抗を弱体化させる。
とはいえ、その声量はけたたましい故、勝負は早く着けた方が良い。
「!!」
攻撃とシュトラゾームの新たな拘束がなされたことで障壁が薄くなり、アヌシュカが真なる魔王へと接近することができたのである。
「行け、アヌシュカ──!」
ベアトリスが叫ぶと同時に、設置された鏡面に付与を施した。
反撃を試みる真なる魔王を直視するベアトリス。
その弩級の魔力に耐えられず、彼女の回復した瞳が爆ぜた。だが邪視の効力は保たれていた。あくまで視線を通じて対象に与える干渉の一種──真なる魔王も例外ではない。ただし効果は一瞬。
銀の閃光がジグザグに真なる魔王へと向かっていく。
魔獣たちを支配する呪いを喰らい、さらに巨大化した諸侯王・侯爵アヌシュカ。
彼女は悪王の喉元に喰らいつき、混沌を喰らった。
『これで、諸侯王のお務め、完了です』
最前線に居たシルヴィナを筆頭にした諸侯王たちは、結界の展開に切り替えた。
悪王側に傾いた天秤は善王側に戻り、山脈の亀裂は徐々に塞がっていく。
――以前と違い、山肌が蝉のようになっているが、些細なことだ。
他の諸侯王に結界の展開を支持し、――動く。
「アヌシュカ‼」
銀の狼の姿から、徐々に人に戻るアヌシュカは自重に任せ落ちていく。
意識を失い真なる魔王の封印の深淵に落ちかけるアヌシュカを、ベアトリスは抱きかかえ黒翼を顕現して飛ぶ。
その身体を抱え、両目が潰れ視界が確保できないまま。
ベアトリスは結界に巻き込まれる前に脱出し、アヌシュカを庇いながら、弩級の魔力で探知しにくい状態で、雪や岩にぶつかりながらその場を離れようとする。
(早く、離れないと……)
刹那。
ベアトリスを閃光が貫いた。
「うぐっ……‼」
「そうだね、アヌシュカを滅しておしまい」
空中に居るシルヴィナが光球を幾重も展開し、冷たくそう告げた。
タイトルに蝉ドンを用いた以上、一発で終わらせるのはもったいないですね。




