75.世界終焉の始まり②
「やはり神の腹心の深部の封印はまだ効果がある。魔王は完全には復活してはいない」
「どういうことだ…。これが死に至る疫病?」
オルトスは前線でその余波を受けていた。
「そうだ。何千年も前、肺炎や破傷風は間違いなく死病だった」
エヴァンスは淡々と告げる。
「だがしかし、人類がどれ程同様の病で死に、足掻き、病を克服してきたと思う」
今では免疫機能を付ければ抗体が出来る、対処可能な病。
大司教一派はこれを拒んでいたため、瞬く間に罹患したが。
「今では対処可能な病だ。…それでも油断はするな、魔障への対処は未だ克服出来ていない。更に、封印が解けた以上、現代の死病に気付く可能性もある。
それと、出て来たぞ」
真なる魔王の復活を歓喜するように、封印されていた悪王側の諸侯王たちが出て来た。
しかし、超長距離から放たれた黒い錐が、彼らを貫く。
「ヒルベルテ…そして、『心眼』?」
「雑魚は残っている。――陣形」
「――ヒルベルテ」
冥婚の契りを交わしたエルルとヒルベルテに新たな祝福が芽吹いた。
ヒルベルテを召喚している間、エルルは『心眼』の一部能力を解放できる。
魔物が放つ悪意の感知能力。その範囲は広域で、王都からゼフェスゾーム辺境領どころか隣国グリンホルン共和国まで視認可能。
ヒルベルテはエルルの『心眼』を共有可能だ。その力で王都に居ながら、前線であるゼフェスゾームの山脈を正確に把握できる。
エルルも同等の力を共有しており、魔法障壁を展開する魔力コストが大幅に減った。
二人が王都に残っているのには理由がある。
真なる魔王の復活で、各地の魔物の動向が危うい。
皆が本能的に怯え、我を忘れて暴れ出す。
「――ピューロ領北西の沼地に魔物の反応在り。増援を」
「はっ‼」
故に魔物に『威圧』を掛け、後方から前線部隊の援護に回っている。
ついでに言えば、王都を離れられない理由がある。
真なる魔王の実態が分からない以上、『君主』になりたてのヒルベルテを前線に出せば、真なる魔王の干渉で操られる可能性が高い。
何より、五百年もの間、悪意と絶望で染まった王都の広場。
――湧き出してくるのだ、彼らの思念体が実体を持って。
死霊と化したそれが人々を襲おうとするが、鋭い銀閃が奔った。
聖女アイビーが双剣でそれらを切り裂き、聖女フォクスが在るべき魂へと浄化する。
魔物の気配につられた新たな魔物も、アイビーが一足で跳び切り裂いた。
「下級中級の魔物に集中して。上級以上の魔物は私と聖女フォクスで相手します」
「はいッ‼」
グリンホルン共和国側で魔物たちを迎え撃つヴィルヘルム達だが、押されていた。
元より、主不在の魔獣の渓谷からより強化された魔獣が押し寄せる。
(魔獣の区域に『穏健派』の不在がここまで弊害になるとはな)
更に、国境付近故にヒルベルテの遠距離射撃に一定の時間を要する。
刹那。
大振りの大剣が魔獣を両断した。
「お前っ!?」
そのフードを目深に被った剣士は指をさす。
「エグいな、おい」
防護障壁を展開するとその剣士の振り被った膂力と防護障壁の堅牢さに耐えられず、魔獣たちは突如現れた壁に叩きつけられ圧死する。
剣士の斬撃が瞬く間に魔獣をせん滅した。
「俺は戻る。…二段階目からキツイ、移送方陣も使えないだろう。そこからはお前の役目だ」
「…ありがとな、キー」
「おう」
剣士は振り向きもせずに移送方陣へと消えた。
「お友達、大丈夫だった?」
「今のところは。ベル曰く、次から本番らしいがな」
「ベアル、無事だといいけど…」
各地の聖女たちは奮戦していた。
しかし。
デイジーのカメラが破壊され、その両手は血に染まった。
「デイジー‼」
「あちゃ~、…ここからが本気でしょうね。」
ユーフェミアの治療を受けながらデイジーはそう呟いた。
幸い、鏡になれる反射物はあの山脈には沢山ある。…簡易的な処置を受けるとデイジーは魔道通信機を手当たり次第に掛けまくる。
「…殆ど通信死んでいますけど、繋がって良かった」
「要件を言え、ゴシップ屋」
「一度で良いので、ルーベルさ…死刑囚の…加護をお願いします」
「ちっ、…分かった」
+++++
真なる魔王の魔障はじわじわと、前線で戦う騎士たちを蝕んでいく。
アヌシュカはじっと、ゼフェスゾームの山脈を見ていた。
真なる魔王の古の封印は確かに機能している。巨大な檻のごとき結界が、山脈そのものを包み込み、その中心から湧き上がる不吉な気配を押し込めようとしていた。だが、それは完全無欠ではない。封印という名の古い枷は、軋みを上げながら必死に魔王の意識を縛り付けているだけだ。
その証拠に、結界の外側で魔障が急速に濃度を増していくのが見て取れた。粘つく闇色の靄が地表を這い、徐々に前線の騎士たちの装備や肉体に纏わりついていく。それは聖女の加護無しでは剣を鈍らせ、鎧を錆びさせ、さらには精神を蝕む。
その加護も徐々に軋みを挙げているが。
そして今、最も重大な異変が起きた。
邪視の魔女ベアトリス。かつて国内外を震撼させた邪視の魔女は、ゼフェスゾームの山脈を睨み据えていた。彼女の両目は通常の人間のものではない。その瞳孔が妖しく輝き、その視線自体が凶器となり得る。
真なる魔王は自身の周囲に巡らされた魔道具を分析。術者へ干渉。
その金の双眸が突如としてひしゃげるように歪み、次の瞬間、右目のあったはずの場所から鮮血が迸ったのだ。
「……ッ!?」
「ベアトリス様!?」
側に居たサリナが悲鳴に近い声を上げる。
「…予測した通りだ、心配いらない。指示を出せ」
「はいっ」
サリナは領民たちの非難に専念する。
ベアトリスは呻きも上げず、ただ噴き出した血液が滴り落ちるのを手で受け止めた。その黄金の瞳は、潰されてもなお山頂を捉えようと虚空を彷徨う。
「心配いらない。魔道具に残る私の魔力を通じて、奴がこちらの探査網を逆探知しただけ」
(デイジーもやられたか?いや、あの術式を主に組んだのは私だ。あの子の魔力は小さい故、多少の妨害程度だろう。
山脈を踏破したあの子ならば、魔道具が破壊されても、雪の残る山頂の反射体を有効利用できる)
近くに邪魔者が居るなら、先ずは魔力が強いベアトリスを狙う。
邪視とは相手を見るだけで害を成す力。真なる魔王はその原理を理解し、ベアトリスの視線を辿って逆に彼女の眼球を破壊したのだ。物理的な距離や結界など無意味と言わんばかりの能力。
「すぐに再生する」
事もなげに言い放つが、その消耗は激しいはずだ。しかし彼女はすぐに新たな指示を出す。
「サリナ。非戦闘員の更なる退避を急がせろ。あと数分で、ここもヤバくなる」
「は、はいっ!」
サリナが慌てて伝令を走らせに行く背中を見送りながら、ベアトリスはもう一度、今度は潰れていない左目だけで山脈を見据えた。
(まあ、起きるのを徹底的に妨害されれば、怒るか)
不意に、サリナと騎士の声が聞こえた。
「子供がいないのですか!?」
「ローレル教皇が探しに…」
(ローレルの馬鹿!)
僅かな魔力の痕跡が揺らめく。恐らくは前線であるゼフェスゾーム辺境領との境の集落付近。
好奇心か、…急な避難命令だ。何かを取りに行ったか?
思案する合間に、防護障壁から、真なる魔王の魔障が少しずつ浸食していた。
「くっ……‼」
「――護ります」
ローレルは心臓が波打つ音を振り払い、子犬を抱えた子供たちを連れて魔物から逃げていた。
――追いつかれる。
刹那。ローレルが張った防護障壁が魔獣を阻む。
「神官のおじいちゃん!?」
「私は、もう…走れません。勇敢な君、行ってください。…これを、首に掛けて、兵隊さんの所へ、走りなさい」
ベアトリスに貰った反射の魔道具は魔物との遭遇で壊れてしまったが、ローレルはそれを子供に手渡す。自動修復に数分、子供が走って逃げる頃には効果は元に戻るだろう。
「駄目だよ、おじいちゃん!走って‼」
真なる魔王の魔力で壊れた防護障壁の隙間から入り込んだ魔物がローレル達を喰い殺さんばかりに襲い掛かった刹那。
巨大な銀の毛並みの獣が、魔獣に噛みついた。噛みついた箇所から焼けるような音がする。
唸る魔獣に飛び掛かる獣。
――魔障は危険だ。
小さな体では沢山の魔障を吸収することは叶わない。ならば。
――皆が逃げられるだけの時間を。
自身の魔力循環を早めて全身に力を漲らせる。
白い光が獣を包み込んだ。
――大きくならないと。
――時は少しさかのぼる。
「っが……‼」
一斉に攻撃が集中しベアトリスの左目からも血が流れる。
「ベアトリス様‼」
「サリナ、プリムラ、防護障壁の再展開‼急げ‼」
ベアトリスがその場に膝をついた。黒く長い髪は乱れ、顔色も悪い。
魔障に侵され続ける土地と人々を見守るしかない無力感に苛まれた彼女は、突然獣の声を聞いた。
それは、あまりにも美しく、哀しい声。そこには巨大な銀の毛並みを持つ神獣の姿があった。
それは騎士団が陣を張る、集落の方向へ向かっていく。
「駄目…ダメです、奥様‼奥様ぁぁぁああああ‼」
「まさか……!?」
集落に駐屯していた騎士たちは、真なる魔王の魔障を受けて行動不能となっていた。
辛うじて動ける者も、本来の六割程力を使えれば良い方。
酷い灼熱感と激痛で意識が混濁する。
防護障壁の中に居て、かつ聖女の加護を得てコレなのだ。…前線は壊滅的だろう。
その加護も徐々に蝕まれ、血肉を求める魔物が倒れた騎士の周囲を徘徊している。
聖女ヴィオラを逃がすことには成功した。彼女は必要な存在だ。
もしも、加護が切れ、魔物に己が血肉を貪られようと、その時間があれば領民を保護する時間稼ぎとなるだろう。
その時。
真なる魔王の魔障の激痛が瞬く間に引いた。
魔物たちは何かに怯えるように騎士たちから距離を取る。
「――陣形!」
理由は分からないが、騎士たちは魔物のせん滅の為立ち上がる。
ヴィオラは自身の力不足を悔やみながら必死に走った。
――早く、応援を…‼
その時、大きな銀の毛並みの獣が居た。
思わず草刈り鎌を構える。
その神獣が出現した途端に、魔獣たちは皆沈黙した。
――助けた?
「あ…ありが……」
その獣と目が合った時、ヴィオラは有り得ない人物の名を口にしていた。
「――奥サマ?」
夜空のような黒く綺麗な瞳を見て、そう呟いた。
神獣は山へと向かおうとしている。――あの、得体の知れない山に。
鎌を落とし、思わず尻尾を掴んだ。
「駄目だ、行ったらダメだよ。奥サマ、避難しよ?」
『こわがらせて、ごめんなさい』
獣の目が潤んでいる。本当に泣きそうだ。
「……違うの、違うよ。騎士さん達の応援に行かないと。だから、一緒に帰ろう?」
『はい、悪い魔王は僕がやっつけます。だから、帰れます。安心してください』
アヌシュカの動揺で威圧の効果が薄れたのか、魔獣が再び殺意を向ける。
しかし、皆死に絶えた。
両目を血で染めたベアトリスがヴィオラ達に追いついた。
何だかんだ言いながら、ベアトリスはアヌシュカが心配らしい。
「ベアトリス様!?奥サマが‼」
「その姿は……神の遣い……!?」
かつての天井画を知るローレル教皇はそう呟いた。
「……まさか」
ベアトリスも驚愕する。――アヌシュカの纏う気配に。
彼女は巨大な獣に向かって叫んだ。
「アヌシュカ‼やめなさい‼」
――全ての魔障を引き受けるつもりなのか?
全て吸収し浄化する気か?
真なる魔王は封印されつつも、その力の一部を外界に滲ませる。
その邪悪な力は周囲の植物や動物、人々にさえ及び始めている。
特に厄介なのは、「魔障」と呼ばれる瘴気だ。
それは生命を蝕み衰弱させ、時には狂わせてしまう。アヌシュカはこの魔障が領民や聖女たちに危害を加える前に防がねばならないと決意していた。
しかし自分の今の姿では到底敵わない。
彼女は己の限界を超えてでも皆を守ろうとしていた。
そのためにはこの小さな体では力不足だと思った。
――大きくなれ。
自身の内なる力と向き合い、祈った。
『僕、旦那様をお守りします。エヴァンスさんも、騎士団の皆さんも、前線で戦っている人たちは辛いでしょうから、奥様のお務めをします』
――誰も、奪わせない。絶対に止める。
全身から溢れ出す白い光が獣を包むと次第に膨張していった。
光の中から現れたのは純白の巨躯を持つ神獣だった。
その姿は勇猛さと神々しさを兼ね備えており見る者の心を奪うほど美しかった。
(アヌシュカ……何てことを……!)
ベアトリスはアヌシュカがやろうとしていることにすぐに気づいた。
己の命を削ってでも皆を救おうとしていることに。
ギリリと歯嚙みし、アヌシュカに問うた。
「お前の意志か!?誰にもそそのかされていないな!?」
『はい』
「……私も行く。真なる魔王の周辺に設置した魔道具、付与を与えれば私の邪視の力が再び発揮される。――その隙に奴に喰らいつけ」
『…はい』
「……」
無情に思うかもしれないが、ベアトリスのこの提案は最大限の譲歩だった。
アヌシュカは真なる魔王を討伐するためなら喜んで犠牲となるだろう。
それなら少しでも多く真なる魔王の力を削ぎ落し、アヌシュカの生存確率を上げるためには――
ベアトリスは覚悟を決めた顔つきになるとローレルに向き直って言った。
「ローレル」
「…はい」
「…ユーフェミアをよろしくね」
(すまない)
心の中で謝罪しながらベアトリスはアヌシュカの側に行き軽くその巨躯に飛び乗った。
…上空から視認できる限りの魔物に邪視を叩き込んで。
アヌシュカが飛び出した時。
ダリアは泣きながらアヌシュカの名を叫び、避難所から飛び出ようとしていた。
カレンもミュゲもそうしたかったが、泣きながらダリアを止めた。
神獣と化したアヌシュカに頼まれたのだ。
『オルトス様を助ける間、領民さん達をお願いします』
『怖がらせて、ごめんなさい』
――怖がっていたのは、奥サマじゃないか。
ヴィオラは避難所に着くまで、ただ涙を流していた。




