71.偽りの救済者たち
「どうしてあのローレルが教皇になど‼」
大司教は王都から脱出後、部下からの報告にテーブルを荒々しく殴った。
邪視の魔女が百年以上死の呪いを掛け、空位となった教皇の座。
我々が定めた聖女の加護も無しに、何故あのぼんくらが教皇になれた?
空位だと見せかけ、教皇と扱うだけでも非業の死を遂げるというのに、どんな汚い手を使った?
挙句に神の遣いたる白龍があのバーンベルク女侯爵だと?
更にはあの穢れた魔族の餓鬼が精霊として復活?
「そんなことがあってたまるか!」
あの女は穢れた魔族。
神の敵だ。
「いや、ローレルは邪視の魔女ともグルなのだ。穢れた魔族め、魔女め‼」
「大司教、これは好機では?」
「好機だと?」
「はい、偽の教皇ローレルはあの魔女と白龍を従えているのです。神の御身の元へ行き、神の裁きを受けさせるべきです」
「……そうだな」
大司教は顎に手を当てて思案した。
あの穢れた魔族とその眷属共を殺せば神もお喜びになるはずだ、と。
そしてあの純粋無垢な王女を救い出し浄化するのだ。
「よし、バーンベルク女侯爵を殺す。穢れた魔族に与したローレルや我々が認めぬ聖女もどきも皆殺しだ」
「よろしいのですか? 相手は白龍ですが」
「……構わん。我々には神が付いている!ゼフェスゾームの山脈に眠る神が‼」
ゼフェスゾームの山脈に眠る神を解き放ち、邪悪なる白龍を殺してしまえ。
何故神――厳密にいえば神の腹心がそこで眠るかも理解できぬ愚かな男は高笑いした。
バーンベルク女侯爵は必ず殺さなければ。
教会の崇高な歴史を理解できない愚鈍なローレルも。
あれは災厄の魔女。
この国を壊す魔女だ。
「あの穢れた魔族め……必ず息の根を止めてやる」
大司教は不敵に笑い、秘書官と共にその場を去った。
そして神官たちに指示を飛ばし始めた。
「全軍をゼフェスゾームの山脈へ動員せよ! 神を解き放ちバーンベルク女侯爵を殺すのだ!」
神官たちは怯えた表情で大司教を見つめた。
大司教は怒りに燃える目で彼らを見渡した。
「恐れるな! 我々には神がついている!今こそ、我々の使命を果たす時だ!」
神官たちは震えながらも、ゆっくりと頷いた。
そして、準備に取り掛かった。
しかし、彼らの胸中には疑念と不安が渦巻いていた。
本当に白龍を殺せるのか?
大司教様は一体何を考えているのか?
そもそも。
大司教の秘書官…あのような神官は居ただろうか?
――夢の魔女クリューレーヴ。
彼女は愚かな神官が望む『夢』を現実にしている。
あの秘書官は大司教が望む答えを吐き出す『夢』の具現化。
神力が減少したとはいえ、大司教の行動に疑問を抱き始めた神官たちには、その精巧な人型の具現化の歪さが垣間見えている。
(もっと精度を上げても良いのだけど…、真なる魔王のごはんは減らさないとねぇ。ミルクレープが食べられなくなるのは困るわ)
「……女侯爵様、辺境伯様……どうか、ご無事で……」
疑念を持った数人の若い神官が小さく祈り、そっと標を置いて行く。
微弱な魔力探知を持つそれを、彼らは拠点を移す度に置いて行く。
(あんなもの無くてもシルヴィナは追跡しているでしょうに。殊勝だこと)
その神官たちの夢を覗くと、やはり酷くつまらないものだった。
身内があの女狐とゼフェスゾーム辺境領の領主に救われた。それだけ。
青臭く、つまらない感情を弄っても楽しくない。
弄り回すなら、傲慢で権威ある脂ぎった連中が良い。
大司教は豪華な馬車に揺られながら、窓外の景色を見つめていた。朝日に照らされた道は彼の前途を明るく示しているかのようだった。横には人工聖女マリエラが座り、その瞳には貪欲な光がぎらついている。
彼らの目的地は神の山脈——神話時代より魔王が封印されているとされる聖地だ。
「我々の使命は崇高なのです」
大司教はマリエラに語りかけた。
「封印された神を解放し、教会の正当性を証明する」
「ええ、そして私が真の聖女になるのよッ」
大司教に豊満な胸を揉みしだかれ恍惚のマリエラは微笑んだ。彼女の金髪は今日も鮮やかで、緑の瞳には野心が宿っていた。
「もちろんですわ。神は私たちをお選びになったのですから」
そうすればこんな脂ぎった爺ではなく、世界中の美男子を侍らせられる。
あの忌々しい辺境伯夫人から逞しいオルトス様をむしり取ってやろう。
あの能面のような顔をどうやって歪ませてやろうかしら?
(あー。地雷踏んでるわコイツ)
取り敢えず、その自尊心を極限まで崇め奉っておこう。
道中、彼らは何度も休憩を取った。
豪奢な馬車を使い、堂々と目的地に向かう。
――その全てがバーンベルク女侯爵に把握されているとは知らずに。
どうして、検問にも引っ掛からないと思えたのだろうか?
否、気付きもしない。
各村の教会で大司教は歓迎され、人々は彼を救世主のように崇拝した。だが、その称賛の中に時折混ざる嘲りの目に大司教は気付かなかった。
魔女たちが周囲の人間たちの心に仕掛けた感情の操作は、完璧に機能していた。
疑惑の感情を薄め、生来持っている信仰心を一時的に上げておく。
偽の信望を鵜呑みする姿はあまりにも滑稽だ。
彼女たちは仲間意識が希薄だ。同胞が奴らに殺されようと気にしない者ばかり。
ただ、自身らが最も崇高であると自負する者たちの破滅を待ちわびている。
一部の聖騎士たちが武器を磨き、信心深い農民たちがパンを焼くその裏で。
大司教と彼を妄信する者だけが気づかないままに。
――真なる魔王を利用した、一世一代の悪戯。
何と悪趣味で、傲慢で、胸が高まるのだろう。




