66.憤怒のエヴァンスと夢の記憶③
王城と教会本部で義兄エヴァンスが静かに憤怒する、同日。
ゲッソリと痩せこけた髭モジャの兄が、聖女マリエラを連行するエヴァンスより先に帰還した。
強制的に侯爵領の者に貨物運搬用の移送方陣にねじ込まれたらしく、『五体無事で居たければ暴れないで下さいね』と冷徹に告げられたという。
エルルにはそれがシルヴィナの養子キーゼルだと気付いた。育ての母を傷付けた事を途轍もなく怒っている故の対応だろう。
兄から、ゼフェスゾームの山脈では、魔獣や魔物は錯乱状態になることが報告された。
更に『ゼフェスゾームの山脈=大魔王説』を説き異端と処刑された、奇人学者の説を元に実施調査の結果を説明する兄。
かつての兄からは考えられない事ではある。
大魔王の核から遠い場所であれば、魔獣や魔物は正気に戻るとも告げた。
「バーンベルク女侯爵に山に放り込まれて、キーゼル殿の監視下での調査中…何度か死の淵を彷徨う中。
…真下から、途方もない存在の鼓動を感じました。何度も、何度も。…恐ろしい気配が『二つ』した。…女侯爵らが開戦した付近――核の近くでのことでした。
もしも、魔力感知に優れた魔王や魔物が、あそこに故意に召喚されたならば…。正気でいられません。
殺意や悪意を以っていては、山から出ることも出来ません。…実際、そうでした」
監視役のキーゼルが放つ殺意で、夏でも山頂には雪が残るあの山脈で迷い何度も死に掛けたという。
兄自身が持つ欺瞞や嫉妬などの感情を鎮め、如何にかキーゼルを誘導して山の正規ルートに戻れたという。
(だから、兄は賢者のように穏やかな顔つきなのね)
「不浄の足で己が傅く王の頭を踏みつけ、更に同格の強敵が真下に居るのです…。
…バーンベルク小侯爵の頭を、奇声を上げて裸足で踏みつけると考えてください」
ピンと来ない者たちへ、兄がエルルの義兄エヴァンスの名を出したところ、皆がどういう事か理解したらしい。
コクコクと頷き、震えていた。
「…幾らお優しい義兄でも怒りますね」
「あの方がお優しいのは、エルル王女殿下が義理の妹だからです…」
宰相はポツリと呟いた。
「神の山脈ゼフェスゾームを故意に血と悪意で染めたのです。…『ソレ』が目覚めても、おかしくはありません」
「…バーンベルク女侯爵は、何と」
「……封印に関しては、魔王も精霊も手が出せない。手を加えられるのは、創世の時代に神の庇護下に在った非力であった『人』だけだと。
実際、封印の地点に行けたのは…私だけでした」
創世の時代の悪しき神の眠りを『人』が妨げ続けた結果、封印に綻びが出た。
(一旦解除して張り直しせねばならない。けれど、広大過ぎる)
その為に大量の聖女候補が発現したのだろう。
…それでも何処まで被害を抑えられるか。
「ちなみに、その奇人学者の子孫も聖女候補です。当人は生活魔法のみ使用可能ですが、聖女に覚醒し間もないにも関わらず、鏡の精霊の加護の応用に長けています」
(あ)
一つ、思い至る。
「他者の瞳術と応用は可能でしょうか」
「本人も山脈の踏破をしており、力の使用条件を満たし有効範囲内です。有事の際。
――その力は非常に有用かと」
「呪縛、邪視、石化、麻痺…。鏡の精霊の加護で何処まで持つかは分かりませんが、超遠距離瞳術による射撃で拘束、その間に攻撃による足止めは可能でしょう」
術者の負荷を考えると一瞬の隙を作ればいい方だろうが。
「そうか……」
国王陛下が突拍子も無い説を反論もせず飲み込んでいる事に、エルルは多少の違和感はあった。
+++++
エヴァンスは他の聖女達と共に、教会が崇拝する神を殺した。
正確には教会に堕天し消滅した精霊の代わりに『中立派』の魔女が置いた合成獣。
それを引きずり出し、国王が神ではなく悪魔だと否定した事で、容赦なく屠ったという。
エヴァンスは帰路に着く前、エルルに声を掛けた。
「…君は、今も、…弟を想う…か?」
「はい」
エヴァンスは言葉を選んでいるようだった。
「弟は…。私が…至らない所為で、ああいった選択をした。…すまない」
「…いいえ、お義兄様の所為ではありません。そのような事は仰らないで」
ヒルベルテは自分の代わりに、兄や母が戦って死んで良いとは思わない。
「彼には視えていたのでしょう、暗黒の未来が。
その中から、一番の最善を選んだのです。…人は、多くの過ちを侵し続けましたから。
遠い昔の封印の綻び。『今』、正さねばなりません。
それらは、お義兄様の責任ではありません」
「……」
「わたくしの伴侶はヒルベルテだけです。…自分勝手かもしれませんが」
(冥婚の儀をヒルベルテも望むかしら)
少し緊張した様子のエヴァンスは懐から包みを取り出す。
「これは弟が私に贈ったタッセル…だったものだ」
包みを開くと、それは組み紐に壊れた石が破片となったもの。
「付いているのは、魔石でも何でもない、唯の石。
君が……一番辛いとき。けたたましい音…獣の声のような『それ』が私の持つこれと父のものからも、したのだ。
私も父も、弟の声なき『声』を聴いた。…君を、助けてくれと。あれはそう言いたいのだと、思った」
「……っ」
「君は、自分勝手では、ない。弟は…身体を失っても。魂が傷ついても、…声とも判別の出来ない『声』で私たちに君を救えと言った。
あれはそういう一途な男だ。君を置いて行くような、馬鹿な弟だが想いは本物だ。…兄、として。それは保証する」
気付けばエルルは涙を流していた。動揺するエヴァンス。
「わたくしは、騎士の伴侶として…そういった事態の覚悟はしていました。
悲しみはありますが、ヒルベルテがどんな形でもわたくしの事を想ってくれることが嬉しいのです」
「…義妹にタッセル『だったもの』を贈るのは、…悩んだ」
「ふふッ、ヒルベルテの『声』なのでしょう?そのままを受け取ります。
ですが、包みで運ぶのは大変ではありませんでした?小箱でよろしいのに」
「……。小箱は…。…君を傷付けそうだったので」
そうだった。
ここに、ヒルベルテが戻って来た時。
彼は、小さな小箱の中に居た。
「――お義兄様の心遣い、感謝致します。…小瓶に入れて飾って良いでしょうか」
「う、む。…すまぬ、配慮が無かった」
そうすれば良かったのか。と、云った様子で眉根を落とすエヴァンス。
不器用ながら歩み寄るエヴァンスは、ヒルベルテが自慢するように優しい人だ。
「いいえ、お話が出来て嬉しいです。…道中、お気を付けて」
「君も。何かあれば遠慮せずに私や母を使いなさい」
エヴァンスにそう言われたものの、国王も最近はめっきり大人しい。
国王はシルヴィナが王太子を連れて行って以降、野心などが削ぎ落ちていた。
侍女がコッソリとエルルに教えてくれた。
「少し前。王妃殿下が、鉛玉を喰らうか泥だんご?を喰らうか選べと、拳銃を突き付けて凄んでおりました。泥だんごは…バーンベルク女侯爵が王妃殿下に渡しておりましたね。
国王陛下は泥だんごを選んだのですが…」
泥だんご――エルルや彼女の祝福でセレイムの惨劇やヒルベルテの死等、過剰に集まった絶望や悲しみが煮詰まった負の感情のソレを、シルヴィナは王への置き土産にしていた。
吐き出す王に王妃はそれを噛み砕き、口移しで飲み込ませた。
――自身も凄惨な記憶を見るのを承知で。
嚥下するまで、馬乗りのまま王の口を抑える王妃。
『王よ。貴方が感じているそれは、我が娘が16年間受けて来た苦悩だ。その痛みは愛する者を失った娘の悲鳴だ。全て飲み下さねば、娘を追い込み貴様が拒んだ鉛玉を喰らわせる』
憤怒の表情で涙を流す王妃のあまりの気迫に、誰も止められなかったという。
ついでに、毒かどうか検分した宮廷魔術師は、その情報を見て今も寝込んでいる。
…シルヴィナが渡したということは、今回の件の闇深いものだろう。
母が自爆覚悟でそのような事したことに、エルルは驚いた。
(そういえば、お母様の心の声を最後に聞いたのは…何時だったかしら?)
心が落ち着いた今。思い出した。
無意識に避けており、今になって思い至った。
『怖い』と思われた以降、母の心の声は聞こえなかった。
久しぶりに聞いたのは、あの日。エルルの『心眼』が暴走した時だ。
大司教へ扇子を叩きつけ、激高し、更には投げつけて居た時。
母の声はヒルベルテの時と同じで、心の声と行動が一致していた。
(心の声を、抑えていらしたの…?)
自身を律することに秀でたものの心の声は、容易に聞こえないから。
母は、王に危害を加えた事で自ら自室にて謹慎している。
出る時は見張りを敢えてつけさせる徹底っぷり。
エルルの祝福を『怖い』と思った母。それから無意識に避けていた母が、自分の為に怒った。
(お母様と…お話ししたいわ)
謝らないといけない。お礼を言わなければならない。




