65.憤怒のエヴァンスと夢の記憶②
エルルの祝福の喪失は、医師、宮廷魔術師、神官が確認して結論を出した。
検査にはシルヴィナが同席した。
シルヴィナは連日王城に泊まり込み、国王らと今後の方針を話し合っている。
「義理の娘の大事な検査だからね。…そうそう、神官殿。これ、うちの長男からあなた宛ての手紙だよ」
そう言ってニコニコと手紙を渡された神官は、顔色が悪くなった。
尚、渡された手紙は『我が義妹エルル殿の検査を、よろしくお願いします』の一文。
筆跡の乱れも無い綺麗な文字。
それなのに、怖気が止まらない。文字の背後に憤怒のバーンベルク小侯爵が見える。
神官は、何も口に出すことが出来なかった。
エルルの病名は婚約者を亡くした事による、鬱及びストレス過多による乖離状態。
祝福の喪失も過去の事例からあり得ることとして、医師と宮廷魔術師は診断書を作成する。
神官はそれを持って教会へ戻っていった。
病状に関しては経過観察と投薬治療で様子見とし、公表は控えることにした。
シルヴィナが侍女たちに告げる。
「この子に異変があるなら直ぐに私へ連絡すること。王家の保養地では弁えない連中がすり寄ってくる。我が領に義娘の部屋はいくらでも用意しよう」
本当ならば、侯爵領にエルルを連れて戻りたかったシルヴィナだが、本人が断りを入れた。
「夢を見るのです。わたくしではなく、他の方の記憶のようですが。
『ベル』と呼ばれる女性が、…王都の様式から百年前でしょうか?教会に奪われた友人を救いに向かう夢なのです。
…王家の記録に何か残っていないか、確認したいのです」
「…ふむ。――その夢は怖くない?」
「え…ええ。どちらかというと、哀しい感情が強いでしょうか」
「そう、意欲があるなら止めない。けれど、心の負担になるなら止めさせる。いいね?」
「…はい」
シルヴィナはエルルを抱きしめる。
「忘れてはいけないよ。君を想う者はとても多い。…君の高潔さは報われるべきだ。
――憂いは必ず晴らす」
シルヴィナが王太子である兄を連行して帰路に着いて暫くたった時。
各地で大量の聖女候補が発現した。
教会本部は老若男女問わずに増えた聖女を是とせず、再びエルルへ聖女にならないかと打診があったという。
しかし、エルルが祝福の喪失した経緯を知る宰相や一部の高官。そして彼らに追随した者たちが教会へ猛反発した。
更に、王妃が教会から蒼白な顔の震える姫君を抱えて出ていく姿を、民衆は見ていた。
聖女マリエラのやらかしの後始末をした姫とその亡き婚約者。聖女の奔放さを見て見ぬふりをする教会の代わりに献身的に民衆を支える姫の婚約者を、教会の神官が口汚く罵る姿も見ている。
――恩人である姫君まで貶めた。
――挙句、加護を失うほどに追い詰めたのだ。
ヒルベルテのトレードマークとも言える大小さまざまな黒い十字架を身に着け、教会に抗議する集団も出たほどだ。
それは貴族にも普及し、魔王を倒して亡くなった英傑を偲ぶ為、又はヒルベルテに恩義のある者たちが抗議の意味も込めて、黒い十字架を身に付ける。
そういった臣下や民衆の盾によって、エルルへ教会の直接の打診はなかった。
聖女の素養が消失したエルルは、教会本部が増え続ける聖女の中でも有力候補としている者たちを調べていた。
(どの方も、若く、容姿が整った方……。…え?)
一人の聖女候補の名前と…容姿が引っ掛かった。
魔女狩り――王都で処刑された『魔女』の記録と照合する。
「薬師…ユーフェミア…」
この名を…面影を。エルルは知っている。
邪視の魔女ベアトリスが神職者や民衆、最後の聖女を殺し、助け出そうとした友人の名が。
ユーフェミアだから。
拷問による傷が原因で命幾許も無い、蒼白な顔でベアトリスに抱きかかえられて告げる、彼女の言葉も覚えている。
『ベル。私と、あの人の子。…守って欲しい。友人の貴女なら、安心して任せられる』
「ベル。…ベアトリス?邪視の魔女…ベアトリス?どうして、この人がわたくしの夢に?」
その後も、邪視の魔女ベアトリスが見た記憶だけは、時折夢で垣間見るようになった。
(邪視…。わたくしの心眼…。同じ瞳術を持っていたから?)
何故か邪視で人を殺める瞬間ではなく、彼女の日常を主に見ていた。
瘦せた女の子に『おかあさん』と言われ戸惑う場面。
寒い日に女の子と一緒に眠り、拙い歌を歌っている場面。
視はじめた当初は長く手入れされた爪を、何時しか短く切って女の子と料理をする場面。
ユーフェミアの面影の女性が、生まれたばかりの赤子を抱いてこう告げた。
『もうひとりのお母さん。この子を抱いてあげて』
困惑と小さなぬくもりを恐る恐る抱き愛情が芽吹く感情で、揺れているようだった。
随分と鮮明な記憶もあった。
女性が産んで間もない眠る赤子を見つめて、夫と思しき男性と示し合わせたように告げた。
『ベアル。この子の名づけ親になってくれる?』
暫しの問答の後、ベアル――ベアトリスと思しき女性は告げた。
『そう、ね…。――ユーフェミア。…あ、違うわ。別の名を………』
『この子の曾祖母の名前ね。いいじゃない』
『素敵な名前をありがとうお義母さん。ユーフェミア、君はユーフェミアだ!』
戸惑う感情はあれど、温かい気持ちも感じ取れた。
『ユーフェミア!?凄い、立ち歩き出来ている!?ああ、もうっ。こういう時に何で留守なのあの子たちは』
『べありゅっ』
『…っ。……今度は。ママにママを言えると良いわね、ユーフェミア』
『うー?べりゅー、ゆーふぃーっ』
温かくも、何処か悲しい感情が伝わった。
エルルには、教会が決めた『魔女』ユーフェミアも、魔王の眷属である『魔女』――セレイムの惨劇を引き起こした邪視の魔女ベアトリスも。
断罪すべき魔女とは、とても思えなかった。
他の聖女候補も確認する。
アヌシュカ・リッツ伯爵令嬢だった頃、社交の場では『義姉を虐げる令嬢』等の噂が沢山出回っていた。
(その割には、従姉である義姉は随分と肌艶も良く、栄養状態も問題なかった)
心の声もそれはもう、従妹への偽りの言葉で憤慨する令嬢を嘲笑い見下していた。
エルルはアヌシュカを一度だけ見たことはある。
流行おくれのドレスを身に纏い、壁の花になっている姿を。
(急ごしらえで外面だけ整えた姿だったけれど、栄養不足で実年齢より幼く見える。…あんなに心の声が小さい方はお義母さま以来ね)
なので、『不当な扱いを受けている令息令嬢リスト』に彼女の事を『至急』と付け加えて、シルヴィナに報告した。
アヌシュカ・ベルンシュタイン辺境伯夫人は『魔女』――ユーフェミアの民間治療を魔障治療に用いている。人々の生活に重要ならば、その治療方法を編み出した相手がどんな過去でも気にしない辺り、シルヴィナとよく似ている。
(オルトス様の元で、のびのびと過ごされているのね。…あの方の魔障痕も辺境伯夫人が治したとお義母さまから聞いた。…一度、お話ししたいわ)
ヒルベルテを穢れた魔族と罵っておいて、アヌシュカがヒルベルテ達と同じ存在だとは教会本部は気付きもしない。
彼らの目は曇り切っている。
ユーフェミアのような、ただ知識に優れた女性を処刑しなければ。
邪視の魔女ベアトリスがセレイムの惨劇を起こす理由はなかったかもしれない。
(神は彼らに見切りをつけた。百十五年前に)
神力減少も相まって、教会の保有する聖騎士の練度も甘い。
そもそも、不要と判断した聖女を処分しようにも、隣国の王子や高位貴族までいるのだ。
更に、邪視の魔女ベアトリス本人も聖女と判定された上、殺害を試みた神官は反撃を喰らった。
(先に手を出したのだし、正当防衛だけれど…)
彼女らに無益な殺生をさせてしまうのは避けたい。エルルは伝手を全て使い聖女の調査と保護に動く。
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エヴァンスは二つの手紙を受け取っていた。
ひとつは義妹エルルの聖女候補保護の要請。
ひとつはベルンシュタイン辺境伯夫人から、サリナ宛の手紙。
サリナに嫉妬する女もいるので、初見の夫人や令嬢のサリナ宛の手紙は一旦エヴァンスが預かるようにしている。
義妹の要請は無論する。
もう一通に疑問があった。
(アヌシュカ・リッツ伯爵令嬢の噂……)
エヴァンスは社交に興味が無い。
故に、アヌシュカを噂程度にしか知らない。
『義姉を虐げる令嬢』『男を咥え込む節操無し』等々。
(それ程気性が荒く、男狂いならば先ずは私に接触する)
今でも時折そういった馬鹿は居るのだ。
そもそも、手紙にそういった色欲や嫉妬の感情は無い。
エヴァンスも諸侯王の一人だ。そういった悪意の判別は出来る。
(むしろ、義妹のような穏やかな気質だ)
手紙を検めるが、穏やかで、無垢。思いやりに溢れた言葉。
(先代のエレシュカ『侯爵』は気性が荒かったが、娘はそうではないようだ)
アヌシュカの調査報告書を確認する。
「…………あ゛?」
「母上。リッツ領潰しましょう。愚弟と義妹を貶めたようで極めて不快だ」
「そうするつもりだよ。でもね。
……こういうのは、上げて、落として、じわじわと締め上げるべきさ。
それと、領民はアヌシュカに同情的だから、領地戦はダメ」
「ふむ、勉強になります」
もしも、辺境伯夫人と会うことが在れば、自身は友好的だと示しておこう。




