61.『心眼』のエルル第二王女とヒルベルテ侯爵令息①
エルル・ティア・シェレンベルクには、実の母である王妃にしか話していない祝福があった。
祝福『心眼』。
瞳術の一つであるそれは、エルルの視界内にある対象の心の声や目に見えない真実を読み取ってしまう。
その視界に捉えた全ての対象の、見えない物の具体的な形質や挙動を把握することに長けた力。それは、同時に持ち合わせていた癒しと浄化の力を格段に上げた。
しかし、腹の探り合いの貴族社会において、その祝福は災いそのものだった。何しろ、人の裏表が簡単に読めるのだ。
貴族の嘘も欺瞞も、心の眼で見抜ける。――温厚そうな笑顔と所作の全てが嘘だと欺き笑う。
ニコニコと笑う伯爵が裏ではエルルを厄介者の第二王女と扱っていることも、穏やかな夫人が見目麗しい男性を物色する様も全て『視て』『聞こえてしまう』。
笑顔の兄が自分より王族教育が進んでいるエルルを心の中で罵倒していることも。
姫の値打ちを語る父の心の声は、もっと嫌な事を考えていることも。
その祝福は幼いエルルの心を深く抉る。
幸か不幸か、教会本部はエルルの『心眼』を知らない。
だから彼女は、この力のことを母以外の誰にも話していない。
王妃は幼い姫が何時しか、『王家の顔』の仮面のような笑顔しか見せなくなったことを気にかけていた。
そして、友人を頼った。
シルヴィナ・バーンベルク女侯爵を。
彼女に、王女の心の壁を晴らすことはできないかと相談した。
凡庸な国王にエルルの祝福を告げれば、彼女の心を無視して利用する。
教会に願い出れば、彼らは意地でもその力を欲し王家と教会の力関係は破綻する。
そこに、エルルの意志は無い。
利用するだけ、利用されるだろう。
両方共、力があれば使って使われて当たり前と考える者達だ。
(この子には後ろ盾がいる。出来るならば、この子のありのままを受け入れてくれる信頼できる者も……)
王妃は後悔している。
祝福を打ち明けたエルルの力を『怖い』と思ったことを。
その時のエルルの表情を思い返し、心が軋む。
以降、『王女の顔』の仮面を被って微笑む娘を見ては、救いを求めた娘を傷つけたことを後悔している。
だからこそ、あくまで一人の親として、同じ母親であるシルヴィナを頼った。
『エルル第二王女の婚約者候補として、シルヴィナの子息と顔合わせできないか』
第三者による手紙の開封で娘の秘密がバレる事を恐れた王妃は、王に女侯爵の子息との婚約者候補の顔合わせと事前に告げた。
王は快諾した。
元々、特異な経歴の女侯爵を疎んでおり、傀儡に出来ないものかと機を狙っていたのだ。
…そんな浅はかな謀略など、女侯爵は意にも返さないが。
こうして、エルル第二王女とヒルベルテ・バーンベルク侯爵令息の顔合わせとなった。
女侯爵から快諾の返信が在った際、手紙を手にした王妃にだけ伝える言葉が浮かんだ。
『ヒルベルテにはエルルが心を開くまで、何も話さなくていいよ。やかましいが素直な子だから心配いらない。
祝福を制御する魔道具はあるが、エルルの心が不安定だと余計な負担になる。
こっちで休息しつつ、そちらの製作も進めよう』
…送った手紙には婚約者候補の顔合わせとしか書いていないが、この友人は王妃の胸の奥を察したようだ。
エルルは内心不安であった。
以前、公爵の令息と顔合わせした時は、公爵の我欲の強さや令息の優しい笑顔の裏で心の中ではエルルを馬鹿にし続ける心の声に耐えられず、顔合わせ後に嘔吐した。
あれは地獄のようだった。顔合わせの後は心の声の罵倒が何度も蘇って聞こえ、寝込んでしまったほどだ。
(……今回は……大丈夫でしょうか)
ヒルベルテは優しい子だと母から聞いた。
それでも、内心は違うかもしれない。そう不安な感情を押し殺して顔合わせの場に向かった。
白銀の髪と金の双眸のシルヴィナ・バーンベルク女侯爵。
そして、赤髪と金の双眸のヒルベルテ侯爵令息が居た。黒い十字架の耳飾りが印象的だ。
エルルは8歳。ヒルベルテはエルルの3つ年上の11歳だという。
「ようこそ、バーンベルク侯爵領へ。私はシルヴィナ・バーンベルクだ。」
「…?」
「マーガレット王妃殿下、エルル第二王女殿下。歓迎するよ」
不思議と、シルヴィナの心の声は聞こえなかった。
以前教会本部の雑務をしていた老齢の神官と話した時も、そのようなことがあった。
――心を律することに長けている者の心の声は、よく注視しなければ聞こえない。
それでも、善意か悪意かは判別できる。
女侯爵は好意的なようで、少し安心した。
「お初にお目にかかります。ヒルベルテ・バーンベルク侯爵令息です。えっ可愛い天使!?
…ゴホン、好きなことは何でしょうか!?」
『えっ可愛い天使!?この子が俺の婚約者!?幸せなんだけど!?あー候補だっけ?でも嬉しい可愛い可愛い可愛い…っ、趣味は何だろう何が好きかな、あー、萎縮させちゃうかな、あんまりグイグイ聞いたら』
外の声と心の声がこんなにも合致する人は初めてだった。むしろ情報量が多い。
「すまないね、やかましい息子で」
「いえ…」
それと、彼は一度たりとも王女の婚約者の威光を品定めすることはなく、『落ち着け俺』『紳士に‼初対面だぞ‼』と心の中が落ち着かない。
こんなに沢山の心の声を聞いても不快にも思わない事に、エルルは驚いた。
「エルル・ティア・シェレンベルクと申します。こちらこそよろしくお願い致します。
わたくしは…本を読むのが好きです。
ヒルベルテ様はどんなものがお好きですか?」
不思議と、自然に笑っていたと母に後から聞かされた。
すると、彼は金の目を見開き――。
「緊張、解けましたか?良かった。俺は今、エルルが一番好きになりました‼あと、読書…と、言ってもマイナーな本が好きでして」
『やばい天使が微笑んでいる‼可愛い‼さっきより可愛くなった‼どんな本が好きなんだろうていうかヤベー、俺の好きな本『ゼフェスゾームの山脈=大魔王説』とか『猫と旅する夢の世界』とかだわ、何か女の子でも好きなのあるかな?』
――焦りつつも、屈託のない笑顔でそう告げるヒルベルテ。
「良ければ、ヒルベルテ様の好きな、変わった本も読んでみたいです」
「本当に?じゃあお互いの好きな本交換してみよう?後、ヒルベルテで良いよ。その、読書友達から、お願いします‼」
『女の子が読んでも驚く描写が無いかは確認しておこう。もっと話したいけど恥ずかしい。変なこと言って困らせていないかな?こんなの初めてかも。ちょっと格好つけたくなるんだよね。あー可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い…。
どうか、友達から‼お願いします‼』
100%の好意は物凄くキラキラしていて眩しかった。
エルルは赤くなる顔を必死に抑えた。
「はい、その…お友達からお願いします。ヒル…ベルテ…」
(ああ……もう……、どうしたらいいのでしょう……)
それは、エルルの無自覚な初恋だった。
ヒルベルテは心の声と、行動と、表情が全て一致する。
嬉しそうに、照れて、心配して、笑って――。
それらが何もかも一致している。…心の声はかなりやかましいが嘘はない。
こんな人と話したのは初めてだった。
それ以来、ヒルベルテとは月に一度は必ず会い、何度も話をした。
心の声が聞こえて来るのは恐ろしくなくて、むしろ彼の素直な心が安心する。
エルルは次第に惹かれて行った。
そして、不意に怖くなった。
あんなにも素直な彼を騙している。
ヒルベルテの心を盗み見していることに、罪悪感を覚えた。




