56.アヌシュカ争奪戦 馬番VS絶対零度の魔王
バルバス二重王国の留学生、聖女のフェイス子爵令嬢とのお約束もあるので、他の聖女さん達と情報交換に向かうところでした。
「アヌシュカお嬢様!」
唐突に声を掛けられ、振り向きますと、リッツ領で僕に良くしてくれた馬番のクローブさんでした。
そういえば、彼も聖女でしたね。
「クローブさん、お久しぶりで…」
唐突に腕を掴まれました。
「今度は放って置けない…。あんたの嫁ぎ先は、真っ先に戦場になるんだろう。早く逃げよう」
「奥様っ!?」
見ると、カレンやディルはクローブさんの結界に阻まれています。
「逃げません。クローブさん、僕は辺境伯夫人です。敵から領民を守る務めがあるのです。
夫が領民を守るために戦うのならば、僕も一緒に戦います。
それと、カレンとディルを結界から出してください」
「嫌だ、またお嬢様が酷い目に合うのは我慢ならない」
「なっていません。今回はとても大事なことです」
クローブさんは善意で言っているのでしょうが、こればかりはダメです。
「いや…今度こそは‥‥‥‼」
説得しましたが、聞き入れてくれそうにありません。
腕を強く握って離してくれません。
(強引に振りほどきましょう)
しかし、僕は抱え上げられてしまいました。
その時。
クローブさんの結界が解除され…いえ、破壊されました。粉々です。
気付けば、エヴァンス小侯爵がクローブさんを壁ドンしていました。
…いえ、壁ドンですか?石造りの壁が粉砕されているのですが。
あと、足でドンってしています。
僕は何故かエヴァンス小侯爵の小脇に抱えられています。
蹴りを入れても全く体幹ブレていないので、凄いですねエヴァンス小侯爵様。
「――貴様。あの場で何を聞いていた」
エヴァンス小侯爵はズダンッと片足を元に戻しました。
勢いで石造りの床が凹んでいます。
エヴァンス小侯爵は僕を下ろすと、クローブさんの胸倉を掴みほぼゼロ距離で凄まじい覇気を放ち、顔にビキビキと血管を浮き立たせて、クローブさんを睨み付けています。
凄まじい気迫に、クローブさんは力が抜けています。
戦意喪失と判断したのでしょう。手を放しへたり込んでしまったクローブさんを見降ろしています。
どうしましょう。
僕は貴族籍なので、クローブさんは不敬になるのでしょうか。
いえ、聖女ならば…と言っても、500人の聖女ですので…どの程度貴族に対する不敬が免除されるか分かりません。
そもそも、魔王がこんなに怒っているのを初めて見ました。
「あの、バーンベルク小侯爵ッ。クローブさんは僕がリッツ領に居た頃の知り合いでして、その」
オロオロと止めようとしたところ、エヴァンス小侯爵は僕に片膝をついて視線を合わせます。
「――ベルンシュタイン辺境伯夫人。アヌシュカ殿と、呼んでも?」
「え?はい」
「我が妻サリナの文通友達の名を、先に呼ぶことを許して欲しい。
アヌシュカ殿。
この度は私も前線に出る。故に、貴女は避難先の領地で民を守って欲しい。
それと。愚弟の一件もあったので万が一にも。
私と母が死んだら、我が父と共にサリナを支えて貰えまいか」
「えっ」
エヴァンス小侯爵の意外な申し出に困惑していると、エヴァンス様は続けます。
「我が妻は生家と折り合いが悪い。バーンベルク侯爵領の財産を狙って来ないとは言えない。その場合、ベルンシュタイン辺境伯が後ろ盾になり、彼女と彼女が愛するものを守るため、頼らせて頂きたい」
「……そういう事であれば、分かりました。それと、クローブさんは僕を心配しただけですので、その…」
「知っている。…クローブ殿」
エヴァンス小侯爵はスッと立ち上がると、再びクローブさんを見降ろしています。
「アヌシュカ殿を連れ去れば貴様は誘拐罪に問われ、処刑されるぞ。
それに、無事逃げ延びられても。
アヌシュカ殿は生涯癒えぬ傷を負うことになる。お前の善意で彼女は苦しむのだ」
「え…」
「彼女を慕う領民、そして彼女の心に寄り添う夫の非業の死を踏み台に、自身は逃亡し生かされたと後悔し続けるのだ。
それは、我が妻を想う優しい彼女にとっては死以上の苦しみだ。
――それでも尚、連れ出すと言うのか。答えよ」
エヴァンス小侯爵が拳を握りしめる腕が隆起し、僕を連れて行こうとしたクローブさんをこめかみに血管をビキビキと浮き出して糾弾します。
「あ…」
その可能性に思い至ったのか、クローブさんは血の気が引いています。
どす黒い殺意を放ち、エヴァンス小侯爵は続けます。
「――いくら聖女であろうと、爵位ある聡い夫人であろうと、若き少女や少年を戦線に立たせるなど虫唾が奔る。
我らは子供の陰に隠れる卑怯者の戦士ではない。そう貴様が心得違いをするならば、極めて不愉快だ」
「すみ…ません‥‥‥」
「――失せろ。次はない」
エヴァンス様がクローブさんの首根っこを掴んで窓からぶん投げました。
クローブさんも結構体格の良い筈なのですが、軽々と吹き飛んでしまいました。
「あ」
そう云えば、ガニマタ様の時も顎を外したり、結構やんちゃな方でしたね。
「奥様、申し訳ありません…」
「ディルの所為じゃ」
「否。鍛錬が足りん。緊急故、後で鍛え直してやる」
「は…はい‼」
ディルは少し震えています。
そういえば、エヴァンス小侯爵が合同訓練に参加したとは、旦那様からも聞いたことが無いです。
…未知数の相手との鍛錬ですか。不安ですね。
「さて、アヌシュカ殿。驚かせてすまない。…あの男は放って置いて良い」
そう言って、小侯爵は僕にお辞儀しました。
…クローブさんは多分、加護で死なないと思いますが容赦ないです。
「は、はい。小侯爵様」
「………」
何でしょう。
顎に手を当てて何かを考えています。
「エヴァンスで良い」
まさかの名前呼び?
「ふむ…。君の夫は愚弟の友人であったか。義兄と呼んでも構わん」
「!?」
「「!?!?!?!?!?」」
「突然で戸惑うなら、エヴァンスで。以後は私を義兄として頼ればよろしい」
小侯爵様の…距離感、おかしくなりませんでした?あ、現在進行形ですね?
カレンはポカンと口を開けています。
ディルはほっぺたを抓っていますし、他の方も小侯爵様を知っているのでしょう。
『絶対零度の魔王』が奥様の友人である僕に、親密な態度なのを唖然とした様子で見ています。
「では、…エヴァンス様」
と僕は恐る恐る呼びかけました。
流石に義兄と呼べません。多分、旦那様も呼んだことは無いでしょう。
旦那様がローレル司教様のように失神しそうなので、様子見です。
「うむ」
「……ありがとうございます。助かりました」
「構わん、当然のことだ」
エヴァンス様はいつもの鋭い目つきながらも、微かに表情を和らげてくれます。
…や…優しい笑顔です。慣れるのに時間が掛かりそうです。
「しかし、クローブ殿のような者がまだ現れるかもしれない。
善意だろうと今は緊急事態故、用心しなさい」
「は…はい、気をつけます」
そう応じつつも、クローブさんが倒れているであろう外が気になります。
窓を見ると、クローブさんのお仕事仲間らしい人たちが回収していました。一安心です。
「ところで、アヌシュカ殿」
エヴァンス様が続けます。
「これからどこへ行くつもりだった?」
「フェイス子爵令嬢の招待を受けていますので、そちらに」
「ふむ。サリナもそちらにいる。もし良ければ案内させてもらいたい」
「フェイス子爵令嬢とのお約束がありますが、その他の聖女候補たちとも情報交換しようと思っていました」
説明会の前にその旨をエヴァンス様にもお伝えしていたので、改めて確認です。
…割と大きな事態ですので。
「なるほど。それならば一緒に行こう」
と、エヴァンス様が提案しました。
カレンやディルも納得した様子で頷きました。
フェイス子爵令嬢のお部屋に着く短い道中、エヴァンス様はご自身の考えを話してくれました。
「私は母の意見に一部反対している。
――その血にどれだけ重きが置かれようと、少年や少女を真っ先に戦地へ立たせることは許してはならぬ。
先ずは、大人が戦うべきだ。
その点において、ヒルベルテは愚か者だ。…未来の妻を独りにした故。
一人の少女なのだ。エルル嬢は」
エヴァンス様は王女殿下を家族と認識しているのか、近しい呼び方をします。
…少し、ヒルベルテ様に似ていますね。
「似ていない」
心を読まれました!?
「私は愚弟のような愛情表現は出来ん。が、羨ましい。
そして私も愚か者になるやもしれん。それでも、アヌシュカ殿やエルル嬢のような聡い友人がいるならば…サリナの悲しみもいつか晴れるだろうか」
「………」
エヴァンス様のお言葉に、僕はどう答えてよいか分かりませんでした。




