47.号泣するアヌシュカと後悔する邪視の魔女
涙をとめどなく流すアヌシュカの顔にオルトスはハンカチを添える。
それでも小刻みに震える彼女の星空のような黒い瞳からは、涙は止まりそうにない。
そっと背中をさすると、シルヴィナ女侯爵が笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「どうだった?あれが、近年最も人間を大量虐殺した、邪視の魔女ベアトリスだよ」
「本当に意地が悪い。…知っていましたね?彼女の背景を」
「まあね。
ベアトリスは大勢殺したとはいえ、魔女狩りの執行者も聖女も、それを当然とした民衆もやり過ぎだ。
罪の無い母から乳飲み子を奪い、公開処刑何ぞ正気の沙汰じゃない。
…そういう時代なのさ。
アヌシュカ。ベアトリスの件は当時の教会の件を容認した、諸々の存在の責任もある。
人間の破滅を好む『中立派』の魔女を、確実に屠れる理由を欲していた事実もある。
仮に君の血縁に当たるエレシュカ。彼女がベアトリスを殺しに掛からなくとも、ベアトリスは聖女に殺されていたかもしれない。
当時の聖女はね。…私でも倒せない」
「そ…れでも……っ」
「まあ、勧善懲悪とは行かないさ。オルトス、アヌシュカを頼むよ。
ローレル司教。…邪視の魔女ベアトリスに懐疑的な神官や聖女候補を集めてくれ」
「はい…っ」
そう言って、シルヴィナは司教様を連れて退室した。
オルトスは狼狽えながらもアヌシュカを抱きしめる。
「アヌシュカ」
「――ベアトリス様に‥‥‥どんな言葉を掛けて良いかも分かりません。さっき言った言葉がベアトリス様の重荷になったらどうしましょう…。
深く傷ついたベアトリス様に、何をしたら良いのでしょうか……」
「分からない。正解は無いのだろう。ただ――
彼女は、友人の子を護ると決めている。母としてか、姉としてか、友人としてか分からない。
彼女の護りたいものを守る…その一助となっていこう」
「――…‥‥‥」
――どうすれば彼女の涙を止められるのだろうか。
アヌシュカはベアトリスの罪と、…悔恨の念で苦しむ邪視の魔女を想い、泣いている。
自身に置き換えて考える。
ヒルベルテとエルル王女殿下が同じような目に合い、恥辱に塗れながら助けに行って。
嘲笑の的にされ拷問を受ける王女殿下と、晒されるヒルベルテの躯…。
(ダメだ、冷静な判断などできない。…復讐せずにいられない。執行官を刺し違えてでも殺さねば…許せない)
二人の子を隠れながら育てる――
(殺人者にその資格は無いが、他に頼れるものが…居ない…分からない‥‥‥)
神の遣いである神官や聖女が行った所業故、頼れるものが少ない。
それでも、罪人の子の烙印を押された子に父母が遺したものを繋いでいかねばならない。
百十五年。どれ程の道のりだったのだろうか。
(それでも、悪とされる魔女を楽観的には見えない)
ベアトリスの言う通り、他の魔女は狡猾だ。
四百年近い魔女狩りで、魔王に連なる魔女は一桁しか処刑されていないのだから。
その線引きを間違えてはいけない。
不意にノックが聞こえた。
カレンが入ってきて、涙を流し続けるアヌシュカに驚いた。
「奥様!?‥‥‥いったい何が‥‥‥?」
かいつまんで、邪視の魔女ベアトリスの過去を話した。
カレンは息を呑み、静かにアヌシュカの元へ歩み寄った。
「奥様……そのようなお辛い思いを……」
「辛いのは‥‥‥僕じゃないです…‥‥‥」
「アヌシュカ……俺も。もし、ヒルベルテとその婚約者である王女殿下が、同じように理不尽な理由で命を奪われたらと思うと……、過ちを犯すだろう。
そして、二人の忘れ形見が居たならば…守るという使命感と、無垢な命を育てて良いのか…心の底から悩むよ‥‥‥。
君は…ベアトリス殿の為に十分泣いた。…次に彼女と会うならば、いつも通り接してあげて欲しい」
ベアトリス自身は『辛気臭い』と毒を吐いて退室したし、彼女自身認めたがらないが、『育ての母』だ。
アヌシュカの母エレシュカと因縁があろうと、その子供が自分の為に泣き続けるのは見たくはないはず。
アヌシュカはしばらく無言でいたが、ハンカチで鼻をかんで頭を下げた。
「あ、すみません、ハンカチ‥‥‥」
「気にするな、…君が泣いたのは初めて見た。弱っている時くらい支えさせてくれ」
「……そういえば…泣いたのは僕も初めてです…」
アヌシュカの境遇も複雑とはいえ、泣いたことも無いとは…。
余計に感情のコントロールが出来なかったのだろう。
「アヌシュカ、少し休むといい。カレン、アヌシュカを頼む」
するとカレンは思い出したようにオルトスにコッソリ告げる。
「実は、バルバス二重王国のフォクス・フェイス子爵令嬢からお手紙が来ていまして…奥様宛に」
手紙は4通ある。一つは子爵令嬢のものだが、他は‥‥‥使用人か?
「アヌシュカ、フェイス子爵令嬢宛で手紙が来たが…この三人に覚えは無いか?」
目を真っ赤にしているアヌシュカが、その字を見て目を見開き、差出人を見て再びボロボロと泣き出した。
「旦那様…僕を庇って辞めさせられた爺やさんとメイドさんたちです‥‥‥。
フェイス子爵令嬢からは、お茶会で皆さんに会いませんかと‥‥‥。
優しい言葉が書いているのに、涙が出ます‥‥‥」
「奥様!良かったですね……」
カレンも貰い泣きしている。オルトスはホッと胸を撫でおろす。
泣きすぎて感情の起伏が混乱しているのだろう。
「もう一度読み返して……返事を書いてみてはどうだ?」
「はい‥‥‥!」
カレンとオルトスは微笑み合う。
ひとまずアヌシュカが立ち直るきっかけになれば良い。
+++++
「ベアトリス、君の記憶は役に立ったよ。
――魔女ベアトリスに懐疑的な連中に、君が魔女狩り審問員に捕まってされた事。
…同乗した女性たちの苦痛も上乗せした分の追体験をしたら、大人しくなった」
「お前、悪魔ね」
「未来の弟嫁を自死寸前に追い込まれた時、悪魔になると決めていたよ?
…同じ女として、不愉快極まる。豚のような神官に襲われる体感くらいしてもらうべきだ。
ああ、善の魔女に懐疑的な者には…その者の肉親が大歓声の中、拷問されるように加工はしたね。
桶でも用意しておけばよかったよ。嘔吐するものが続出したから」
クリューレーヴが不可侵の条約を結んだ訳だ。
この女、魔女より魔女だ。
「…アヌシュカだった?
あの子に疑惑の眼が行くような情報は復元していないでしょうね」
「魔女が八つ当たり相手の子供を気遣うとは驚いた」
「…エレシュカはどういう教育したの。感情が年相応に育っていない。
15の娘の身体じゃない。細すぎる」
「気になるなら、会いに行ったらどうだい?君の過去を聞いてから、ずっと泣いているんだ。ああ、これはアヌシュカから」
「ユーフェミアの曾祖母のレシピ…。お前、泣いている子供に何無茶させているの」
涙で滲んだレシピを手にしてシルヴィナを睨み付けるベアトリス。
「…ああ、子供に話すんじゃなかったッ」
シルヴィナが去った後、ベアトリスは頭を抱えた。
獰猛な肉食獣のような性質のエレシュカ相手なら、ベアトリスも容赦なく毒を吐き出しただろう。
クリューレーヴが幼女の姿なので、エレシュカのミニチュア版だと思いきや、あの魔王は無垢な子供だった。
落ち着いていると思いきや、ああも泣くとは思わなかった。
激高してしまい、更に当時の拷問執行人の血縁まで現れ冷静さに欠け、アヌシュカの観察を怠った。
――邪視の魔女として情けない。
挙句にベアトリスを想って泣く純粋さ。
必死に言葉を選んだ優しさ。
「あー…胸糞悪い‥‥‥」
というか、夫というおっさん(25歳)に任せたが、大丈夫だろうか。
ちゃんとフォローしているだろうか。…まさか、慰めると言って、夜の相手をさせてないだろうな。
色々成長が足りないアヌシュカを見ると、ユーフェミアの祖母と初めて出会った時が過ぎる。
「‥‥‥ユフィ、デイジー、キリアン。
アヌシュカに手土産買いに行くわ。付いてきて」
「大丈夫?ベアル」
「…当時、生まれてもいない子供にキツイ話をした。
アヌシュカが拒むなら…それも仕方ない。
ただ、…エレシュカにぶつけるべき怒りを晒して悪かったと…伝えておきたい」
「…うん。もしもの時はデイジーに言付けを頼もうか」
「はい、任せてくださいね」
自分はどうしてこうも、子供を放って置けなくなったのだろう。
これも、善の魔女の呪いの所為だと解釈して、出店を散策するベアトリス達。
「…私がぬいぐるみを送って怖がらないかしら?泣いているならハンカチ?」
「ベルを警戒するなら、ぬいぐるみで顔を隠していくのはどうだ」
「…それがいいかしら」
「ベアル、やっぱりお母さんだよねー」
「どうしよう、冗談だったのに」




