43.聖女殺しの聖女 邪視の魔女ベアトリス
※拷問など残酷な描写あり
大司教はその権限のある者しか閲覧できぬ記憶球に残された、かの惨劇を覚えている。
教会の権威が強く、王家の力が弱かった百十数年前の時代。
聖女を遣わす精霊が人工聖女を造り出す少し前――
教会の魔女狩り執行人は王都セレイムで一人の魔女を公開処刑した。
不遜にも神の力を模倣し、神に仕える神官と姦淫した女。
神が選定した聖女がその刑の執行を見届ける。
彼女は魔女が後ろ手に縛られ、大掛かりな車輪に結び繋がれたロープで縛り上げられた両手首。吊り上げることによって苦痛を与える姿を、冷酷な様子で見据える。
さらに脚に付けた重りで荷重を増し、吊り上げた状態から急激に床ギリギリの地点へ叩きつけ腕が脱臼し苦痛に悶える姿を見ても表情一つ変えない。
女は姦淫の子を出産して間もなく、拷問によって出血する。
神の力は聖なるもの。教会の権威の為に在るべきもの。
一介の女の為にそれが揺るがされるなど、在ってならない。
民衆は悪の断罪に高揚していた。
――いい気味だ‼
――もっと苦しみを‼魔女を殺せ‼
その時だった。
魔女の死を願う者たちが悉く自死を選び、処刑場は神官や民衆の死で満ちた。
濡れ羽色の長い髪は血で染まり、ボロボロの黒いドレスを纏った女が、鋭い金の双眸を処刑場へ向ける。
「――…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーッ!!!!!!」
女は自身か他者の血かも分からない血に塗れながら、その瞳で聖女を凝視した。
が――
女の片目は爆ぜ、聖女の周りにいた神官たちは『邪視』から護られた。
それでも女は止まらない。
死んだ兵士の剣を掴み、血涙を流しながら突進する。
槍が女を貫こうと神官たちの防護障壁で阻まれようと止まらない。
その場には、公開処刑中の魔女と。
聖女と邪視の魔女だけが残った。
ボタボタと両目から血を流し、邪視の魔女ベアトリスは聖女と対峙する。
「愚かな魔女、もう邪な力は使えません。神の御許に帰りなさい」
「……ふッふふふ…………神、神、神。…笑える、クソったれだわ。
お前なんか、力を使うまでも無い」
邪視の魔女は、持っていた剣を捨て、ただ――
穏やかに微笑み、聖女を抱擁した。
聖女の防護障壁は殺意や悪意あるものを弾き飛ばす。
魔女の唐突な行動に一瞬判断が遅れた聖女は。
その喉笛をブチブチと、魔女に重要な血管ごと嚙み千切られた。
「…アハッ、うそ。そのままでも死ぬのでしょうけど、…魔女に殺されろよ、お前」
首から鮮血が噴き出る聖女の髪を掴みその眼を、血塗られた邪視で凝視した。
――死を。
その誘いに抗えず、聖女は死んだ。
「――…ユ……ミ…ア‼ご…めん、遅……た‼今……助…………から‼」
魔女の邪視の効力か、聖女が死んで以降の記憶球の音声は鮮明ではない。
邪視の魔女は同族の魔女を拷問具から解放する。
暫しの問答の後、死んだ魔女を抱きかかえてけたたましい叫びをあげる邪視の魔女。
「神よ‼これがお前の望むことか‼これが人間を救う聖女の所業か‼
人々を救いたい一人の人間にやることがこれか‼あらゆる苦しみと絶望を与えて殺すことがお前の望みか‼
たった一人の母親から生まれたばかりの子供を奪うのがお前のやり方か‼
認めない!お前が聖女を生み出すならば、邪視の魔女が聖女を殺す‼
殺してやるころしてやる殺してやる!!!!!!!!
善なる者に苦痛に溢れる死を与える教皇も聖女も、邪視の魔女ベアトリスが必ず殺す!!!!!!!!!」
血涙を流し殺意をむき出しにする、血塗られた魔女の何とおぞましい事か。
剣や槍が突き刺さったまま邪視の魔女ベアトリスはその魔女を抱え、黒翼を顕現し血を流しながら飛び立っていった。
更には、神から遣わされた精霊はこう告げた。
もう、神は聖女を降臨させない、と。
それでも人々の苦難の為、精霊と親和性の高い者を選別すると。
――教会において、聖女は絶対的な象徴。
魔女に噛み殺された聖女が、神に認められた最後の聖女となるのは避けたい。
故に、精霊と親和性の高い者を聖女として据え置くことにした。
王都セレイムでの邪視の魔女の血の惨劇事件以降、魔女狩りは息を潜める事となった。
当時求心力のあった初代バーンベルク女侯爵の追及も教会を抑え込む。
気まぐれな性質の魔女が逃げも隠れもせず。仲間を取り返すために、王都の民の5分の1を殺害するに至った経緯を隠蔽するのに、躍起になっていたこと。
醜聞の要因である邪視の魔女ベアトリスの抹殺に、魔塔の魔術師まで駆り出されたこと。
――当時の教皇が不審死して以降、その座を空位にせねば教皇達は有り得ない死を迎えること。
魔女と魔術師の在り様の議論も生じ、魔女狩りと拷問による自白は収束していった。
そして、今。
その邪視の魔女ベアトリスが唐突に表れ、聖女と判定された。
名を語る偽物かと思った。だが、記憶球で見た血濡れの濡れ羽色の髪と血涙を流す金の双眸や容姿はあまりに酷似している。
その邪悪な眼で見えているのか。
本物と偽物の聖女が。
――間違いは正さねばならない。
「――天使様。我々は神の山脈に再び赴き、神の降臨を願う所存でございます」
曲解したものの、何度も味わった奇跡の甘露から人は容易に抜け出せない。
堕天した精霊に教えられた『神』の居場所を大司教たちは知っている、
【以前の信徒は信仰心が足らぬ。神の声を届けるには最も信仰心が強きものでなければならぬ。我が生み出した聖女を連れて山へ行くと良い】
「ええ!私自らが行きましょう!そして、聖女マリエラの加護を取り戻し神の威信を取り戻しますぞ!」
魔女の甘言、否。
彼らが作り出した都合の良い神の言葉は、心地の良いものだった。
故に猛進し愚者の道を歩む。
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「おや、意外だこと」
「……薬の買い付けならあの子の亭主に言いなさい。あの子は出産で疲れているの。
暇なら赤ん坊のおしめでも洗いなさいよ。肌着もね」
「王都で殺戮の限りを尽くした魔女が、赤ん坊のおしめ交換とはねぇ」
「…教育に悪いわ。――私が世話して悪い?あの子にお願いされただけ。それとも、お前が赤ちゃんの世話をやるの?とことんダメ出ししてやる」
「これは失礼。…『気は済んだ?』」
「…『全然』。お前も子育てして見なさい。とんでもなく力を使うのよ、『気を散らすことが出来ない』。…それだけよ」
「ふむ…それは失敬。滋養のある…蜂蜜でも送ろうかい?」
「殺されたい?赤ん坊にだけ効く毒があるの、食わせるんじゃないわよ。…なるべく綺麗な古着が欲しいわ、おしりふきに出来るから」
「分かった、養母に産後の女性が好む贈り物を相談して、君に贈るとしよう」
「二度と来るな。…あ~、ごめんね~、何でもないわよ~、よ~しよしよし……」
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「諸侯王『中立派』序列『総裁』邪視の魔女ベアトリスの処罰は保留だね。
命を持って償うべき罪のない人間――それも人々を救うために尽力した者。
善良な人間から産んだばかりの赤子を取り上げて、拷問にかけるような人間に神の力を与えた天界の落ち度だ」
「聖女を嚙み殺したが、喰ってはおらぬようじゃしの。…それでも邪視は危険ではないか」
「ベアトリスの能力の性質は危険だが、今の彼女には殺意の衝動も無い。
――2人の子供から育ての母を取り上げるのも気が引けるよ」
「監視は続けよ。流石にやりすぎじゃ」
「分かっているよ。…たった一人の人間の為に、天敵である聖女に特攻。
魔女は気まぐれで困るね」
「…まあ、あの日の魔女の宣言で、教会に呪いは掛かったままじゃが」
「今は手を出さない方が良いね。…元は人間のやらかしだ。彼らはその呪いを受けるべきなのだよ」




